学びの必要感を

 中休み、昼休み時間になると決まって校長室にくる子が数人います。

1年生です。

ただ、こんな感じです。

 

校長室のドアを「バ~ン」と開けて、

「校長先生! 虫取りに行こう!」

という感じです。

私は、この子たちのいい遊び相手かもしれません。

でも、そろそろ「礼儀」たるものを

教えてもいいかな?と思っていました。

当然、一年生担任も、コツコツと指導しているのですが、

定着するには、何度も指導する必要があります。

 

今日、同じように校長室に入ってきた子に、次のように話しました。

 

「今日も来たな!

 でもさ、〇〇みたいに入ってこられたら、校長先生びっくりするよ。

 だからさ、今度校長先生を誘うとき、

 ドアを3回ノックしてくれないかな?

 やってみるかい?

 『コン、コン、コン。』

 そう!

 その次に、『失礼します。』って言えば、かっこいい!」

  

 昼休みになりました。

私が校長室で仕事をしていると、

『コン、コン、コン。』

(おっ!? きたな?)

「どうぞ!」

 シーン…。

 

こちらから、

「しつれいしますって言って入ってきていいよ。」

と言うと、

「校長先生! 虫捕りに行きましょう!」

とドアを開けて入ってきました。

 

「覚えていたね。ノック3回」

『へへへ…。』

「よし、行くか!」

「ノック2回は、トイレに入るときだからね。」

『へぇ…。』

 

その後、外へ出て、オニヤンマを捕ったのです。

 

 私はこの話の中で、「学びの必要感」についてお話ししたい。

 

校長室、職員室に入るときに、「ノックをして、失礼します」と言ってから入る。

という指導をするときに、どんなタイミングでどの場面が効果的か?を考えます。

 

礼儀や躾ですから、理屈なしに指導すべきです。

でも、子供目線になって、どうすれば腑に落ちやすいかを考えることも、

「教育」の意義です。

 

今日の一年生にとって、

「一緒に虫取りに付き合ってくれる校長先生を呼びに行く」

という行動をとりたいときに、来室の礼儀を教えることが効果的だと考えます。

それができていないときに、

「あれ? それじゃぁ、いっしょに行けないな。」

と考えさせることも必要です。

 

今まで何度も校長室に呼びに来ていた1年生ですが、

校長先生と虫取りに行きたいという欲求を高めるために、

来室の礼儀について指導するのは待とうと思っていました。

(※自分の欲求を聞いてくれず、違うことで指導されると子は混乱するんです。

  だから、「もういい!」ってことになる…。)

 

このように、子供にとって学びの必要感を感じて学ぼうとしたとき、

インパクトは強いものになり、自分の力として身に付きやすいのです。

 

国語や算数が嫌い 社会が苦手…などという子にとって、

その学習にどうしたら必要感を感じさせられるのでしょうか?

 

それは、「思考のズレをうむ」ことです。

簡単に言えば、

「はて?」「おや?」「思ってたことと違うぞ…。」「試しにやってみたい!」

と思わせること。そうした導入が授業の肝となります。

 

先月の「学校だより」に「学びのスイッチ」について触れました。

学びのスイッチは、人によって異なります。

でも、そのスイッチを探る努力を、教師は続けなければならないのです。

 

…という固い話でした…。

 

【高学年の動きを見た】

昨日、「避難訓練」がありました。

避難するとき、上靴のまま外へ出ます。

そのため、校舎に入るときに上靴の底を雑巾で拭き取らなければなりません。

全校児童が雑巾を使い終えた後の写真がこちら…。

 

雑巾をしまい、玄関を普段通りに戻している5年生の女の子。

全校で使った物の後始末まで、言われなくても考えて行動できること。

「天晴!!!(あっぱれ)」

をあげたい行動でした。