学ぼうとするときの姿
今日の子ども達の様子を観ていると、思わず楽しくなってきました。
2年生の算数の時間で、24+15の計算の仕方を説明していました。
ここでのねらいは、24を20と4に、15を10と5に分け、10のまとまり、1のまとまりで考えることです。ひっ算の位取りにつながる学習です。
「…ということです。質問はありますか?」
という子の問いに、私は思わず、
「どうして、10と5に分けるの? 8と7でも、12と3でもいいじゃない?」
と揺さぶりました。
少し考えた子は、
「だって、10のまとまりと1のまとまりに分けて足した方が分かりやすいから。」
『じゃぁ、15じゃなく、28だったらどうするの?』
と続け様に尋ねると、他の子が、
「20と8に分けるんじゃない?」
と口を挟みます。
そうです。この状態が大切です。
1人が分かればいいのではなく、ほかの子もみんなが理解するように、仕向けるのです。
この学級では、〇m×△m×□mの立方体の体積を求める学習をしていました。
ただ公式を使って計算するのではなく、1㎥の実物大を用意して、
「この大きさが何個分だろうね…。」
と考えさせていました。
子が学ぼうとする時とは、「やってみたい」「できそうだ」「どうしてだろう」という学びの必要感を味わった時です。
ですから、そう思わせるように指導者は意図的に仕向けるのです。
そんな授業を1年間(6年間)続けることが、「学び続ける」ことにつながるのでしょう。
学ぶことが習慣付けることができれば、「学ぶことの価値」を感じ、興味があろうがなかろうが、目の前の課題を解決しようとするのです。
どきどき、わくわくしながら学校で学ぶ子ども達、職員であってほしいです。