「2026年02月」の記事一覧

 卒業式、修了式まで1か月。

1年間の学びの成果を子ども達に価値付ける時期でもあります。

 

 わたしが子ども達の様子を観察していて気付くことに、話をする子が多いということ。

おしゃべりではなく、対話です。

 教室を見て回ると、子ども達が書いた文字の作品が、数多く掲示されています。

 

 ある学級通信をみると、担任が大切にしたい姿、渚滑小学校で大事につなげてきた成果が

表れている記事がありました。

 

 最近、〇〇学級では△年生に向けた活動が始まっています。

その一つが「自学の時間」です。教師が主導で授業を行いますが、その中の短い時間、子どもたちが主導で学習を行います。

 スケジュールを決めるところまで私も入り、決めたことは児童だけで進めます。

 4月は、「自分で判断する」、「わからなかったら児童で話し合う」・「教え合う活動」は教師が入らなければ成り立たない状態でした。

 ですが、色々なことを乗り越えてきた彼らだからこそ、3学期からできると判断して活動を進めています。

 そんな中、今週、嬉しいことがありました。

 国語の時間のこと。用事があり、担任が教室に行くのが遅れてしまいました。

急いで教室に行くと、

そこにはもう自学の時間を始めて集中して取り組んでいる彼らがいました。

「…もう始めていたのですか?」

「うん!この前、先生自分たちで考えてやっていいよって言ってたから!」

私はこの言葉に感動しました。

 ついこの前まで、自分たちは何をすればよいか逐一確認しないと不安だった彼らが、

自分たちで判断して行動することができたのです。

今年度の彼らの成長の証だと私は強く感じました。

 

 

 「自分でやりなさい。」というだけでは、この姿はうまれません。

数年を掛けて、学習の進め方を理解し、身に付けた学力の活かし方が分かってきているのです。

インプットしたものを使って、アウトプットする。

その時、自分の学習の進め方であらたな学力を手に入れることをねらっています。

 

各学級で、1年間のそうまとめと次の学年への準備が始まっています。

今日、廊下を歩いていると、ある子に呼び止められました。

 

「校長先生に聞きたい(訊ねたい)ことがあるんだけど…。」

『ん? 何だい?』

 

「渚滑小学校って、どうしてチャイムが鳴らなんだろう…。」

 

と話してきました。

『困ってるの?』

 

「いや、困ってはいないけど、どうしてかなと思って。」

『ノーチャイムにしているねらいがあるんだよ。なんだと思う?』

 

しばらく腕を組んで考えています。

『ノーチャイムで困りそうなことを考えてみて。』

「う~ん、時計を見ないと授業に遅れちゃう。」

 

『そうだよね。じつはそこをねらっているんだよ。

 時計を見ながら次の行動に移すことができるようになってほしいってこと。

 

 もう一つはね、これは校長先生の考え方なんだけど、

 時計を見なくても、時間の感覚を身に付けてほしいってこと。

 

 休み時間が5分なら、時計見なくてもだいたい5分経ったって分かるんじゃない?

 つまり、5分とか、10分とか、感覚を学んでほしいなって思ってる。』

 

「へぇ、そうかぁ、僕も今、時計を見ながら動いてる。朝起きたり、朝、学校に来たり。」

 

『いいね。これからの人生、すべてチャイムが教えてくれるわけじゃないでしょ?

 まぁ、チャイムを聞いてけじめをつけるってことができるかもしれないけど、

 どちらにせよ、今の世の中、時計を気にしながら生きなきゃいけないからね。

 

 今のうちに、時計を見る癖をつけると、役に立つと思うよ。』

 

「はいっ!」

 

 子供の「?」を大切にしたいものです。

もし、子どもが「頭が痛い・・・。」と話して来たら、

みなさんはどう対応するでしょうか?

 

「頭が痛いなら、休んでいなさい。」とか、

「くすりを飲みなさい。」と言う方もいるでしょう。

 

でも、頭が痛い原因が、寝不足だったとしたら、薬を飲むことは得策だとは思えません。

痛みの本質を見ずに、結果だけで判断しているからです

ここでいう「本質」とは、形にみえる物事の根本的なこととして定義付けます。

 

 

さて、先日の職員会議で、私は来年度の「経営方針」を発表しました。

方針の根拠となるデータや、学校の実態(つよみ・よわみ)、地域の特色や今後望まれる能力を

俯瞰(ふかん)して判断し、来年度すべきことの道筋について発表したわけです。

 

その中で、「学びの本質」「深い学びの対極にある浅い学びとは?」

についてプレゼンしました。

 

今日は、その方針について、具現化しようとしている教員を紹介します。

三角形の面積を求める学習を進めていました。

 

三角形をコピーして、平行四辺形を作ります。

ICTの利活用というものです。

子どもが解決の方法を説明した後、

「三角形をコピーしたと言ったけど、コピーするとはどういうこと(算数の視点で)?」

と、問い返しました。

 

子どもに「2倍した」ことを言葉で表現させたいというねらいがあります。

 

私は、これがこの三角形の面積の「学びの本質」に近付く問いであると思いました。

 

「すでに学んだ形なら面積は求められる。2倍して平行四辺形にして2で割れば1つ分になる。」

という抽象化する(本質を見極めるために、細かい枝葉を切り捨てる)ことで、学びの根っこを学ぶということです。

 

この授業のまとめは、三角形の面積の公式を導き出して終わりです。

でも、本質はその奥にある、「なぜその公式が成立するのか?」です。

 

「深い学び」⇔「浅い学び」 

浅い学びとは、汎用性がない学び

この授業範囲でいうと、「公式を忘れてしまったら、答えられないから、公式を覚える」

というのが浅い学びです。

 

世の中には、三角形の面積の学習授業プランは、相当な数があると思います。

でも、この三角形の面積の本質を学ばせている授業は、どれだけあるでしょう。

教員の腕が試されます。

 

この授業の後に、授業者が私の部屋にやってきました。

「さっきの授業、どうでしたか?」

 

こういう貪欲さ、学び続ける姿勢に、私は感心させられます。

 渚滑小の玄関にある温度計が、マイナス15度を下回っています。

頬がピンと張られるような感覚です。

 

 毎朝、7時45分に玄関に行くと子ども達が玄関で待っています。

「おはようございます!」

そういってドアを開けると、ニコニコした子ども達が入ってきます。

 

外へ出ると、必ず除雪している子がいます。

 

スコップをもって、雪を移動させています。

私や公務補がお願いしているわけではないのですが、

毎日のルーティンとなっています。

 

この子たちは、除雪を使命としてしているようではなく、「雪」と「スコップ」と触れ合っている感じがします。

 

集会のあいさつで、私はよく「癖」について話をします。

「挨拶の癖」「整理整頓の癖」「早寝の癖」「食事の癖」…などです。

 

いい癖をつけると、いいことに出会ったり嬉しい体験をしたりする機会が増えるよ。

という原則的なことを、回りくどく話しているわけです。

 

毎朝、除雪している子たちを見ると、何だか心が和やかになっています。

 

雪が降ると、避難経路を確保するために、除雪してくれる公務補です。

こういう姿を見ると、ホッとします。

2月になりました。

本日の全校朝会の「先生から」のコーナーでは、

S先生の、「いろんな視点で物事を見ることは大切」というメッセージです。

これまで読んできた絵本の中から、お勧めの本を紹介しながら、子ども達に問い掛けていきます。

 

 

子ども達の想像力を深めたり、作者のメッセージを感じて自分の思いと比較する面白さ、学びは読書が最適です。

 

先生の話を聞いているときの子ども達は真剣です。

 

先生の話が終わり、子ども達から質問や感想をききます。

 

「先生がそのようなことを考えながら本を選んでいるのか…と思うとすごいなと思います。」

 

 

渚滑小学校では、相手意識をもって発表したり、

その場で質問する活動を通して、学びを深いものにしようと取り組んでいます。

実はとっても簡単な取組で、

何か活動した後、

「それ、どうして?」

「何を考えながら動いたの?」

「最初と最後で何か変わった?」

と問うだけで、その活動の質がぐっと深まります。

 

発表会では発表の練習をするけれど、そのほかの場面で発表(意見・質問)できなければ、

練習のための練習でしかありません。

 

「今の先生のメッセージ、何を感じた?」

とか、

「自分と似てなかった?」

と問うて発表させることが大切です。

 

その意見発表を聞いて、「僕と似てる。」

「私とここが違う。」

「もし、〇〇だったらどうだろう?」

といった、相手の活動に対するリアクション、レスポンスを考えながら聞くことを

意識付けたいものです。

つまり、「他人の話を自分事にする」一つの手立てです。

 

何か意図をもって活動すると、比例して成果が広がっていくものです。

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