2024年7月の記事一覧

誇りに思う

 一学期が終わりました。

7月の学校だよりに、私は

「本校職員を誇りに思う。」

と書きました。

その意味をお伝えします。

 

毎日、子供たちのために思考し、試行しながら仕事にあたる職員です。

一学期最後の職員会議で、私は職員をねぎらうとともに、

「懸念していることがある。」

と伝えました。

 

「収穫祭」です。

学校の畑が、残念ながら雑草畑です。

 

「私は悩んでいます。

 このような畑の状況で、収穫祭をすることが子供のためなのかと…。」

 

 明るい雰囲気で終わることができず、申し訳ない反面、

何が問題で、どんな手立てをとるべきなのか全員で考えて欲しかったのです。

 

会議が終わり、

校長室に戻りました。

 

すると、

窓の外から、

「わははははは!!!」

「ぎゃははは!!!!」

という大笑い声が聞こえます。

何事かと窓の外に目をやると…、

 

職員総出で草むしりを始めているのです。

そこには、世界一楽しそうに雑草むしりをしている集団がありました。

 

確かに、先生が世話をすることで問題が解決するわけではなく、

子供たちを巻き込むべきなのは、彼ら(職員)も重々承知のこと。

でも、何か行動しようと考え、

今できる行動に移せるところに、

我が渚滑小職員の「強さ」と「優しさ」

があるのです。

それが、間違いなく学校での教育ににじみ出ています。

 

全員が畑作業をしているその姿を見て、

『この学校の校長でよかった。』

と心から思いました。

 

アイスを差し入れしたとき、

『おれは差入れと口だけ出すから。』

と話すと、

「足りないっすよ。」

と突っ込む職員。

そんな、雰囲気が心地よい。

 

誇りに思う=愛おしく思う=信頼している

 

そんな校長の思いを、一学期最後のブログにしてしまいました。

子供たちの様子も紹介すべきでしょうが、どうかお許しください。

 

それでは、皆様、しばしお別れです。

毎日、校長のつぶやきが中心のこのブログに、

数多くの方が覗いてくださることに、

感謝をお伝えします。

 

暑い夏、ご自愛ください。

毎日の積み重ね

 今日も予報通り暑かった…。

午後の外での活動に制限をかけました。

教室内は、暑さ指数が「26」程度ですが、配慮が必要です。

 

 さて、今日のブログでは、「渚滑小の取組」を視察にきたお客様のお話です。

内容が少し専門的になってしまい、保護者の方には「?」がつく内容かもしれませんが、

学校の教員って、何を考えて授業をしているのかうっすらと分かるかも(?)しれません。

どうぞななめ読みしていただけると幸いです。

網走市のある学校の教員が、渚滑小学校の様子を視察にきました。

「複式学級での授業の進め方について学びたい。」

とのことで、高学年学級の授業を参観しました。

高学年担任は普段通りの授業を進め、

子供たちも普段通りに授業を進めます。

(授業を受けるという立場で参加しません。)

 

担任はファシリテートに徹し、授業のキーワード、核になる内容を

子供たちに気付かせる学習形式です。

 

6年生は、円の半分の面積から、内接する三角形の面積を除いた面積を求める学習です。

5年生の学習は、

倍数、公倍数の学習です。

 

リーダーを中心に授業が進み、

担任は、問い返したり価値付けて授業が終了しました。

 

その後、

協議をしました。

私はその様子を少し離れて観察していました。

視察に来た先生たちが、どのような視点でどのような質問をして、

担任がどのように答えるのか楽しみだったからです。

 

事前に送ってくれた質問のほかに、授業を参観したからこそ生まれるするどい質問に、

授業者も答えます。

「リアル」なやりとりが続きました。

とっさに出される質問にどのように答えるのか、その質によって、

今後に生かされるかが決まります。

 

複式学級であろうとなかろうと、

子供たちは、「学び方」「課題の解決の方法」を学習していく必要があります。

 

「円の面積なんて、これから使うことないのに、どうして勉強するの?」

という批判をよく聞くことがあります。

その批判に、教員は何と答えるでしょうか?

 

その答えに、今後子供たちが身に付けるべき力があると思います。

 

今日、来校した先生たちのギラギラとした参観の眼、

子供たちの未来について熱く語り、

学校を背負っている若者教員たちを目の当たりにして、

嬉しく思いながら見送りました。

 

毎日の積み重ねが大切。

渚滑っ子の未来を豊かにする教育はまだまだ続いていきます。

 

猛暑到来

今日は暑かったです。

校舎の一階と二階では2~3度の気温差があります。

スポットクーラーと扇風機による「冷気循環作戦」をしています。

30度を超えず、教育活動を進めることができていますが、

クーラーが必要な北海道になっていることを改めて感じます。

 

外国語活動の時間に校舎内に隠れたアルファベットを探す子供たちは、

普段と変わりなく元気でした。

 

夏休みまで、3日間となり、

夏休みに向けた計画、目標を決め始めています。

中には、

「起きる時刻は11時!」

と設定している子に、

『普段とそんなに変えないほうがいいんじゃない?』

と指導を受けている子もいました。

 

明日はもっと暑くなる予報です。

朝早くから、教頭先生が学校を巡回し、スポットクーラーの稼働をしてくれていたり、

保健室に設置された「クーラー」を稼働して、臨時避難教室にしたり、

職員の工夫で教育活動を進めています。

 

明日は、飲み物、各自でできる暑さ対策をして

登校させてください。

どんなときも思考・判断・表現力

私は

「人はどんな時に考えるか?」

と思うことがあります。

何となく考えている状態ではなく、何か目的を達成するために考えている状態に

人はいつなるか?

ということです。

 

そういう視点で子供たちの活動を観察していると、

「おっ! 今、考えてるな。」

とか、先生たちの立ち振る舞いを見て、

「いい投げ掛け(しかけ)だ。」

と感じることがあります。

先日、休み時間に体力づくり運動をしていました。

廊下に障害物を置いて「けんぱ」をするチームがありました。

このチームは、その障害をどのように設置するかを考えていました。

この時点で、体育の「思考・判断・表現力」である、

「場の設定」を「自分たちで考える」活動をしていました。

教師が場を作るのではなく、子供たちが目的に応じて

場を設定するということです。

 

次に、なぎさ学級で頭をくっつけて何やら相談しています。

算数の「垂直・平行」について、概念を学習した後、

身の回りにある垂直・平行について調べていました。

その中の一人に私は腕を差し出して、

「この腕に平行な腕にして。」

というと、すかさず自分の腕を平行な位置に置いていました。

「じゃぁ、垂直にして。」

というと、くっつけてきました。

「離れてても、垂直って言えるのかねぇ…。」

というしかけをすれば、子供たちは、がぜん思考するはずです。

 

子供たちはいつも「何となく」考えています。

でも、学校はそうではなく考えさせる場を「意図的に」作り出す必要があります。

 

私はいつも子供たちに虫取りに誘われます。

「校長先生! 虫取りにでもいきませんか?」

『いいねぇ!!』

 

その時に、いつも思うことがあります。

「虫網が玄関にあれば楽なのに…。」

 

いつも理科室のテレビの裏に取りに行かなくてはなりません。

もし、この発想が子供たちから出てくれば、普段私たちがこだわっている、

「気付く子」の成果の一つとして、見取ることができるのだと思います。

ただし、黙っていて「気付く子」になることはなく、私達は

「気付かせる師」になる視点をもたなければなりません。

 

人はいかに楽(効率的)に食料を手に入れるか?

という発想で道具を作り、環境を学び

考えて進化してきた生き物です。

 

そう考えると、

学校は、教科や生活指導を通して、

「自分の生き方に生かす学習を積み重ねる場所」

としての役割があるのだと感じています。

心の勉強は続く

 先日、数年ぶりに1年生の道徳の授業をしました。

 「きんのおの」という題材です。

内容項目は、「正直・誠実」で、正直といえば、

「嘘をつかないで、本当のことを言う」

というレールを敷きがちです。

 

 でも私は、「誠実であるために」時と場合によって、

「嘘をつかなければならないこともある。」と押さえています。

そんな思いをもって、一年生と対峙したのでありました。

 

「ねぇ、正直な人ってどんな人のこと?」

:うそをつかない人

:本当のことを言う人

 

「へぇ、そんな人になりたいと思う人は手を挙げて。」

:全員が挙手

 

「へぇ! そうなんだ。じゃぁ、足が遅い人に、『足遅いね。』って言いたいんだね。

 体が太い人に、『〇〇だね。』って言える人になりたいのかぁ…。」

 

と、揺さぶりの問い掛けをすると、一斉に、

「それは違う!!! 」

「だって!!!」

という反応が返ってきました。

ねらい通りです。

 

「じゃぁ、今日はどんな心のお勉強をしようかね…。」

:正直な人になるためにがんばること

 

という感じで、導入が終わり、物語教材を読みました。

読み聞かせているときの子供たちは集中しています。

 

 このように、子供たちの考えるスイッチを見付け、

どのようにスイッチを入れるかが大切です。

 

 子供たちは、

「自分のことしか考えない正直はダメ。」

「みんなが笑顔になる正直をいう。」

とまとめました。

 

「校長先生と勉強して楽しかったかい?」

とたずねると、

:あっという間だった!

:5分しかたってないかと思った!

 

などと、お世辞だとしてもうれしい反応でした。

これだけではこの授業は終わりませんでした。

 

 帰りに校長室にあいさつに来た子が、校長室に入ってきて、

「校長先生! わたし、優しいウソならいっぱい言っていいと思うんだけど…。」

と、授業の続きを話し始めるのです。

 

わたしも面白くなって、

「優しいかどうか、だれが決めるの?」

と問い返しました。

「だから、まわりのみんなが笑顔になってるかどうかだと…。」

 

「ほぉ…、自分だけじゃ分からないってことか。」

学習が終わっても、話をしてくる子供たちのスイッチを入れたいものです。