先生の声掛け
ふと考えることがあります。
一日が終わり、その日の出来事を思い出したとき、その中で記憶に残っている言葉ってなんだろう…と。
先生に褒められたとか、叱られたとか、
友達にうれしい言葉を掛けられたとか…。
学校の先生の言葉って子供のやる気を促すこともできるし、よかれと思って掛けた言葉が逆効果になることもあります。
本日、全校体育があり、縄跳び検定をしました。黙々と取り組む子供たちです。
先生たちも子供たちに声を掛けています。
たっぷり縄跳びに取り組んだ最後に、担当の先生が次のように話しました。
「みんなが頑張っている姿はもちろんよかったのですが、
〇〇さんの姿がよかったです。お友達の頑張っている様子をみて、『がんばれ!』って声を掛けていたからです。」
すぐにできなくても、自分のできることを表現するのは、これからの体育では必要な視点です。そこを価値付ける言葉で、認められた子は自分の行動を肯定することができますし、他の子供たちも「次はそうしよう!」と目指すすがたが明確にもなるのです。
その後、縄跳びの「目標」を設定している高学年の教室を覗いてみました。
担任が面白い声掛けをしていました。
「もし、高学年の君たちが、汗をいっぱいかいて縄跳びをしていたら、下級生たちは何を思うだろう…。」
一瞬、教室がシーンと静まりました。
この瞬間は、子供たちが思考している(真剣に考えている)表れです。
「…きっと、その姿を見たら、自分たちも負けないで頑張ろうと思うとおもう。」
「真似すると思う。」
自分のことはもとより、高学年とは学校のめざす姿であることを理解し、多面的に思考させる「声掛け(問い掛け)」でした。
ひらがなを練習してる一年生教室を覗いてみました。
いい字を書いています。
その時、担任が、「鉛筆の持ち方、上手ですね。」
と声を掛けました。
「きれいに書きなさい。」
と指示しても、何をもってきれいな文字なのか分かりません。
それよりも、「鉛筆の持ち方」を徹底して褒めることで、筆圧が安定し、整った文字を書くことにつながります。
このように、大人の言葉は、とっても大切です。
でも、先生だって(親だって)時には、結果的に間違った声を掛けてしまうこともあるでしょう。
そんな時は、
「ごめんね。こうなってほしかったんだ。」
と謝罪して意味を説明するしかないのです。
みんなが同じ声を掛けるのではなく、自分ならこう言う! 自分にしかできない声掛けとは? を考えて実行できるほうが、楽しい世の中になると思うのは、私だけでしょうか?