学校からのお知らせ

遊ぶということ

 今日、中休みに体育館をのぞいてみました。

子ども達の歓喜の声が聞こえます。

遊び方は様々。

長縄を跳んでいたり、バドミントンをしたり、ボール遊びをしたり…。

 その中に、先生の姿もありました。

 とても素敵な空間でした。

 

 こうした遊びの時間に、子どもの「素」の姿が見えるものです。

いつもは走り回っているのに、元気がなかったり、ルール上のトラブルで喧嘩になったり…。

こうして、子どもの様子を把握する場でもあります。

 

 そんな場面で、大人はどうかかわるべきか…。

「解決策を教えない」ことに尽きると思います。

 

 せっかくトラブルになったのに、その解決策を大人が提示して、子どもは何を学ぶのでしょう?

 そんな状態が続くことで、「トラブルは誰かが解決してくれる」という間違った学びをしてしまうのです。

 つまり、大人がいないと遊べない子を育ててしまうと言っても過言ではないのです。

 

 しいて出番があるとすれば、

「どうしてあなたは、そうしたかったの?」

「〇〇さんの立場なら、どうする?」

といった、解決のための整理をしてあげることかもしれません。

 

 遊びのルールは変わっていいのです。変え方を学べばいいのです。

 何とか自分たちで解決できたという誇らしさを感じ、そしてトラブルを乗り越えた後に、みんなで笑えたという安心感を味わえるよう、私たちは支えていきたいものです。

 

 

学ぼうとするときの姿

 今日の子ども達の様子を観ていると、思わず楽しくなってきました。

 2年生の算数の時間で、24+15の計算の仕方を説明していました。

ここでのねらいは、24を20と4に、15を10と5に分け、10のまとまり、1のまとまりで考えることです。ひっ算の位取りにつながる学習です。

「…ということです。質問はありますか?」

という子の問いに、私は思わず、

「どうして、10と5に分けるの? 8と7でも、12と3でもいいじゃない?」

と揺さぶりました。

 

少し考えた子は、

「だって、10のまとまりと1のまとまりに分けて足した方が分かりやすいから。」

『じゃぁ、15じゃなく、28だったらどうするの?』

と続け様に尋ねると、他の子が、

「20と8に分けるんじゃない?」

と口を挟みます。

 

 そうです。この状態が大切です。

1人が分かればいいのではなく、ほかの子もみんなが理解するように、仕向けるのです。

 

 

 この学級では、〇m×△m×□mの立方体の体積を求める学習をしていました。

 

ただ公式を使って計算するのではなく、1㎥の実物大を用意して、

「この大きさが何個分だろうね…。」

と考えさせていました。

 

 子が学ぼうとする時とは、「やってみたい」「できそうだ」「どうしてだろう」という学びの必要感を味わった時です。

 ですから、そう思わせるように指導者は意図的に仕向けるのです。

そんな授業を1年間(6年間)続けることが、「学び続ける」ことにつながるのでしょう。

 学ぶことが習慣付けることができれば、「学ぶことの価値」を感じ、興味があろうがなかろうが、目の前の課題を解決しようとするのです。

 

 どきどき、わくわくしながら学校で学ぶ子ども達、職員であってほしいです。

 

当たり前を続けることは難しいけど…。

 「躾」(しつけ)について、考えることがあります。

 

「躾」と「習慣」は表裏一体の関係にあると思います。

皆さんは、歯を磨くとか顔を洗うという行動が、「習慣」になっているはずです。

休みの日だからといって、歯を磨かずにいるとなんだか気持ち悪い感じがしませんか?

 だから、自然と歯を磨いたり、顔を洗うことをしているはずです。これが「習慣」です。

 

 こうした習慣を身に付けるために、親は口うるさく言うはずです。

「歯を磨きなさい。」

「顔を洗いなさい。」

しつけとして、その動作の意味を何度も何度も諭すのです。

 

「靴を揃える」

という動作を見てみましょう。

 

 脱いだ靴を揃えるという動作は、実は面倒な動作が1つ入ります。

「かがむ」

ということ。

 この動作がなければ、家に入ることがもっと早くできるはず。

子どもは、何も言わなければ靴を脱ぎ散らかします。面倒だからです。

 でも、家から出るときに、靴を揃えていた方がそのまますっと靴を履くことができるし、そのことを意味付けて意義を理解できれば、自然と靴を揃えます。

 

 つまり、その習慣が身に付けば、良いこともあるし、やっぱり見ていて気持ちがいいものです。

 でも、続けることは、案外難しいことで、習慣付けるためには何度も何度も繰り返すことが大事ということが分かります。

 

私は、集会の時にまず観察する視点があります。

 

「靴」です。

整列している子ども達の靴を見て、紐を縛っているか、かかとを踏んでいないかを観ます。

 

 こういうところに、習慣が表れ、その時の気持ちが見えることも多いからです。

 

登校したあとの玄関にも目を向けます。

 下駄箱の靴が揃っているかです。

 

 色々な学校へ行く機会があるので、私はついでに下駄箱の様子を観察します。

踵を踏んでいる子が多いなぁ…。

靴がそろっていないなぁ…。

 と感じる学校の授業を参観したとき、授業が立派でも、どうも腑に落ちない感じがするものです。

 

 人によって当たり前と思うことは違えど、不変の教育はあります。

胸を張って、「当たり前を指導しています。」

と言える学校でありたいし、そういう大人でいたいと思います。

 

先生の声掛け

 ふと考えることがあります。

一日が終わり、その日の出来事を思い出したとき、その中で記憶に残っている言葉ってなんだろう…と。

 

 先生に褒められたとか、叱られたとか、

友達にうれしい言葉を掛けられたとか…。

 学校の先生の言葉って子供のやる気を促すこともできるし、よかれと思って掛けた言葉が逆効果になることもあります。

 

  

 本日、全校体育があり、縄跳び検定をしました。黙々と取り組む子供たちです。

先生たちも子供たちに声を掛けています。

 たっぷり縄跳びに取り組んだ最後に、担当の先生が次のように話しました。

「みんなが頑張っている姿はもちろんよかったのですが、

 〇〇さんの姿がよかったです。お友達の頑張っている様子をみて、『がんばれ!』って声を掛けていたからです。」

 すぐにできなくても、自分のできることを表現するのは、これからの体育では必要な視点です。そこを価値付ける言葉で、認められた子は自分の行動を肯定することができますし、他の子供たちも「次はそうしよう!」と目指すすがたが明確にもなるのです。

 

 その後、縄跳びの「目標」を設定している高学年の教室を覗いてみました。

 担任が面白い声掛けをしていました。

「もし、高学年の君たちが、汗をいっぱいかいて縄跳びをしていたら、下級生たちは何を思うだろう…。」

 

一瞬、教室がシーンと静まりました。

この瞬間は、子供たちが思考している(真剣に考えている)表れです。

「…きっと、その姿を見たら、自分たちも負けないで頑張ろうと思うとおもう。」

「真似すると思う。」

 

自分のことはもとより、高学年とは学校のめざす姿であることを理解し、多面的に思考させる「声掛け(問い掛け)」でした。

 

 ひらがなを練習してる一年生教室を覗いてみました。

いい字を書いています。

 その時、担任が、「鉛筆の持ち方、上手ですね。」

と声を掛けました。

「きれいに書きなさい。」

と指示しても、何をもってきれいな文字なのか分かりません。

それよりも、「鉛筆の持ち方」を徹底して褒めることで、筆圧が安定し、整った文字を書くことにつながります。

 

 このように、大人の言葉は、とっても大切です。

でも、先生だって(親だって)時には、結果的に間違った声を掛けてしまうこともあるでしょう。

そんな時は、

「ごめんね。こうなってほしかったんだ。」

と謝罪して意味を説明するしかないのです。

 

 みんなが同じ声を掛けるのではなく、自分ならこう言う! 自分にしかできない声掛けとは? を考えて実行できるほうが、楽しい世の中になると思うのは、私だけでしょうか?

価値付ける大切さ

 本日、全校参観日でした。

学校あるあるの1つですが、始業式から全校参観日までの期間、担任の気持ちは何とも落ち着かないものです。

 学級組織(係活動)や学級の約束を決めたり、担任の思いを話す「黄金の三日間」を経て、今日の保護者との対面が、4月の大切な出来事なのです。

 

 私は、全体懇談会で、

「年間1,000時間の学習時間を、子供たちが自分の学びとして『必要感』を感じ、仲間たちと交流しながら学びの質を高めていく。」

その前提として、家庭の役割「挨拶・返事・早寝、早起き、朝ごはん」を再確認してほしいことを述べました。

 

 1週間、各学級の授業の導入を観察していました。

 ある学級では、1年生のお世話をする高学年の役割について、話し合い活動をしていました。

 担任が一方的に活動を紹介するのではなく、1年生の立場になった時、どんな活動がうれしいか、何が必要かを想起させ、そのために何ができるか?を考えていました。

 国語の授業で、本単元を通してどんな言葉の力を身に付けるのかを、「学びの山」を使って考えていました。

 この学習が終わったとき、自分はどんな姿になっているのか見通しを立てるのです。

 体育では、体育館に設置された器具を前に、「どんな運動をするんだろうね。」

と問い掛け、器具と運動をイメージさせる導入をしていました。

 

 このように、教師と子供たち、子供たち同士が相互に交流しながら学習を作っていく形をとることを説明しました。

 

 その後、場を渚滑中学校に移動し、「合同PTA総会」を行いました。

最後に、私が挨拶を述べることになっていました。

 その中で、

 玄関にきた私に、中学校の先生がこう言ってくれました。

『学校のブログ、楽しみに見ています。生徒たちも見ていますよ。』と。

 

 うれしく、心がほっこりした瞬間でした。

 

 どんな立場になっても、自分の行動や言葉に反応してくれるのはうれしいものです。

こうした、「価値付け」をする大切さを、改めて実感しました。

 

 本日、来校くださった方々、総会に参加してくださった保護者の皆様、お疲れ様でした。

子どもの視点

 毎日、学級の様子を見ていると面白い発見と、変わらないものに気付きます。

 低学年の図工の時間に、教科書を見ながら「探し物」をしています。

図工教科の見方として、「いろ・形・大きさ」があります。

お友達が言った、「黄色!」を探したり、「四角!」「歯ブラシ!」を指さしたりします。

 

その時、バディ(相棒)とともに、探したりすることでかかわりをもつこともできます。

 ある子が、こう言いました。

「おひさま!」

 

 すると、一斉に探し始める子ども達。

「えぇえええ、ないよぉ!」

「どこ???」

 私も一緒に探しましたが、どこにもありません…。

「どこだぁ…?」

そんなとき、

「あったぁ!」

 

キャンディの中に、お日様の形が隠れていたのです。

その形を探し当てた子もすごいけれど、そこに着目した子もすごいと思いました。

「へぇ、すごいよ。」

思わず言葉が出ました。

 

子は、いろいろな視点で物事を観ています。

そんな子に、「しっかりみなさい。」とか「よくみなさい。」と抽象的な指示をしても焦点化されていないことが多いものです。

 

 ですから、私たち大人(教師)は、着目してほしい視点、考えさせたい観点を短い言葉で的確に指示することも大切です。

 

子の観察をしていると、学ぶこと多し

 

 追伸

 明後日は、全校参観日です。

保護者の皆様と担任が、初顔合わせします。素敵な出会いになるように、職員は準備を進めています。

お待ち申し上げます。

一年生初めて物語

 入学して2日経った1年生。

早速、高学年との関りが始まりました。

 「読み聞かせ」です。

物語を聞いている1年生の目は真剣そのもの。

読んであげている高学年のお兄さんも、相手は1年生ですから、ゆっくりと感情を込めて読み聞かせています。

 

 「相手意識」という言葉があります。

どんなことでも、相手がいます。その相手の立場になって、相手を想定して行動することです。

 給食も始まりました。

 給食の配膳も、視点変えれば「相手意識」です。

食べやすいように、お皿を並べることもそうですし、箸の持ち手を聞き手に合わせて置くのもそうです。

 

 昨日、玄関で素敵な状況を目の当たりにしました。

 午前授業だった1年生を、2年生のお姉さんが見送っているのです。

「また明日ね。」

「うん!」

「じゃぁね。」

1年生にとって、うれしいことです。

 

 そして、先生たちも子供たちを最後まで見送っていました。

 「明日も元気で来るんだよ…。」

と背中が語っているのでした。

 

 人はつながって生きていきます。

一人じゃ生きていけないから、違いを認め、助けあいながら学んでいきます。

入学式のために(準備する大切さ)

 本日、7名の新入生を迎え、入学式を行いました。

教室で担任の先生からお話を聞くときも、緊張している様子がうかがえました。

「また明日ね!」

「さようなら。」

と挨拶ができる新入生。チーム渚滑小の一員として、素敵な毎日を過ごしてほしいものです。

 

 さて、私は今日を迎えるまでの職員の様子と、今日の子供たちの動きを観察していました。

  

式場の掃除を入念にする先生や、教室の掲示を丁寧にする先生。

水回りを掃除する先生など、

 渚滑小学校にやってくる新入生だけでなく、進級した子供たちのために…という視点で準備を進めていました。

そして、式が終わった後、

手分けして後片付けが始まりました。

このように、膝をつけて丁寧に作業する子供たちです。

入学式自体は30分間で終わりますが、その準備と後片付けというものは、何倍もの時間と労力を費やします。

私は、こうした目には見えない、「縁の下の力持ち」の存在がチームを育てるものだと考えています。

 

 式の中で私は、

「今年のチーム渚滑小のテーマは『気付く』ことです。」

と話しました。

 そのために、みんなで関わること(挨拶、返事、感謝の言葉)を伝え合うこと。周りの変化に気付くことについて説きました。

 

 もう1つ。

新担任と出会う子供たちの様子を見ていました。

 

 お気付きでしょうか?

そうです。「聞く姿勢」です。

担任の指示、説明を聞く態度です。

 話をしている人にへそを向け、目をみてうなずいて聞いている姿がありました。

 私たちは、自分のことをアウトプットできる子に育てたいと思っています。

そのためには、先に「情報を聞く態度」「聞き方」「聞くポイントを押さえる」がとても大事です。

 素敵な癖(習慣)が身に付いた次に、アウトプットできる子に育てたいです。

 

さぁ、新生「渚滑小」がスタートしました。

「明日も来たい・(期待)学校」を実現し、学校に携わる人たちが「幸せ」を感じられるように、進んでいこうと決意を新たにしました。

 地域の皆様、保護者の皆様、これからよろしくお願いいたします。

 

 下校前に、職員室に会釈する子供の姿が…。

「さようなら。」と職員室の先生たちに挨拶をしているのです。素敵でした。 

令和6年度グランドデザインを掲載しました。

令和6年度の目指す子どもの姿は、「気付き、築く子」です。

① 「自分と向き合う」→ありのままの自分を受け入れる(自己認識の力)。場の状況を把握する(環境把握の力)。
② 「自分を高める」→目標や課題を設定できる。課題を乗り越える。
③ 「他者とつながる」→相手の存在を受け入れ、違いを認める。自分の思いを伝える、その伝え方。態度の出し方。

特に、①を大切にした教育活動を展開していきます。4月からもどうぞよろしくお願いいたします。

令和6年度は「気づき、築く子」の育成を目指します。

本日、第76回卒業証書授与式及び修了式を行い、今年度の教育活動すべてが終了(修了)しました。最後の授業にふさわしい、卒業生も在校生もこれまでの力の集大成としての場になっていました。

保護者のみなさまをはじめ、地域のみなさまや関係機関のみなさまのご協力により、今年度の重点教育目標「関わり合える子」の育成に努めることができました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

子どもたち全員に言えることですが、「関わり合える子」の特に「振り返る力」(自己評価能力)が高まったと感じております。
この力は、計算ができた、とか、漢字が書けるようになった、とか、なかなか見える力ではないかもしれません。
しかし、何かを行った後に振り返る…「できた・できない」「楽しかった」だけではない何かを自分なりに考え、言葉にできることは今後の人生の中で大きな力になると信じています。

令和6年度は、「気づき、築く子」の育成に努めてまいります。
特に「自分と向き合う力」(自己認識の力、自分の心を安定させる力)を大事にしていきます。
ゆったりと自分を見つめ、自分を大事にできるよう、職員一同取り組んでいきますので、変わらぬご支援・ご協力を賜りますようお願いいたします。