遊ぶということ
今日、中休みに体育館をのぞいてみました。
子ども達の歓喜の声が聞こえます。
遊び方は様々。
長縄を跳んでいたり、バドミントンをしたり、ボール遊びをしたり…。
その中に、先生の姿もありました。
とても素敵な空間でした。
こうした遊びの時間に、子どもの「素」の姿が見えるものです。
いつもは走り回っているのに、元気がなかったり、ルール上のトラブルで喧嘩になったり…。
こうして、子どもの様子を把握する場でもあります。
そんな場面で、大人はどうかかわるべきか…。
「解決策を教えない」ことに尽きると思います。
せっかくトラブルになったのに、その解決策を大人が提示して、子どもは何を学ぶのでしょう?
そんな状態が続くことで、「トラブルは誰かが解決してくれる」という間違った学びをしてしまうのです。
つまり、大人がいないと遊べない子を育ててしまうと言っても過言ではないのです。
しいて出番があるとすれば、
「どうしてあなたは、そうしたかったの?」
「〇〇さんの立場なら、どうする?」
といった、解決のための整理をしてあげることかもしれません。
遊びのルールは変わっていいのです。変え方を学べばいいのです。
何とか自分たちで解決できたという誇らしさを感じ、そしてトラブルを乗り越えた後に、みんなで笑えたという安心感を味わえるよう、私たちは支えていきたいものです。