渚滑からのつぶやき
スポーツパークで絶叫!
当麻スポーツパークでグループ事にミッションクリア!
けが人なし!
これから動物園に向かいます。
バスレク開始
トイレ休憩後、バスレク開始。
早口言葉、タイム当て、10回クイズ。
頭が覚めました。
車酔いの子もいません。
出発!
いい天気。
みんないい顔で出発です!
所々でアップします。
マラソンで自分を築く
昨日、マラソン記録会を開催しました。
コースの巡視をしてくださる見守り隊の方々もいらっしゃいました。
秋晴れの天気の下、スタートです。
ゴールした後、へたり込んでしまう子もいましたが、
たくさんの声援が背中を押したのか、タイムを縮めた子が数多くいました。
最後の振り返りのあいさつの中で私は、
「今日まで、皆さんはそれぞれ「準備」をしてきたと思います。
そんな中、放課後、家へ帰ってからもう一度学校へきて、
コースを走っていた人もいたようです。
こうして準備をした人を、校長先生は観察していました。
その人は、ゴールをしたとき、とってもいい顔をしていました。
立派でしたよ! 〇〇さん!」
おうちの人と一緒に走って練習を積み重ねたようです。
一緒に走ってくれたお父さんのその存在は、力強かったことでしょう。
他にも当日の朝、校長室にやってきて、
「校長先生、マラソンをこの世から無くしてください。」
と冗談交じりに話してくる子がいました。
「なくしてあげたいけどさ、今日は、これだけはやってみようと思える
目標を作ろうか。
例えば、あの電柱までは絶対に歩かないとか、歩いてしまう回数を何回にしようとか…。」
結果、その子はタイムを縮め、振り返りにこんなことを話したそう…。
(学級通信より)
「セカンドウィンド(体が楽になって、つらさを感じなく走る状態)にはいり、
最後にペースアップできた。
そのあと、きれいな花火が心の中に打ちあがった。」
素敵な表現だと思います。
やっぱり、実際に経験しなければ感じることができない表現です。
つらい、苦しい、やりたくない という思いが先行するマラソンですが、
子供は、「自分の変容に気付くことができるか?」
大人(教員、保護者)は、「変容に気付かせることができるか?」
が大切です。
その視点が、「タイム」であり、「取り組み方」だと思います。
放課後に走る。
休み時間に走る。
この取組を通じて、普段から体を動かしてみる。
そんな自分の築きができるといいですね。
児童代表が、応援に来てくださった方々にお礼の言葉を述べています。
「皆さんのおかげで走りやすかったです。」
という言葉が印象的でした。
お疲れさまでした。
【大声援の中、気持ちよくゴールする男】
食べることは生きること
今日、全校児童が「稲刈り」をしました。
稲穂が垂れたわらを持ち、サクッと刈りました。
まず、田んぼに着いてから成長の跡を観察します。
においをかいだり、食べてみた子もいます。
とても大切な視点です。
「あまぁ~い!」
生米をつまんでみた子が叫んでいます。
私は、刈り取るときの道具に着目していました。
刃の部分がギザギザになっています。
持ち手と刃の角度が私の知っている鎌と違います。
これは、「人間の知恵」です。
刈るときにこうしたほうがいいからです。
売っている鎌とこの鎌の違いを比較してみるのもおもしろい学習です。
子供たちの動きを見ていると、
ごくごく自然に「役割分担」をしていることに気付きました。
刈った稲を集める子。
集めた稲を、結ぶ子。
結んだ稲を、棚に掛ける子。
一つの組織が、それぞれの役割を全うしているのです。
この時、教員は指示をしていません。
子供たちが周りを観て動くことができることに感心しました。
20分ほどで刈り終えた田んぼを、入念にチェックしている子もいます。
落ちている1本の稲も見落とさずに拾っているのです。
「ご飯粒を残さずに食べる。」
という躾があります。
お分かりのように、お米を作る作業をした子は、「一粒」も無駄にしないのです。
その価値を知っているから。
何かを大切にする指導をするなら、
それにかかわる作業をさせるのも大切です。
最後に、お礼のあいさつです。
「ありがとうございました。」
の一言で終わることなく、
「私が今日、学んだことは…。」
というように、その学習の価値付けをする挨拶をしていました。
食べるために人は知恵を絞り、
手を加え、
それに応えるかのように、食物は色を変え、
大きさを変え、人に知らせている
そんなことを感じさせてくれる学習でした。
西部耕地の職員の手際の良さは相変わらずです。
今後、脱穀です。
学習に深まりをもたせる可能性のある活動でした。
本日もありがとうございました!
自分の体に気付く
体育学習に「体つくり」があります。
その目的の1つに、
「自分 の体の状態に気付き, 体の調子を整えたり,仲間と豊かに交流したりすることができること」
とあります。その活動に「持久走」があります。
でも、やっぱりマラソンは嫌な子が多いです。
「
先日の全校朝会で、マラソンの「デッドポイント」と「セカンドウィンド」の説明をしました。
『君たちの走りを見ていると、とてもつらい走り方をしていますね。
なぜなら、走ったり歩いたり、極端にスピードを早めたり遅くしたりを繰り返しているからです。』
子供たちはうなずいています。
『走り始めて、呼吸が苦しくなり、脚が痛くなったりして走ることが辛く苦しいと感じる時があります。
これを「デッドポイント」といいます。』
多くの子は、この時に歩いてしまいます。
この状態がつらくて、マラソンが嫌い! と思ってしまうのです。
『ここで走るペースを保っていけば、体が上手く慣れてきて楽に走り続けることが出来るようになります。
この状態がセカンドウィンドといいます。
さて、今日の練習でセカンドウィンドを感じた人は、校長先生に教えてくださいね。』
そうして練習を開始しました。
歩いたり走ったりを繰り返している子もいます。
でも、中には、
「校長先生!! セカンドなんちゃらを感じました!」
と教えてくれる子も。
「あそこの坂で、体が楽になって…。
それまできつかったんだけど。」
ゴールして疲れ切っている子の中にも、
「私も感じました。」
と話す子もいます。
自分の体の変化、調整力に気付くことは生きていく中で大切な要素で、
寒くなってくると、服装を変えて体調を整えたり、逆に暑いときに涼しくしたり。
こうした自分に気付くことは、「生きていく力」に直結しているといっても
過言ではないのです。
【気持ちよさそうに走る教員~セカンドウィンドを知っている男】
道具を使いこなすこと
「熊出没」に関する情報からスタートした今朝。
毎日、玄関で子供たちの登校を見守ってくださる地域の方が、
「いやぁ、久しぶりに熊見たよ。」
と興奮気味に知らせてくれました。
さて、授業を観に学校を回っていました。
高学年は算数の授業をしています。
そこで、目をとめる様子がありました。
ノートに数直線を書くとき、子供たちは「定規」を使います。
その様子を見ていると、子供たちは定規の線の引き方が上手でした。
さっと定規をあてて、さっと線を引く。
こうしたスキルは、いつでも定規を使っていなければ使えるようになりません。
もたもたせず、「サッ」と引くのです。
「親指と人差し指を開いて定規をあてる」
低学年からつけさせたい能力の一つです。
使いこなすを言えば、
先生も「電子黒板」を使って授業を進めています。
子供たちと共有したり、見本を見せて説明したり、
やっぱり便利です。
低学年教室を観ると、
2年生が自分たちで学習を進めていました。
「自分の考えたことを説明してください。」
とリーダーが話していました。
学芸会も終わり、修学旅行、収穫祭と続きます。
先生も子供たちも、普段の授業を大切にして過ごしています。
【学芸会の振り返りの言葉より】~みんなに助けてもらったらうまくいった。
応援は力になるか?
先日の学芸会の様子については、今月の学校だよりをご覧ください。(クリックダウンロード可)
たくさんの保護者の方々の価値付けのお言葉、ありがとうございます。
さて、今回のブログは、「応援は力になるか?」
というものです。
次の写真をご覧ください。
マラソン記録会に向けて動きだしました。
10月10日に記録会があり、今日は、第1回目の記録測定です。
今日の記録より1秒でも縮めることを考えると、
目標となる測定でもあります。
私は今日の様子を観察していました。
すると、あることに気付きました。
子供たちの応援の声です。
私は今まで多くの学校でマラソン記録会を経験してきましたが、
走り終えた子が、これほどまで声援を送る状況を見たことがありません。
「がんばれ!! もう少しだよぉ!!」
「がんばれ! がんばれ!」
この様子を見て、オリンピックアスリートの言葉を思い出しました。
「みなさんの応援が力になりました。」
という言葉。
人によっては、「ほんとに???」
と思っている人がいるかもしれません。
コロナ渦で、スポーツ会場で応援できない時期がありました。
声援をスピーカーで流したり、
顔写真を応援席に貼ったり、
アスリートのパフォーマンス向上に効果はあったのか…?
と個人的に分析してみたいものでした。
本番と同じコースを走る子供たちに、声を掛ける子供たち。
「もうすぐだよ!! がんばれ!!」
声を掛けられると、ものすごいダッシュを見せる子や、トボトボ歩いていた子が
急に走り出したり…。
テンポよく走っていた子が、ラストスパートをかけたり…。
関門に立っていた教員がゴール付近に戻ってきた様子をみた子達が、
「〇〇先生!! あと少し!! がんばれ!!」
という合唱を始め、
なぜか走り出し、ゴールした瞬間に
「イエェ~イ!!」
とみんなで歓声を挙げたり…。
結論…。
「応援は力になるし、仲間意識を高める
ただし、マラソンは同じペースで走るべし」
学芸会を前に…。
この写真は、学芸会を明日にひかえ、
最後の低学年体育館練習の様子です。
一年生の大事な役割の一つに、「はじめのことば」があります。
立ち位置、ことばの言い方、動きを確認しながら
自分たちの役割を果たすとともに、
これまで学習してきた成果を表現する場でもあります。
私が思う学芸会という行事は、子供たちだけでなく、
「指導者(担任)の指導観を鍛える」行事でもあると考えています。
数日前、「総練習」を行いました。
総練習が終わったあと、職員が振り返りの反省会議をしました。
各学年の種目に対して、忌憚のない意見交流が続きました。
「立ち位置を変えたほうがいい。」
「BGMに工夫を。」
「あそこの「間」が気になるから、こうしたほうがいい。」
協議を経て、その後の3日間の仕上げの指導に入りました。
今日の中学年の練習で、
子供たちの振り返りを生かして、その視点で再練習を重ねています。
でも、子供たちだけでは気付かない面もあります。
その時、担任は、
「ここはどうだった?」
と問います。
私は学芸会で、先生の動きを見ます。
4月からここまでの学級指導と教科指導の両方を見取ります。
演じたり歌ったりするとき、その指導者の「こだわり」はどこにあるかです。
ふとした台詞や簡単な動きに、
子供がこだわっているか?
指導者がそのように仕掛けているか?
が現れるのです。
指示や問い掛けに筋が通っているか?
子供たちが戸惑うような言葉になっていないか?
などです。
「声を大きく!」と言っても、
それは具体的な指示とは言えず、変容がない場合が多いのです。
それよりも、
「言葉の一番最初の一文字を大切に、高い声で言ってみよう。」
と指示して話させると、子供自身がびっくりするくらい変容します。
こうした指導をこれまでにしてきたか?
音読を大切にしてきたか?
つまり、普段の学習を大切に、要点をおさえて指導してきたか?
が分かるのです。
低学年の練習が終わり、
担任が、話を始めているのに注目していない子が数人いたとき、
何度もやり直しさせて聞く姿勢をとらせました。
毅然と指示を出しています。
大事な指導です。
個別に「価値付け」ている様子もありました。
「〇〇がよかったよ。」
と声を掛けているのです。
学芸会当日は、ステージの表しか観覧できませんが、
これまでの過程、裏方の動きが分かると、
もっと価値のある行事になります。
明日の学芸会・学校祭にはお気を付けていらしてください。
お待ちしております。
親のかかわり
朝の登校時間に、興味深いシーンを見ました。
私が玄関に行くと、
「校長先生、おはようございます!
これ! トノサマバッタです!」
と見せにきた子がいました。
『ほぉ! 立派なトノサマバッタだ。』
その子は、
「逃がしてあげるんだ。」
と、玄関前の草原に駆け出しました。
そして、虫かごのふたを開け、
「出てけぇ!」とバッタが出ていくのを待っています。
でも、小さなふたから出ていく様子はありません。
そこで、
「そうだ! 草をあげたら食いついて出ていくかも?」
と考え、草をふたの近くで揺らしています。
バッタが出ていく素振りはありません。
次に、
「そうだ! ふたを全部とってしまおう!」
と考え、むしかごのふたをとろうとしました。
でも、かごからふたはなかなか外れません。
そこで、
近くにいたその子の母親に近付いて、
「これ…。」
と言いました。
でも、その母は、すぐにこう言いました。
「自分でやってごらん。」
と、にっこり笑っています。
その子は、母親は助けてくれないと判断し、
自分で挑戦しました。
少し時間が掛かりました。
でも、
「開いた!!!」
自分でふたを外すことに成功しました。
(やったぞ! ぼくは自分でやったぞ!)
という心の声が表情に表れています。
ふたが外れた虫かごを、そっと地面に置きました。
それでも、バッタは逃げません。
さて、どうするか…?
その子は、かごを手に取り、勢いよく走り出しました。
「にげろぉおおお!」
すると、中のバッタはびっくりして飛んでいきました。
『やった、逃げたぞ!飛(跳)んでるぞ!』
と興奮して私が叫びましたが、
その子は、バッタを見失っているようで、
全く逆の方向に手を振って、
「ばいばぁ~い!」
と青空に向かってにっこりしていました。
多分、立派なトノサマバッタを誰かに見せたかったのでしょう。
立派なだけに、怖くて触ることができないけど、
何とか逃がしたかったのでしょう。
その時、大人が代わりにバッタを逃がすこともできましたが、
私は、この子の興味や力を見守ることの方が大事だと感じました。
怖がっている子の代わりに、かごを預かり、
代わりにバッタを逃がした方が早いですが、
でも、この子の知恵や喜びを奪ってしまうことにもなります。
ふたを外してあげることもできましたが、
母親が、
(できるよ。がんばってやってごらん。)
と見守る姿に、同じ気持ちであることに嬉しく思いました。
子への期待、不安、親のかかわり方が、私の思いと一致していたのです。
時々思い出すことがあります。
私が過去に勤務していた学校では、
子供が親を使い走りにして、
「やってもらって当たり前だ」と勘違いしているのか?
と思わせる場面を何度も目にしたことがあります。
例えば、
参観日に保護者が来ているときに、
帰りの会が終わり、一緒に帰ろうと子供が親の前に近寄りました。
すると、自分のカバンをポンと親に投げ、
「持ってって。」
と言うのです。
結構な頻度で目にしました。
こういう、親の存在を(蔑)さげすんだ子供を
そのままにしていいことはありません。
「なぁ、〇〇さん。親にそんな態度はだめだ。
自分で持って帰りなさい。」
と、大勢の前で告げたこともあります。
玄関を親が開けるまで、自分で出ていこうとしない子…。
雨が降ったら傘を親が届けることが当たり前だと思い、
傘を持ってきた親に向かって、
「遅い!!!」と文句を言う子…。
親子のかかわり方に正解はないと言われるけれど、
やっぱり、「子が親より偉いんだと思わせる行動」に対して、
そして自立に向けた本質の、
「自分のことは自分でやる」
「困ったら、自分で助けを求める」
という諭しは、親の大事な役目だと私は思います。
…そうは言うけど…、親の悩みは尽きぬものです。