何のために学ぶのか

 よくこういう話を聞くことがあります。

「勉強って将来役に立つの?

 円周率なんて、生活に使わないじゃない。」

 

もし、このように子供が話してきたら、何と答えますか?

「将来の選択肢を増やすため」なんていう、もっともなことを話しても、

子供たちにとって納得解は、得られそうもありません。

 

今日、算数の授業を2つ観ました。

 1つは、円の半径を使って三角形(二等辺三角形になる)ことを、証明する授業です。

すでに学習済みの、「半径の長さはどこでも同じ」であり、二等辺三角形の性質を結びつけることで、

問題を解くわけです。

 

 確かに、将来生きていくうえで必要な学習ではないと言われればそうかもしれません。

 

2つ目の算数の授業です。

平行四辺形の面積の授業。

平行な底辺の間の距離を「高さ」としていますが、

では、この平行四辺形の高さは?

高さが底辺の外にある場合の平行四辺形の面積を求める学習です。

 

確かに、将来、平行四辺形の高さを知っていても、何か役に立ちそうもありません。

じゃぁ、何のためにこうした学習を展開しているのか?

やっても意味ないじゃないか。

という声が挙がるわけです。

 

でも、その答えが見えます。

子供たちが、つぶやきます。

「あそこだよ! だって…。」

『ちょっと、前に出て説明してみて。』

「この、底辺を伸ばしていったら、平行な底辺の間ができるから…。」

「ん? どういうこと?」

「だから、こうして…。」

「えぇ! だって、こうじゃない?」

と、子供たちでああでもない、こうでもないと話し合っています。

 

担任は、

『ほんと? それって、高さでいいのかな?』

 

とゆさぶります。

この平行四辺形の面積を求める学習を通して、高さの概念をさらに理解する流れです。

 

ここです。

たしかに、平行四辺形の高さが将来の生き方に役に立たないかもしれませんが、

高さの概念を理論立てて証明していく「思考する力」の育成のために

この平行四辺形を使っているのです。

 

この力を伸ばすことを考えずに、

「はい、こういう平行四辺形の高さはここです。覚えてください。」

という学習では、思考して「論理的に考える力」は身に付きません。

 

そう考えると、教員とは、教材に命を吹き込む存在であるともいえます。

知識を得て、思考した子供たちがアウトプットする力を学習していると言えます。

変容した自分を実感できることを目指したいものです。