つぶやき
昨日、ダスキンの掃除授業について紹介しました。
一日過ぎた今日、本校の養護教諭と雑談していたことです。
「今日、低学年の掃除を観ていたんです。
雑巾をしぼって拭き掃除をしようとしていた子が、
『そうだ! 手のひらの大きさだった!』
って、つぶやいてたんです。
昨日の学びがつながってると思いました。」
と教えてくれました。
私は、子供の学びのつながりを知ることができたと同時に、
養護教諭に話したことがあります。
「その子が継続して意識できると本物になるね。
それもそうだけど、わたしは、あなたのそういった子の見取りをしようとする、
アンテナに感心します。」
子ども達だけじゃなく、人は思いや感じたことを表出する手段は違うし、
表出しない場合だってあります。
そういう事実の中、相手を知ろうとするために、
話させたり、書かせたり、表情を観たりします。
前提として、相手を知ろうとするアンテナが大事だということです。
ある学級の担任が発行する学級通信に、こんなことが書いてありました。
「誰にでも得意なこと、苦手なことがある。その違いを認めることが大事。
〇〇さんが、◇◇さんに、
『その音、苦手だから、出さないでね。』
と自分の思いを柔らかく(表現)告げていた。
自分のことは自分で伝える姿は立派だった。」
そのように担任が学級通信の中でメッセージを伝えることができるのも、
子供たちの様子を知ろうとするアンテナを高く張っているからです。
この他に、ある学級の廊下には、こんな掲示物もありました。
学び方を学習している高学年の「家庭学習(自主学習)」を紹介しています。
今月の学校だよりでも紹介していますが、
やらされる学びではなく、はてな?を生み出して解決する学びへの、
子供と担任のアプローチです。
このように、自分だけでなく、
周りの人、物、事に価値を見付けようと学び続ける学校でありたいです。