渚滑からのつぶやき

すっかりブログの更新を怠ってしまいました。

 

昨日、餅つきがあり、これまでお世話になっていた「西部耕地」の職員の方に、

「校長先生ったら…、ブログもアップしてくれないし…。」

とご指摘を受けてしまいました。

 

「申し訳ありません、今日の餅つきも、会議があって参加できないんです…。」

そんな言い訳にも、あったかい職員の方々。

笑顔で対応してくれました。

 

子ども達の様子は、写真で確認しました。

みんないい顔でした。

 

今年も大変お世話になりました。

 

さて、標題に戻りますと…、

 

最近、私は子ども達や職員と、「本質」について語るのが面白いと思っています。

本質って難しい感じがしますが、簡単に言うと、

言動の「意図・根拠」だと定義します。

 

「どうして勉強しているの?」

「そのように行動したのはなぜ?」

 

といった感じです。

理屈っぽく感じるかもしれませんが、相手を理解するときに、「どうしてなの?」

という本質の視点が必要だと思うのです。

 

先日、登校したこの子に、こんな質問をしてみました。

「昨日ね、算数の授業を見てたんだけど、あなただけみんなと考えが違ったよね。

 でも、あなたは自分の意見を発表したじゃない?

  どういう思いがあったの?」

 

すると、

「いやぁ…、みんなと違うと分かったから、発表するにも勇気が必要だったんだけど…、

 でも、みんなとの違いをはっきりさせたくて。」

と答えてくれました。

そこにこの子の必要感があったのでしょう。

 

先日、職員の打ち合わせの際、生徒指導(持ち物)について、協議しました。

職員全員がそれぞれの考えをもっているので、そのメッセージを聞いていると、

「なるほどなぁ…。」

と私は心の中でつぶやいていました。

正解を話し合うのではなくて、主張を支える根拠を共有し合うのです。

結局、「こうしよう!」と、焦点化できたのですが、こうした議論を続けることで、

相手理解だけでなく、自分も理解できると思いました。

 

昨日、小中学校の10名で、「ゆうべつ学園」の視察に出掛けました。

義務教育学校化した学校です。

 

様々な視点で観察してきましたが、

随所にこだわりを拝見しました。

付箋いっぱいに文字が書かれた掲示物。

「書くこと」を大切にしているとのこと。

その根拠も分かりました。

 

鞄や靴のしまい方も徹底していました。

「こういうところに学校の様子が出ますよね。」

と話した私に、

「そうですよね。」

と共感してくれた学園の校長でした。

 

もう11月が終わります。

インフルエンザ流行の話が聴こえますが、本校はまだその波には乗っていません。

どうかみなさんもご自愛ください。

 

今回も私のつぶやきにおつきあいいただき、

ありがとうございました。

昨日、11月の全校朝会の場で、Y先生がおもしろい仕掛けをしていました。

 

本人も過去に陸上競技に携わっていた経験を活かし、

「スポーツってするだけじゃなく、知る楽しさもあるよ。」

という主張です。

 

そこで、日本記録、世界記録を知ることに視点を当て、

日本記録保持者の記録を再現していました。

「2m35cm」といっても、ピンときません。

子供たちが授業で使っている走り高跳びの道具じゃ足りません。

その高さに驚きです。

実際に、跳んでいるところの動画を視聴したところ、

「おおおおおおおお!!」

という反応。

 

続いて、

走り幅跳び。

動画をみて驚く様子に、追い打ちをかけるかのように、

「みんなの横にあるコーンが、その記録なんですよ。」

と振りました。

「すげぇえええ!!」

といった後、

「やってみたいですか?」

と投げかけると、

はい!!!

ハイ!!!

 

という子供たち。

走り出して実際に跳んでみました。

「3回分ですね。」

 

日本記録のすごさを知ることができます。

 

そして、砲丸投げ。

砲丸投げの際、砲丸の重さに視点を変えて、7Kgの荷物を持ってみました。

「この重さを20m以上投げるんですね。」

 

そのすごさを改めて価値付けていました。

 

体育というと、すること(技能)面だけに着目されがちですが、

体育嫌いが増えてきている要因の一つに、できるかできないかだけを重要視してしまうことが挙げられます。

走ることが苦手な子に、「速く走りなさい。」という訳の分からない押しつけをされ、

走れないことをまざまざとみんなに見せつけてしまう苦悩の表れなのかもしれません。

 

私は、バスケットはしないけれど、観戦は大好きです。

野球は指導するより実際にすることが好きです。

オリンピックの記録を知って、人間の能力の凄さを共有することもすきです。

 

こういう体育とのかかわり方があっていい

と思う私と、Y先生は同じ視点で主張していたようです。

 

そして、「やってみよう。」とは言わなくても、

子供たちが勝手に動き出す仕掛けをしていたことに、

私は感心して観ていました。

昨日、ダスキンの掃除授業について紹介しました。

一日過ぎた今日、本校の養護教諭と雑談していたことです。

 

「今日、低学年の掃除を観ていたんです。

 雑巾をしぼって拭き掃除をしようとしていた子が、

『そうだ! 手のひらの大きさだった!』

って、つぶやいてたんです。

 昨日の学びがつながってると思いました。」

 

と教えてくれました。

 

私は、子供の学びのつながりを知ることができたと同時に、

養護教諭に話したことがあります。

 

「その子が継続して意識できると本物になるね。

 それもそうだけど、わたしは、あなたのそういった子の見取りをしようとする、

アンテナに感心します。」

 

子ども達だけじゃなく、人は思いや感じたことを表出する手段は違うし、

表出しない場合だってあります。

そういう事実の中、相手を知ろうとするために、

話させたり、書かせたり、表情を観たりします。

前提として、相手を知ろうとするアンテナが大事だということです。

 

ある学級の担任が発行する学級通信に、こんなことが書いてありました。

 

「誰にでも得意なこと、苦手なことがある。その違いを認めることが大事。

〇〇さんが、◇◇さんに、

 『その音、苦手だから、出さないでね。』

 と自分の思いを柔らかく(表現)告げていた。

 自分のことは自分で伝える姿は立派だった。」

 

そのように担任が学級通信の中でメッセージを伝えることができるのも、

子供たちの様子を知ろうとするアンテナを高く張っているからです。

 

この他に、ある学級の廊下には、こんな掲示物もありました。

学び方を学習している高学年の「家庭学習(自主学習)」を紹介しています。

今月の学校だよりでも紹介していますが、

やらされる学びではなく、はてな?を生み出して解決する学びへの、

子供と担任のアプローチです。

 

このように、自分だけでなく、

周りの人、物、事に価値を見付けようと学び続ける学校でありたいです。

保護者の方にきいてみたいことがあります。

「雑巾を絞ることができますか?」

「雑巾の絞り方を誰に教わりましたか?」

「お子さんに絞り方を教えましたか?」

 

今日、ダスキンの方が来て、低学年に掃除の仕方について

出前授業をしていただきました。

まず、ごみの性質についてクイズ形式で教えてくれます。

 

「床から1mくらいにただよっているごみは、どれくらいの時間を掛けて

 床に落ちていると思う?」

 

7,8時間掛けて床に着くそうです。

 

子ども達は、生活の様子を思い浮かべて、様々な言葉でつぶやいています。

ほうきと塵取りの使い方も学びます。

 

ぞうきんの絞り方を学んでいます。

案外、ぞうきんを絞ることができない子が多いのです。

 

私も担任をしていたころ、掃除の様子を観ていると、

机を拭いているはずなのに、べちゃべちゃだったり、

使い終えた雑巾の端を添えずに乾かすものだから、においがしていたり、

雑巾の拭き方ができていなかったりして、

まず、雑巾の使い方について指導した記憶があります。

 

雑巾は四角く、手のひらサイズにして拭くんだよ。

ほうきは、「掃く」んだよ。ごみを「押す」道具じゃないよ。

 

そんな声掛けをしていた覚えがあります。

 

とても大切なことを学習していた低学年の子供たち。

 

お話の聞き方、反応の仕方もレベルアップしていた低学年の子供たちでした。

学校の玄関にある「月別生活目標」の掲示が、ほんわかしています。

「相手のよさを見付けて 伝えてみよう」

という今月の目標において、

学年の分け隔てなく、友達の良さをつぶやいています。

 

「にっこりほめてくれる。」

などのほっこり言葉が並んでいます。

 

良さを伝えることも大切ですが、言いたくなくても言わなくてはならないこともあります。

正解はその時と場によって変わります。

「いいことだけを伝える」

という画一的な抑えではなく、

「その人を理解しようとする」ための手段だということを分かってほしいものです。

 

本日、西興部小学校の高学年と、オンライン学習をしました。

「道徳」の学習です。

オンラインで、他校の子供たちの「家族に対する価値観」を知る学習でした。

自分の体験、経験を根拠に語っています。

少人数でありながら、つながりを実感できる学習でした。

 

オンラインでつながる学習もあり、アナログの大切さも見られました。

この学級の国語では、教科書を読みながら、子供が説明していました。

「だってさ! 〇〇って書いてるから…。」

と、言葉力(国語力)を鍛えています。

 

この子たちは、休み時間になると、校長室にやってきて、

「校長先生! 怖い話お願いします!」

とねだるのです。

毎日やってくるので、ネタに尽きそうですが、(この写真の私は必死にネタを考えている途中です…。)

私の話を聞いて怖がっているということは、

その時の情景、状況をイメージできている証拠でもあります。

「あるところにね、くら~いトンネルがあって…。

 目を開けても何も見えないほど暗いトンネルなんだ…。」

怖くて、叫びだす子もいますが、

話を聞くことを通して、国語力を鍛えることもできます。

 

 

昨日、紋別市教育委員会の方とのつながりもありました。

令和9年度の義務教育学校開校に向けた、合同打ち合わせです。

今後もたくさんの人たちとつながって、準備を進めていくことになります。

外には「雪虫」が飛んでいます。

朝はめっきり冷え込んできて、冬がやってくる準備をしなければ・・・、と思う今日この頃。

 

私が校長室で校務にあたっていたところ、

どこからともなく、とても素敵な歌声が聴こえてきました。

笑い声だけでなく、「イェ~イ!」

といった掛け声まで聴こえます。

 

私は、その楽しそうな音に誘われて、校長室を後にしました。

なにやら、音楽室から発信されているようです。

 

静かに、後ろのドアをあけ、中をのぞいてみました。

「こげよマイケル」を歌っています。

和音(ハモリ)を楽しむ学習でした。

3つのパートに分かれて、音をとっていました。

 

その時の様子を見ていると、とにかく楽しそうで、

みんな笑顔でした。

 

さぁ、歌ってみようか!

と指導者が言うと、

「よし! 全力で!」

と答えます。

全力で歌う曲だっけ?

「ちがった、響かせるんだ。」

 

子どもたち全員の感性を磨いている授業でした。

 

 

低学年では、算数の「学びの山」(学習の進め方)を見て、本時の学習内容を確認していました。

四角形、三角形のちょうてんとへんに視点を当て、身の回りから、その形を探す学習です。

 

「失礼します!!!」

と校長室に入ってくる子たち。

「三角形と四角形を探してます。」

そういう子供たちに、

 

☆いままでの校長先生の中に、三角形の顔をした校長先生がいるかな?

と聞いてみると、

子ども達が、写真を見ています。

少し怪訝な表情をしています。

 

「えっ!? 顔が三角形の人っているの?」

☆いるでしょ? 三角形ってどんな形のこと?

「頂点が3つあって、辺が3本で…。」

「そんな顔をしてたら怖いよ。」

 

三角形の概念を理解していました。

 

その後、四角形はすぐ見付かるけど、三角形はなかなか見付かりません。

私は、ヒントとして、

☆このCDデッキにありそうだけど…。

と再生ボタンに目を向けさせました。

 

「あったぁ!!!!」

「進めの記号とか、矢印の記号にありそうだね。」

 

関連付けて思考するとはこういうことです。

 

授業終了の時間になった時、

「休み時間も探してみようっと。」

「家でも、探してみようかな。」

 

そうつぶやく子供たちをみると、

学びのスイッチが入っていることが分かります。

 

こういう風に子供たちの学びを分析しながら観察するのはとても面白いです。

子供たちが学ぶことを楽しみ、学び続けようとしているときの「瞳」は輝いています。

そんな授業をしていきたいものです。

最近のわたくしは、会議等が重なり、子供たちとのかかわりが少なかった気がします。

最近の子供たちの様子を紹介します。

 

1 マラソン記録会

昨日、マラソン記録会本番でした。

全員が完走したということです。

保護者の方や地域の方々の声援が、子供たちの背中を押してくれたことでしょう。

 

 

 

当日に向けて、マラソンコースを走る練習をしていた子もいたようです。

今日、その子に、

「記録会、どうだった?」

と訊ねると、

「自己記録を更新しました。」

☆影の努力をした成果だね。」

「はいっ!」

 

とてもいい顔をしていました。

安全に配慮して、コースの途中に立ってくれた地域に方々にもお礼を述べました。

 

影の支えをしてくれていた人は、この人も同様です。

コースの水を飛ばしてくれたり、枯れ葉、石を排除してくれていた公務補です。

 

2 学びの自走を目指して

子ども達が自分たちの学びを、自分で進められる条件として、

「ちょっと頑張れば、できる・分かるかも」

と感じられるかです。

 

そうですよね。百メートルを世界新記録で走りなさい

と言っても、現状は無理です。だから、その目標に必要感もありませんし、

何とかクリアしよう!というモチベーションも上がりません。

 

学習というのはこれに近いものがあります。

毎日の学習を進めるときに、

「おや? どういうことだ?」

「なんとか、分かりそうだ。」

といった子供の思考の感覚があれば自走することができると考えます。

では、先生たちはどのような手立てをするか?

これが肝になります。

 

そこで、先生たちの手立てを紹介します。

国語の学習で、お勧めの本を紹介する学習があります。

この学級では、学びの見通しを持たせる工夫をしていました。

下級生のターゲットを決めて、「〇〇さんに紹介する」という設定をして、

学習の道筋を確認していました。

 

この単元で、どんな国語の力を身に付けるかが分かりやすいシートが掲示されています。

 

本校の重点目標「気付きをつなげる子」を、単元の目標とつなげているところに、

学習の意図を感じます。

 

 

グループ学習をしている子たちと、教師と一緒に学習を確認している子たちと、

画一的な一斉授業ではないところに、今後、学校が進める授業像を垣間見ることができました。

 

 

低学年の算数の授業でも、この単元でどんな力を付けたいのか、

どんな自分になりたいのかを確認していました。

 

高学年の社会の学習では、キーワードを使ってその時代の特徴をまとめる学習をしていました。

子ども達が協働しながら、本時のまとめを板書しています。

 

一年生も数か月の成長を感じます。

 

最近、低学年の数人の子が、校長室をノックします。

「失礼します!

 怖い話w、聞かせてください!!」

 

☆よし、わかった。 電気消して、そこに座りなさい。

 いいかぁ、怖くても泣くんじゃないぞ。

 

 これは、校長先生におきた、本当のはなしでね…。

 

「ひえええええええ!!!!」

 

 子供たち、おもしろいです。

 

来週、マラソン記録会があります。

今日は、中間記録会をしました。

 

マラソン記録会という取組がなくなっていく学校が多いのですが、そこに意図がなくなってしまった理由からでしょう。

ただ、本校では、「気付きをつなげる子」の育成を目指し、自分の体に気付く、走り方を知る、こんな時に頑張れる自分を次の活動につなげることを意図としているため、この教育活動を続けているわけです。

 

「走るの嫌だな…。」

と思うのは当然です。

でも、そんな中でも、こんな工夫をしてみたらどうだろう?

と考えたり、周りの友達や先生からアドバイスをもらって取り組むことができたら、

そこに価値が生まれるはずです。

 

 

渚滑小の教員は、そういう見方をしながらマラソン記録会の準備をしているわけです。

今日の中間記録会を見ていると、先生たちも汗を流していました。

子ども達は、マラソン記録会を終えたときのゴールの自分を設定して、

取り組んでいます。

 

話は変わりますが、今日は寒い1日でした。

外を見ると、畑が秋の姿に変わっていました。

 

今年度、場所とサイズを変えて取り組んだ活動です。

担当の職員から畑にかかわる振り返りの視点が提示されていました。

 

「畑のサイズは活動に合っていたか。」

「ビニルハウスのサイズは…。」

 

などの数点ですが、来年度につなげるための視点であり、

目的が明確なものでした。

 

「何かあれば記入してください。」

これほどぼやけてしまう訊ね方はないとはないと思います。

そういう振り返りをしていない組織は、みんなでスキルが向上していきます。

 

「意図と目的を明確に」と、

職員みんなで確認していることが、形として見られる場面でした。

「学び続ける学校か?」とは、そういうところでも評価できます。

午後から、西部耕地に稲刈りに出掛けました。

 

職員の方から、稲を刈るときの説明を受けています。

稲を刈るときに使う鎌の切れ味は鋭く、「安全面」に注意した指導を受けます。

道具を使うときの指導はとっても大切で、「効率」「安全」について学ぶ絶好のチャンスでもあります。

高学年は手慣れた感じで、

「サクッ」

といい音をさせて刈り上げていきました。

 

稲を刈ったあと、稲をまとめて干していきます。

稲をまとめてひもで縛る作業も一苦労です。

 

 

職員の方々が、それはそれは親切で、

でも、子供たちの作業を奪うわけでもなく、

絶妙な手助けをしてくれていました。

流石です。

 

子ども達の手慣れた作業で、あっという間に終了しました。

でも、稲の数も少なく感じたのです。

すると、職員の方が説明してくれました。

 

「みんなのおかげであっという間に終わりましたね。

でも、それだけじゃなく、気付いたと思いますが、

稲の数が少なく感じたのではないでしょうか?」

 

☆うん、そう思った。

 

「その原因はね、6月に稲を植えたんだけど、その時の気温が平均8度くらいだったんだ。

その後、ゆっくり気温が上がればよかったんなけどね。

『分結』と言って、茎が増えて、数を増やせればよかったのに、その時に寒くて、

増えないまま、今度は熱くなりすぎて縦に延びちゃったってこと。」

 

☆へぇ~。

 

数の減少にも科学的に理由があり、気温などが綿密に関わっていることが分かりました。

 

時間が余ったので、機転を利かせてくれた職員の方が、次回の活動の説明をしてくれました。

 

 

職員の方々の動き、配慮が温かかったです。

素敵な体験をさせてくれた皆さんに感謝です。

 

取材に来ていた方から、インタビューを答える子供も、

慣れたものでした。

 

 

食べることは生きること

生きることは人とつながること

ゆえに、食べることは人とのつながり

 

の理論を教えてくれた感じがします。

なにより、大地にこんなにも近づいて作業することこそ、いい体験だと感じます。

 

 

朝の話…。

 

登校した子供がなぜかそわそわしていました。

「校長先生…。」

小さな声で私を呼び止めます。

 

「じつはね…、

 〇〇さん(公務補)が誕生日なの。

 昨日ね、プレゼント作ってきたんだ…。」

 

と教えてくれたのです。

 

「へぇ、そいつはいいねぇ。

 よろこんでくれるかな?」

 

そして、プレゼントを渡していました。

公務補もにっこりです。

 

渚滑っ子の健気さ、純粋さを感じた時間でした。

 

 

先週、ある学級の算数の授業を参観しました。

掛け算のひっ算の学習をしています。

 

前の時間に学習したひっ算の式が黒板に書かれていて、

どの子も理解しているようでした。

 

34×2

 

答えは68です。

 

本時は、26×3

 このひっ算の方法を学習します。

前時との違いが分かりますか?

 

ある子が友達に説明しています。

「26×3の答えは、98です。なぜかというと…。」

 

周りの子供たちが固まっています。

「えっ!?」

 

この子は、なぜ98と答えたのか分かりますか?

この子の説明をきくと、なるほどと思いました。

この計算は98にはなりません。

周りの友達は、78という正解を導き出しています。

でも、どうして98になるのでしょう。A子の考えを聞くと、98になることが分かります。

 

 

算数の面白さの一つは、こうした、子供たちの答えの考え方をみんなで理解することです。

そして、正解の78になる理屈を友達と協力して解き明かしていく過程が面白いのです。

掛け算とは何か?

の本質を学習していくと、納得できます。

そして、ひっ算の方法を理解すると、正解が分かります。

 

「だってさ!!」

ある子がむきになって説明していました。

その説明を聞いても、98と答えたA子さんは納得していません。

 

他の子も、なんとかA子を納得させようと説明を考えています。

 

ああでもない、こうでもないと自分たちの考えを表出させ、その子の考え方を理解しようとするところに、

面白さがあると思います。

そんな、子供たちの思考が現れた授業を観ていると、にやにやしてしまいます。

 

A子の答えは間違いだけれど、

算数のひっ算を学習するときに、つまずくポイントが分かります。

どの教科でも、「つまずきポイント」を想定しておくと、先生はスキルアップにつながります。

A子はずっと、

「でもさ!」

「なんで?」

とつぶやいていました。

こういう、はてな?や、子供の思考を大切にする授業であってほしいと思います。

 

 

 

※A子の考え

すっかりブログの更新を怠ってしまいました。   昨日、餅つきがあり、これまでお世話になっていた「西部耕地」の職員の方に、 「校長先生ったら…、ブログもアップしてくれないし…。」 とご指摘を受けてしまいました。   「申し訳ありません、今日の餅つきも、会議があって参加できないんです…。」 そんな言い訳にも、あったかい職員の方々。 笑顔で対応してくれました。   子ども達の様子は、写真で確認しました。 みんないい顔でした。   今年も大変お世話になりました。   さて、標題に戻りますと…、   最近、私は子ども達や職員と、「本質」について語るのが面白いと思っています。 本質って難しい感じがしますが、簡単に言うと、 言動の「意図・根拠」だと定義します。   「どうして勉強しているの?」 「そのように行動したのはなぜ?」   といった感じです。 理屈っぽく感じるかもしれませんが、相手を理解するときに、「どうしてなの?」 という本質の視点が必要だと思うのです。   先日、登校したこの子に、こんな質問をしてみました。 「昨日ね、算数の授業を見てたんだけど、あなただけみんなと考えが違ったよね。 でも、あなたは自分の意見を発表したじゃない? どういう思いがあったの?」   すると、 「いやぁ…、みんなと違うと分かったから、発表するにも勇気が必要だったんだけど…、 でも、みんなとの違いをはっきりさせたくて。」 と答えてくれました。 そこにこの子の必要感があったのでしょう。   先日、職員の打ち合わせの際、生徒指導(持ち物)について、協議しました。 職員全員がそれぞれの考えをもっているので、そのメッセージを聞いていると、 「なるほどなぁ…。」 と私は心の中でつぶやいていました。 正解を話し合うのではなくて、主張を支える根拠を共有し合うのです。 結局、「こうしよう!」と、焦点化できたのですが、こうした議論を続けることで、 相手理解だけでなく、自分も理解できると思いました。   昨日、小中学校の10名で、「ゆうべつ学園」の視察に出掛けました。 義務教育学校化した学校です。   様々な視点で観察してきましたが、 随所にこだわりを拝見しました。 付箋いっぱいに文字が書かれた掲示物。 「書くこと」を大切にしているとのこと。 その根拠も分かりました。   鞄や靴のしまい方も徹底していました。 「こういうところに学校の様子が出ますよね。」 と話した私に、 「そうですよね。」 と共感してくれた学園の校長でした。   もう11月が終わります。 インフルエンザ流行の話が聴こえますが、本校はまだその波には乗っていません。 どうかみなさんもご自愛ください。   今回も私のつぶやきにおつきあいいただき、 ありがとうございました。
昨日、11月の全校朝会の場で、Y先生がおもしろい仕掛けをしていました。   本人も過去に陸上競技に携わっていた経験を活かし、 「スポーツってするだけじゃなく、知る楽しさもあるよ。」 という主張です。   そこで、日本記録、世界記録を知ることに視点を当て、 日本記録保持者の記録を再現していました。 「2m35cm」といっても、ピンときません。 子供たちが授業で使っている走り高跳びの道具じゃ足りません。 その高さに驚きです。 実際に、跳んでいるところの動画を視聴したところ、 「おおおおおおおお!!」 という反応。   続いて、 走り幅跳び。 動画をみて驚く様子に、追い打ちをかけるかのように、 「みんなの横にあるコーンが、その記録なんですよ。」 と振りました。 「すげぇえええ!!」 といった後、 「やってみたいですか?」 と投げかけると、 はい!!! ハイ!!!   という子供たち。 走り出して実際に跳んでみました。 「3回分ですね。」   日本記録のすごさを知ることができます。   そして、砲丸投げ。 砲丸投げの際、砲丸の重さに視点を変えて、7Kgの荷物を持ってみました。 「この重さを20m以上投げるんですね。」   そのすごさを改めて価値付けていました。   体育というと、すること(技能)面だけに着目されがちですが、 体育嫌いが増えてきている要因の一つに、できるかできないかだけを重要視してしまうことが挙げられます。 走ることが苦手な子に、「速く走りなさい。」という訳の分からない押しつけをされ、 走れないことをまざまざとみんなに見せつけてしまう苦悩の表れなのかもしれません。   私は、バスケットはしないけれど、観戦は大好きです。 野球は指導するより実際にすることが好きです。 オリンピックの記録を知って、人間の能力の凄さを共有することもすきです。   こういう体育とのかかわり方があっていい と思う私と、Y先生は同じ視点で主張していたようです。   そして、「やってみよう。」とは言わなくても、 子供たちが勝手に動き出す仕掛けをしていたことに、 私は感心して観ていました。
昨日、ダスキンの掃除授業について紹介しました。 一日過ぎた今日、本校の養護教諭と雑談していたことです。   「今日、低学年の掃除を観ていたんです。 雑巾をしぼって拭き掃除をしようとしていた子が、 『そうだ! 手のひらの大きさだった!』 って、つぶやいてたんです。 昨日の学びがつながってると思いました。」   と教えてくれました。   私は、子供の学びのつながりを知ることができたと同時に、 養護教諭に話したことがあります。   「その子が継続して意識できると本物になるね。 それもそうだけど、わたしは、あなたのそういった子の見取りをしようとする、 アンテナに感心します。」   子ども達だけじゃなく、人は思いや感じたことを表出する手段は違うし、 表出しない場合だってあります。 そういう事実の中、相手を知ろうとするために、 話させたり、書かせたり、表情を観たりします。 前提として、相手を知ろうとするアンテナが大事だということです。   ある学級の担任が発行する学級通信に、こんなことが書いてありました。   「誰にでも得意なこと、苦手なことがある。その違いを認めることが大事。 〇〇さんが、◇◇さんに、 『その音、苦手だから、出さないでね。』 と自分の思いを柔らかく(表現)告げていた。 自分のことは自分で伝える姿は立派だった。」   そのように担任が学級通信の中でメッセージを伝えることができるのも、 子供たちの様子を知ろうとするアンテナを高く張っているからです。   この他に、ある学級の廊下には、こんな掲示物もありました。 学び方を学習している高学年の「家庭学習(自主学習)」を紹介しています。 今月の学校だよりでも紹介していますが、 やらされる学びではなく、はてな?を生み出して解決する学びへの、 子供と担任のアプローチです。   このように、自分だけでなく、 周りの人、物、事に価値を見付けようと学び続ける学校でありたいです。
保護者の方にきいてみたいことがあります。 「雑巾を絞ることができますか?」 「雑巾の絞り方を誰に教わりましたか?」 「お子さんに絞り方を教えましたか?」   今日、ダスキンの方が来て、低学年に掃除の仕方について 出前授業をしていただきました。 まず、ごみの性質についてクイズ形式で教えてくれます。   「床から1mくらいにただよっているごみは、どれくらいの時間を掛けて 床に落ちていると思う?」   7,8時間掛けて床に着くそうです。   子ども達は、生活の様子を思い浮かべて、様々な言葉でつぶやいています。 ほうきと塵取りの使い方も学びます。   ぞうきんの絞り方を学んでいます。 案外、ぞうきんを絞ることができない子が多いのです。   私も担任をしていたころ、掃除の様子を観ていると、 机を拭いているはずなのに、べちゃべちゃだったり、 使い終えた雑巾の端を添えずに乾かすものだから、においがしていたり、 雑巾の拭き方ができていなかったりして、 まず、雑巾の使い方について指導した記憶があります。   雑巾は四角く、手のひらサイズにして拭くんだよ。 ほうきは、「掃く」んだよ。ごみを「押す」道具じゃないよ。   そんな声掛けをしていた覚えがあります。   とても大切なことを学習していた低学年の子供たち。   お話の聞き方、反応の仕方もレベルアップしていた低学年の子供たちでした。
学校の玄関にある「月別生活目標」の掲示が、ほんわかしています。 「相手のよさを見付けて 伝えてみよう」 という今月の目標において、 学年の分け隔てなく、友達の良さをつぶやいています。   「にっこりほめてくれる。」 などのほっこり言葉が並んでいます。   良さを伝えることも大切ですが、言いたくなくても言わなくてはならないこともあります。 正解はその時と場によって変わります。 「いいことだけを伝える」 という画一的な抑えではなく、 「その人を理解しようとする」ための手段だということを分かってほしいものです。   本日、西興部小学校の高学年と、オンライン学習をしました。 「道徳」の学習です。 オンラインで、他校の子供たちの「家族に対する価値観」を知る学習でした。 自分の体験、経験を根拠に語っています。 少人数でありながら、つながりを実感できる学習でした。   オンラインでつながる学習もあり、アナログの大切さも見られました。 この学級の国語では、教科書を読みながら、子供が説明していました。 「だってさ! 〇〇って書いてるから…。」 と、言葉力(国語力)を鍛えています。   この子たちは、休み時間になると、校長室にやってきて、 「校長先生! 怖い話お願いします!」 とねだるのです。 毎日やってくるので、ネタに尽きそうですが、(この写真の私は必死にネタを考えている途中です…。) 私の話を聞いて怖がっているということは、 その時の情景、状況をイメージできている証拠でもあります。 「あるところにね、くら~いトンネルがあって…。 目を開けても何も見えないほど暗いトンネルなんだ…。」 怖くて、叫びだす子もいますが、 話を聞くことを通して、国語力を鍛えることもできます。     昨日、紋別市教育委員会の方とのつながりもありました。 令和9年度の義務教育学校開校に向けた、合同打ち合わせです。 今後もたくさんの人たちとつながって、準備を進めていくことになります。
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