渚滑からのつぶやき
みんなのつながり(運動会)
「本日もよろしくお願いします!」
合同の職員打ち合わせをしています。
そう、本日は渚滑小中合同運動会です。
心配される天候でしたが、朝は日が差すほどで、これまでの不安定な予報が噓のようです。
登校してきた児童・生徒と最終確認を経て、運動会が始まりました。
参観している保護者の方とも楽しく競技しました。
私は、今回の運動会を観ていて、いくつか感じたことがあります。
まず、運動会を盛り上げる手段の1つ、「アナウンス」です。
「おおおおっと! 紅組がリードしています!!
さぁこの後、どのようになるのでしょうか!!???」
実況は、その場の状況を即興で説明する役割です。
当然、原稿が用意されているわけではありません。
この実況を楽しんでいる子達です。
「いいねぇ!!」
担当の先生たちも、テント前を通る先生たちも声を掛けてくれます。
声を高く、イントネーション(抑揚)を付けてマイクを握りしめていました。
来賓の方々も、
「いいなぁ、このアナウンス。」
と価値付けてくれました。
ライブ感を楽しむことができる子たちが増えるといいなと感じました。
次の写真。
小学校の競技中、中学生が旗を振って応援してくれています。
私の「眼」にとまった理由が、応援している場所です。
中学生種目の時も小学生が同じように旗を振って応援していたのですが、
競技している場から少し遠い場所でした。
(もう少し近くてもいいかもな…。)
と感じていたのですが、さすが中学生。
競技している状況を見極めて、いい場所で応援していました。
こういう時、先生が、「ここまで出ておいで!」
とか、「まとまって!」
など、指示することが多いものです。
でも、それは指示しなければ判断できていないということの現れ。
「横断歩道を指示されなければ渡れない子」ではいけないのです。
今回、生徒会が中心になって応援グッズを作成したようですが、
ひょっとしたら、応援の仕方、応援する場も考えられるとおもしろそうだと感じました。
次の写真。
閉会式、中学校長の挨拶の場面です。
中学生は、つま先をこちらに向けて話を聞いています。
昨年の運動会ブログでも紹介した内容だったと思いますが、
こうした所作を当たり前にしているところに、私は人柄を感じます。
聞く態度が良ければいいと楽観視しているわけではありませんが、こういう態度は、
コミュニケーションの前提、「マナー」だと私は思っています。
そして、生徒会長の話です。
生徒会長の挨拶を、私はいくつかの場面で聞いていますが、今回の挨拶もよかった。
「運動会のテーマは、『きびきびと活動し、はきはきと反応する』でした。
私は、きびきびと動くとき、集合時間よりも前に集まったり、整列したりしました。」
というもの。
「きびきびというのは『きびきびした動作』だけでなく、時間軸でとらえて、想定して事前に動くことも「きびきび」である」
と受け取りました。
閉会式が終わったとき、私は彼女に語り掛けました。
「今日のあいさつ、素晴らしかったね。」
『ありがとうございます! 緊張して少し頭が真っ白になっちゃったんですけど…。』
そう答える彼女でしたが、「事象、言葉の本質を自分なりに咀嚼した表現」を聞き、
私の感想を伝えずにはいられませんでした。
この「きびきび・はきはき」というキーワードを次のように指導していた学級がありました。
6月6日発行 学級通信「中学年」より抜粋
『運動会に向けた取組が始まってから、「きびきび」について子どもたちに話してきたことがあります。
それは、「集合や並んでと言われて、駆け足で行動するのは50点。
言われなくても、動けているのが100点。本当のきびきびとは何かということです。」
(中略)
誰かに言われるのではなく、自分で考えて行動できる姿に本番でも注目していただきたいと思います。』
というもの。
担任が何にこだわり、子供たちにどんな力を身に付けてほしいのかが分かります。
優勝した白組の最後の円陣。
そして、準優勝の紅組。
悔しくて涙を流している子もいましたが、どの子もいい眼をしています。
集合写真を撮る場は、「渚滑のアイドルたち」を撮影する保護者の方でいっぱいでした。
後片付けを手伝ってくれた保護者の方々、
ありがとうございました。
おかげで、雨に当たることなく、計画した日程を終えることができました。
小学校に戻り、先生たちに私は感じていることを素直に伝えました。
その内容は、私と先生たちだけの共有とします。
運動会成功の裏に隠れた先生たちの目立たぬ配慮、
素晴らしかった。
今日を迎えるまでに、家庭での影の努力もあったと聞いています。
一人ではちまきを結ぶのは難しいけれど、家の人と結ぶ練習をした子。
放課後、バトンの受け渡しの練習をしたという子。
多分、中学生の中にも影の努力を重ねた子がいるはずです。
こうした、目立たないけれど自分に必要だと感じて努力する子たちがたくさんいたから、
当日の運動会につながったのだと思います。
なにより、「影のMVP」は、この二人だと私は思っています。
両校の教頭、「窪田」「松本」です。
なぜ影のMVPだと思うのか、
これも私の心に伏せておきます。
今日の実施にあたり、ご来場いただいた地域来賓の方々、
教育長、朝、メッセージを送ってくれた市内校長会の皆様、ありがとうございました。
たくさんの声援と拍手を送ってくれた保護者の皆様、ありがとうございました。
いい運動会だった…。
みんな、
「最高!!」
楽しみながら
先日、「ゆくりば」に反復横跳びスペースが登場したことをご紹介しました。
その場に変化が表れています。
朝、休み時間にこの場で運動している子が増えてきました。
反復横跳びは、「体力テスト」の種目の一つです。
ここで勘違いしてはいけないことに、「反復横跳びがたくさんできるようになる」
ことが目的ではないことです。
数年前、「全国体力・運動能力、運動習慣等調査」が企画され、全国の5年生、中学校2年生が対象となり、
子供たちの体について調査することになりました。
でも、不思議なことが全国の学校で起こり始めました。
本来、子供たちの体力の状況を調査する目的だったものが、
体力テストの結果を上げることに焦点化され、
種目の練習だけで毎日の体育授業が終わるようになってしまったのです。
本末転倒とはまさにこういうこと。
楽しく運動する機会を増やす。
そのためのセッティングです。
ホワイトボードには、記録と名前を記入することになっています。
毎日、記名が増えているのです。
やらされる運動ではなく、やりたい運動の1つです。
「学校の廊下に、長い雲梯(うんてい)があれば面白いのに…。」
「階段が滑り台なら、2階に行くのも楽しいだろうな…。」
私はそう思いながら、学校中を歩いています。
外の畑をのぞくと、
かわいい看板が設置されていました。
「100%おいしいたまねぎ」
「強くりっぱにそだって!」
子供たちのメッセージが書かれています。
そのメッセージの答えは、自分たちのこれからの活動にかかっているのです。
明日の運動会を前に、前日準備を進めました。
てきぱきと進めていきます。
もう少し「挨拶」をたくさんしたかったな…と感じました。
もくもくと進める作業ではありましたが、今後の課題かもしれません。
そして、本日最後のつぶやき…。
分かりづらい場面だと思いますが、昨日の総練習後、
子供たちが学校に帰ってきたときの玄関での一場面です。
子供たちは傘を手にしていました。
とくに低学年は、「傘を閉じてまとめる」という動作がうまくできません。
そんな子を見たとき、皆さんはどうしますか?
私なら、この時担任がとった対応と同じことをすると思います。
「片手に持ってる水筒を持っててあげるから、
自分でやってごらん。」
と言って、じっと見ていました。
そして、時間を掛け、傘を閉じてまとめることができました。
「できた!」
その子はにっこりです。
担任は、
「できたね。よくやったね。」
と価値付けていました。
すぐにできない=手を貸す
のが当たり前になっていたり、
手を貸す=優しい
といった風潮に、私は同調しません。
この世には頑張ってもできないことがあります。
例えば、目が不自由な人に、目を凝らして頑張って見てみなさい。
これは、指導でもなんでもないこと。
体験不足でできないことであれば、やり方を教え、コツに気付かせ、手を貸さないことも指導だと思うということです。
当然、傘のしまい方は事前に教えなければなりません。これは家庭のすべきこと。
「手を貸さないなんてかわいそうだ。」
という人がいるなら、私はこう言うでしょう。
「困っている人に手を貸すことができる人になってほしいから、
今、手を貸さないんです。」
賛否両論あるでしょうが、私はそう思います。
教えるべきこと 見守るべきとき
それをはき違えてしまうと、弱い人間をつくってしまう…。
あくまでもこれは私の主観です。
明日の運動会、無事実施できますように…。
成功の確信(運動会総練習)
本日の天候は雨。
予定されていた運動会総練習は、雨天プログラムとなり、
渚滑中学校の体育館に会場をうつしました。
各種目の動きと係りの動きを確認していきました。
「よっちょれ」を踊っている子供たちの掛け声がよかった!
全員が声を出して揃えたらもっといい!
踊っているときに、中学生が応援旗を振ってくれています。
この応援旗は、中学校の生徒会が作成した物で、数日前に小学校へ通知が届いていました。
「自分の出番ではない時も、旗を使って自分のチームの応援をお願いします。
運動会を盛り上げましょう!」
というメッセージです。とてもいいです。
全ての種目を終えた後、中学校生徒会長が素敵なコメントを伝えてくれました。
「予定より総練習が早く終わったので、みんなで『しっぽ取り』をしましょう!」
すると、歓声が上がりました。
テープでしっぽをつけるサポートを中学生がしています。
準備ができた後、スタート!!
小中児童生徒、先生が入り乱れて走り回っています。
生徒会長が、すべてを仕切っています。いいです。
「〇本以上取れた人は、そのまま立っていてください!!」
この後、生徒会長と話をしました。
「とても、素敵な企画ですね。」
『はい、ありがとうございます。先生にもサポートしてもらいました。』
「そうですか。あなたたちがやろうとしたこと、やってみたいこと、どんどん先生たちに発信してもらえるかな?
小学生と中学生がこうすることって、楽しいと思うから。」
『はい! 分かりました!』
素敵な笑顔とはきはきとした返答は力強く、たのもしくも感じました。
きっと、これからの交流をよりよくする提案をしてくれることでしょう。
期待しています。
そして、最後に各組に分かれて「振り返り」と「勝どき」をして終了です。
「みなさん! お疲れさまでした! 本番…、がんばるぞ!!」
「おぉおおお!!!」
今日の総練習を迎えるまで、各学校では指導と助言を進めていました。
数日前、放送係の指導をしていた場面に遭遇しました。
「…応援お願いします。」
「う~ん、もう少し力が入らないかなぁ…。」
アナウンスの言い方に視点を与えています。
「…応援、お願いします!」
「う~ん、もう少しだなぁ…。 「応援」で少し間をあけてみて、
「お願いします!」を高く言おうか?」
変容させるために、気付かせる問いと指導をしています。
声のトーンを高くすると力強く聞こえるものです。
「声を大きく!」と指導するよりも、こうしたほうが効果的です。
総練習が終わった後も、学校に戻って、その子のニーズに合わせて振り返りをしています。
放送原稿をもとに、友達と確認しています。
児童代表のあいさつをする児童会長も、
挨拶するときの動きを確認していました。
「今のどうだった?」
「すごくいい! 〇〇してたし…。」
と友達に評価させている点もよかった。
できなかったことができるようになっていた場面がたくさんありました。
でも、もっと焦点化してレベルを上げようとすることが、
その子の学びを深めるのも事実です。
私は、総練習をしている間、中学校長だけでなく、中学校職員とも話をしました。
「いやぁ、「よっちょれ」いいですね! 中学生と合同で踊れないですかね!」
と声を掛けてくれたり、
「もっと、こうしたらどうだろう?」
とすぐに変更できることも相談したりしました。
世間話をして、笑ったりした時間も楽しかった。
「小中連携」という言葉がありますが、連携という根本は、コミュニケーションの取り方であり、
世間話をすることも含めて、時間と情報を共有することが前提だと感じます。
「こんなことしたら楽しそうじゃない?」
「こんなことできそうじゃない?」
「やってみない?」
という言葉が、子供たちから生まれてきたり、
先生たちがわくわくすることを意図的につなげていくことができれば
「一貫」に代わっていくと思います。
子供たちが下校し、これから小中合同で今日の振り返りをする時間を設けます。
今日の様子を観ていると、当日の成功を確信することができました。
チーム渚滑、頑張りましょう!!
仕掛ける
朝の子供たちの動きに変化が表れています。
登校して、ランドセルを背負ったまま、じょうろを持って直行します。
玄関横に移設した畑です。
子供たちが作物に関心をもって育てることをねらいとしたとき、物理的な仕掛けが有効だと思います。
学級で当番を決めているようですが、そのうち、当番だから畑に行くのではなく、
作物の成長が楽しみだから畑へ行くとなるといいなと思います。
今日、「ゆくりば」を見ると初めての光景がありました。
低学年の子が算数の練習問題に取り組んでいるのです。
「授業は教室で学習する」という定説がありますが、
私はもっと柔軟であるべきだと思います。
学ぶ場を意図的に選択したほうが効果的であるという前提ですが、
こういった、学習場所の選択もあっていいと思います。
当然、身に着けておく学習規律はありますが、
こういう学習を成り立たせるために、普段の学習規律を整えておくべきかもしれません。
先日、こんな校内連絡掲示板でアナウンスがありました。
休み時間のダンスの練習場所を体育館ステージに設定するとのことです。
テレビもセッティングしています。
この仕掛けにより、
子供たちの取組に自主性が生まれています。
「やらされる練習」ではなく、「やりたい練習」
に変える仕掛けの1つだと思います。
そして、昨日、外でダンスの練習をしていました。
私は後ろでじっと観ていました。
観ているといくつか改善点があると思いましたが、どれも先生たちの気付きとつながりで解決していました。
「ちょっと待ってくださいね。」
と担当教員が子供たちに話すと、
さっと先生たちが集まり、なにやら相談をしています。
子供たちの踊る場所、間隔について協議しています。
「もっと広がったほうがダイナミックに見える。」
「どれくらい、広がりますかね…。」
もう一度子供たちの立ち位置を確認しています。
こっちの方がいいと私も思いました。
そしてもう一つの改善点。
先生たち、どうするのかな…と思っていましたが、先生たち、さすがでした。
担当教員が、子供たちをキビキビと集合させたあと、
「もう少しダイナミックに、力強く見せるために何を変えたらいいかな?」
こういう問いが有効です。
そして、
「掛け声をそろえる」
ようにしました。
教員が答えをすぐいうのではなく、答えを考えさせる問いをする。
指示なのか問いなのか?
普段からこういう細かなこと、些細な仕掛けにアンテナを高くしておくと、
指導スキルも変わるものなのです。
今日は週末。
来週にせまった運動会に向けて、
先生たちもピンと糸を張りつめた状態で毎日の指導を進めています。
大変な疲労があるにも関わらず、疲れを見せず、笑顔で子供たちと接している姿に、
感銘を受けます。
短い休日ですが、ゆっくり休んでほしいです。
来週、少し天気が心配です。
指導と学びをつなげる
しばらくブログをアップしていませんでした。
ここ数日間の様子をご紹介します。
どの場面も「つなげる」がテーマです。
昨日、「畑の苗植え」をしました。
地域の講師(網走農業改良普及センターの方)や紋育バンクの講師を招いて、準備を進めてきました。
過去のブログでも紹介した通り、「子供たちが自分で植えた作物と責任をもって関わる機会を増やしたい。」
という目的から、畑の場所を変更しました。
プランターを使って育てる作物や、
ハウスを使った作物栽培など、
先生たちも指導の準備を進めて当日を迎えました。
低学年の子供たちの中には、シャベルをうまく使えない子がいたり、
苗を植えるための穴を掘ることができない子もいたりして、生活体験の把握をすることもできました。
学校の畑担当教員も、何度も外部機関と調整し、担任団とも情報共有をしていたので、スムーズに進めることができました。
校舎内の廊下には、「種」や「種芋」が展示されていました。
形を変えて成長する作物について、さりげなく展示しておくことで、子供たちの「観る眼」を育てていました。
さりげなく…といえば、「ゆくりば」に、あるブースが誕生していました。
これは、「体力テスト」の反復横跳びブースです。
こういう環境を設置しておいて、子供たちがいつでも使えるようにする工夫があります。
まだ、このブースを利用している子は目にしていませんが、そんな状況を判断してブラッシュアップしていけばいいと思います。
ブラッシュアップといえば…、
玄関を通ってすぐに、生活目標のホワイトボードがあります。
昨年度から指導部が企画したもので、月別生活目標に対して自己・他己評価するものです。
今月の目標は運動会にちなんだ目標で、
子供たちの書き込みを読んでみると、
走り方のコツをつぶやいている子がいました。
この視点がとても大事で、今年度の本校の重点目標である、
「気付きをつなげる子」を育むための視点である、「気付きを使う→思考・判断・表現力」に通ずるものです。
つまり、自分で気付いたコツを、他者にアウトプットすることで他者の考えにも触れ、気付きを深めるのです。
友達に様々な手段を用いて伝えることで、その能力を高めようと試みています。
今日、家庭科室でジュースを作っているクラスがありました。
牛乳といちごジャムをミックスさせたジュースです。
子供たちが関心の高い調理実習ですが、作って飲むことだけに目的があるわけでなく、
作る過程、作る前の準備、後片付けの段取りなど、様々なねらいがあるわけです。
その中でも、とても大事なことが、人とのコミュニケーションです。
「ここ、おさえてもらえる?」
「100グラム入れてね。」
など、必然的に会話が生まれるのです。
出来上がったジュースを職員室におすそ分けするときにも、
「失礼します!」
「〇〇を作ったので、どうぞ。」
などの礼儀、所作、敬語など、使う必要性がある場面を意図的に設定して学習を深めるのです。
学習を深めるといえば…、
校舎を回っていると、理科室で子供たちと担任が悩んでいました。
メダカです。
動物の誕生について,メダカ育てたり、誕生について資料を活用したりする中で,卵の様子に着目して,時間の経過と関係付けて調べていく学習を進めています。
何を悩んでいるかというと、
「どうしたら卵を産んでくれるか?」
という悩みです。
「光の関係か?」
「いや、水温じゃないか?」
など、条件について考えています。
『水温が低すぎるとダメなんじゃない?』
このように考察する学習を通して、条件を関連付ける学習の深まりをねらっていました。
ねらいといえば…、
これは、低学年教室の朝の会の様子です。
担任が、今日の予定を可視化しています。
「スケジュール」を確認することはとても大事な要素で、低学年だけでなく、どの学年においても、
「見通しをたてる」ことは優先すべき指導内容です。
つまり、「ゴール」を明確にするということ。
ゴールが分からずに走り続けることは無理ですから…。
見通しをたてる大事さがわかるエピソードがあります。
この世で一番の「罰」は何かというと、「終わりの見えない作業」だと定義付けた人がいます。
海外の刑務所に収容されている罪人の中に、大変素行の悪い囚人がいました。
どんなに罰を与えても効果がなかったそうです。
でも、次の簡単な作業を指示したところ、その後の行動に変化があったとのこと。
それは、「Aの場所に2m程度の山を作りなさい。」
簡単だとその囚人は、スコップを使ってあっという間に土の山を作ります。
「では、その山をBの場所に移動させなさい。」
たったこれだけの指示ですが、これを数十回続けさせると、その囚人はギブアップしたというのです。
この諸説を紐解いてみると、
「終わりのない単純作業」と「必要性の感じない行動の連続」ではないでしょうか?
子供たちは年間1000時間の授業時間(コマ)を体験します。
学校は、この1,000時間に「必要の連続性」をいかに意図的に仕向けるか?
が大事だと私は思うのです。
話を戻します。
そのために、自分の生活に見通しをもたせる指導は、マストだと思うのです。
マストといえば…、
先生たちは学習しています。
「研修」といいます。
学校独自のスケージュールと内容で、自己のスキルアップを図り、学校力を高めます。
この日は、「自分ならどう授業を作るか?」というテーマです。
それぞれの先生が、制限時間内に一コマの授業を創造するのです。
当然、単元のねらいや身に付けるべき能力を押さえておかなければなりません。
なにより、私はこの雰囲気が良いと感じました。
「こういうねらいがあるけど、どういう導入がいいかな…。」
「どんな板書(黒板の使い方)がいい?」
など、実践を想定した協議ができていました。
さて、長くなりました。まとめにつなげます。
今日、小中合同練習をしました。
渚滑小27名、渚滑中40名が集まりリレーをしています。
時々、紅組、白組に分かれて中学校生徒が活動の価値付けをしていたり、説明をしていたり、
生徒の活動が機能的でした。
こうした、合同の活動を意図的に設定して小中のつながりを深めていくことで、
価値を高めたいと感じました。
放課後、校長室下の畑(昨年まで使用していた)から、
「ギャハハははは!!!」
と笑い声が聞こえました。
覗くと職員が作業しています。
植えきれなかった「芋」を植えていたのです。
昨年もこうした様子をブログで紹介したと思います。
今年もみんな仲がいいです。
笑いと会話がたくさんありますから。
馴れ合いの仲よしではなく、チームとして必要な「情報共有」を前提とした仲良しです。
「自分はこう思う。」
「こんな悩みがある。」
「子供たち、こんなつまずきがあった。」
「では、どういう手立てを考えようか?」
「〇〇さん、喜んでたね。」
そういう情報共有をとることができるチームは強いと思います。
今も職員室から先生たちの笑い声、相談している声が、バリバリ聞こえてきます。
そんな職員室がいいと思います。
長くなりました。
また明日の楽しみにつなげたいと思います。
抽象を形に(具体の指導)
運動会練習が始まり、本日も天気は良好。
今日は、「授業中の子供たちの表情」を観察してみました。
低学年のある学級では、こんな指導をしていました。
私たち大人は、子供の会話の中で、案外「抽象的」な言葉を使っているものだとお気付きでしょうか?
例えば、「話をしっかり聞きましょう。」の「しっかり」や、
「姿勢を正しくしましょう。」の「正しく」などがそれです。
つまり、しっかりや正しくの基準は曖昧なので、何がどういう状態のことなのかイメージできないままです。
でも、子供は「分かっているだろう。」と思ってしまうので、話がかみ合わないのです。
学級を覗くと、「合わせる」という言葉の概念を指導していたようです。
例えば、
「目を合わせてごらん。」=こちらを向く
だったり、
「手を合わせる」=一緒に
など、その言葉に含まれる他の意味を学習していました。
その手立てが面白かった。
目の前にいる担任と同じ形をとるのです。
「目を合わせます。」
じっと子供たちは担任に目を向けます。
次に、
動作を合わせています。
応用で「息を合わせる」ことにもつなげられるかもしれません。
楽器を使った「音を合わせる」などもできるでしょう。
この時、私は子供たちの表情を見ていました。
とっても楽しそうです。
この動きもシンプルです。ですから応用も効くし、子供たちも活動に見通し(ゴール)が分かるので、
安心して楽しみながら取り組めるということ。
何より、担任とサポーターの表情がいい。
授業には笑い(ユーモア)が大事。
観ていてこちらも表情が緩みました。
その後、休み時間になりました。
校長室に戻るとドアをノックする音が聞こえます。
「校長先生、虫取りにいこう。」
と誘いにきた子。
また一緒に虫網を持って駆け回る季節がやってきました。
一緒に外に出た先生と、
「虫網もって駆け回る子って、少なくなったよね…。」
と話す、心地よい時間でした。
つながる活動
中学校とのつながりについてご紹介します。
本校と渚滑中学校は歩いて5分ほどの距離に隣接しています。
時々、来客者が間違えて小学校に来たりもするほど近い立地です。
そんな両校では、「運動会」を合同で開催しています。
昨日、両校の職員が集まって、運動会の合同会議を開催しました。
論点を絞り、てきぱきと進んでいきます。
だらだらとした会議は意味がありません。
そして、今日、二人の小学校職員が仲良く出掛けていきました。
目的は、中学校の授業参観です。
何度も申し上げるように、「授業を大切に」
という思いは、中学校も同じです。
「これから、授業参観に行きますね。」
「どうぞ!」
そんな風通しのよい関係づくりを続けていきたいものです。
そして、小学校の放課後、
中学校のイベントにも参加しました。
「クリーン作戦」です。
中学校のカリキュラムに、小学校が任意で参加させてもらいました。
中学生は、運営を自分たちで進めていました。
本番に向けて、教員がそばで指導、助言をして、当日は生徒が自主的に進めるというスタイルでしょう。
小学校でも同様のスタイルをとっています。
協力して渚滑地区をきれいにしていきました。
小中連携は手段であり、目的ではありません。
人が成長するために、連携できたら有効だから連携するのです。
そのとき、
児童、生徒の成長のためだけでなく、
私は職員が安心して教育活動を進め、自分のスキルを伸ばす場であるべきだと思っています。
そう思えなければ、諸刃の刃です。
中学校の職員のみなさん、今後もよろしくお願いします。
シンプルに
最近、授業を観てみると共通していることがあります。
それは、子供たちが体を動かすための手立てをとっている学習が多い
ということ。
今日、紋育バンクを通じて、楽しく体を動かすメニューを指導してくれる講師を派遣してもらいました。
走り方、スタ―トのコツを教えてくださったり、
身の回りにある道具を使った体つくり運動など、子供たちは楽しく体を動かしていました。
低学年の教室の後ろには、ラダーが置きっぱなしにしてありました。
とてもいい試みでした。
なぜなら、前日の音楽の時間に、3拍子のリズムを体感する学習をしていました。
トントンパ、トントンパ…。
3拍子のリズムです。
こうして、運動の場をさりげなく設定することで、あきの時間を使って、子供たちは自然と体を動かす
ものです。
この他に、エプロン袋を使って、障害物くぐりをしています。
子供たちはキャッキャ言いながら、飽きずに繰り返し取り組んでいます。
これらの運動の共通点は、
「シンプル」
ということ。
難しいルールなく、分かりやすいということ。
ここに自分たちでルールを作ったり、
コツを伝え合うことで、思考・判断・表現力などを鍛えています。
私は、玄関で子供たちを迎えるとき、このボールを子供たちに投げます。
「爆弾だ!!」
といって、カウントダウンすると、子供たちはキャッチしてすぐに友達に投げます。
自然とボールキャッチが始まります。
子供たちに運動を仕掛ける方法はいくらでもあり、
シンプルなほど長続きしますし、思考する機会が増えるものです。
また、シンプルなグッズを探してみることにします。
もしも…。(避難生活訓練)
先週、避難生活訓練を実施しました。
「災害が起きた時に、必要だと思うものは?」
の問いに、子供たちは相談を始めます。
「食料」
「トイレ」
「お金」
などなど、その根拠をもって発表します。
子供たちは、このような避難生活を体験していないですし、
職員でもこのような体験は皆無かもしれません。
紋別市役所の総務部の方が、段ボールベッドを持ってきてくれました。
各学級で組み立てていきます。
「つぶれないね!」
興味津々の段ボールベッド。
次に、非常食、避難セットを確認です。
テントにも入ってみました。
いざという時の対応は、想定しておくことが前提です。
「もし、この生活が、三日続いたら?」
「もし、一か月なら、どう?」
そう問い返すと、子供たちも考えています。
楽しい学習の時間だったようですが、
いざこの生活を続けるとなったら…。
考える機会を与えることはできたようです。
みんないい顔(遠足)
本日、遠足でした。
朝の会では、待ちきれない子供たちの様子が伝わってきます。
玄関前で出発式を待つ子供たちの声は高らかです。
でも、いざ始まると…、
子供たちは一気に変わります。
ありがちな、
「静かにして!」
「話すからこっち向いて。」
の枕詞は必要ありません。
担当者が話し出すと、ぴたっと私語をやめ、目線をびしっときめています。
始まってからの切り替えが整っていました。
「行ってきます!!」
とても楽しそう、嬉しそう。
片道2キロ強の「せせらぎ公園」を目指します。
到着後、全校遊びを始めました。
担当の児童が、要領よく的確な言葉を使って説明していました。
身振り手振りを使うだけでなく、
実際に演じて説明をしています。
3つのゲームをしながら、子供たちと先生と交流を深めました。
先生たちが真剣に遊んでいる姿。
素敵でした。
先生が本気じゃないと、子供も本気になりませんから。
私は、その様子を見ていて何度も大笑いしました。
さて、お弁当の時間です。
…とその時、
パラパラ…。
小雨が降ってきました。
機転を利かせた先生たちが、雨宿りできる場所へ数グループに分けて避難させました。
雨はこの時間だけで、残りの時間は帰りまでたっぷり体を動かすことができました。
帰校した子供たちはぐったり疲れていました。
最後の一言で、私は子供たちに約束を一つしました。
みんないい顔の遠足でした。
人へのアウトプット
先日、ある大学の教授から連絡が来ました。
4月21日のブログ「地味を大切に」を見て共感したとのこと。
教頭が職員室の机の上の整理整頓に感動したという価値付け記事を見て、
「整理整頓に価値を見出せるということは、自分も意識して率先して取り組んでいること。
整理整頓を子に指導できる人は、いろいろな場所の整理整頓を心掛けている人。」
という内容。
数多くの大学生を相手にしている彼は、自分と関連付けて読んだようです。
結びにこう書いてありました。
「私は、汚れている教室を見て、自分で掃除をしていた。
でも、改善しないことに疲れ、見て見ぬふりをして怠けてしまっていた。
これではだめだ!
学ぶ環境を自分たちで整える人(学生)となってほしいから、また、掃除を再開する。」
私は、この言葉に、彼の奮闘する姿を想像したのと同時に、
私が日々とっているアウトプット手段に反応してくれる人がいるということに価値を感じました。
今、私がとっている手段とは、言葉によるアウトプットです。
事実をもとに、自分のフィルターを通してその価値を皆さんにお伝えしているということ。
ともすれば、一方通行で終わってしまいがちな情報ですが、それに反応してくれることに、
うれしく思います。
反応が好意的でなかったとしも、
自分が届けたいメッセージとは違う視点で受け止められたとしても、
このように「アウトプット」することに目的とスキルをもたなければならないことは多いものです。
毎週末、私は各学級の担任が発行する「学級通信」に目を通します。
この学級通信は、作成者の「人」が表われていて面白いです。
通信にQRコードを紹介して、リンクした子供たちの学んでいる動画を紹介するなど、
数年前とは違った方法でアウトプットしている教員もいます。
私の私見として、学級通信には何かしらの担任のメッセージがあるとして捉え、
「この人は何を伝えたいのだろう…。」
と探りを入れながら読むことが多いです。
本日発行のなぎさ1学級の担任のメッセージが目にとまりました。
本人の了承を得て、次の通り紹介します。
【ことばは意外と難しい】
最近、こどもたちと活動していて気付いたことがあります。
それは、「彼らは私たちが思っているよりも、言葉を知らないのではないか。」ということです。
ある日、みんなの楽しかった出来事を説明する学習をしていたとき、
「休みの日にどんな楽しいことがありましたか?」と聞いてみました。
子どもたちは口々に答えてくれますが、
「北見!(北見に行った)」
「家!(家にいた)」
など単語での返答が多く、
「では、北見のどんなことが楽しかったですか?」とたずねると、
「……。」
なかなか言葉がでてきません。
「誰と行きましたか?」
「どんな食べ物を食べたの?」
と一つずつ質問していくと答えが少しずつ帰ってくる…といった様子が多く見られました。
学習の最後に「説明しづらかったですか?」と質問してみると、ある子が、
「どういえばいいかわからないなぁ」と素直に教えてくれました。
思い返してみると、私たちが普段何気なくしている会話は、
意外と内容よりも「表情」や「動作」、「テンポ感」「熱量」など言語以外で成立している場合も多いように感じま す。
ただ、そういった非言語に多くを依存するコミュニケーションに頼ったままでいると、
思うように言葉で説明できずに勝手にしたいことをしてしまい、トラブルになってしまうなど、思わぬコミュニケーションエラーが起きることがあります。
「ここでこういえばいいのに…。」と周りは思っていても、本人からすると、
「何を聞かれているかわからない…。」
「なんて言えばいいか分からないけど考えなきゃ…。」など、必死にいろいろなことを思考していることが多いです。
今回の学習で、私はみんなの困りに気付くことができました。自立活動ではこうした子どもの困りにアプローチして学習を行っていきます。ぜひ、おうちでもお気付きの点があれば教えていただけると幸いです。
という内容。
この担任が体験した事実を、自分の思いを通して価値付けて、保護者にアウトプットしています。
私は、その考えが正解かどうかではなく、自分は担任としてそう判断しているから、この次にこうしたい。という発信が必要だと思っています。
もし何かあれば、相談すればいい。
こうした、メッセージには「人」が表れるのだから、言葉に味を出して欲しい。
そう思っています。
ゴールデンウィーク後半突入を前に、教頭がこんな言葉を、職員掲示でアウトプットしていました。
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【感謝】一か月お疲れ様です。
おかげ様で、無事、1か月が終わろうとしています。先生方の日々の意図的な関わりにあらためて感謝します。本当にありがとうございます。
ゴールデンウィーク前、最後の一日ということで、子どもたちの中には、うきうき、ふわふわで登校してくる子もいるかと思います。こういう時にトラブル、事故が起きやすいものです。本日も気を引き締めて一日を乗り切り、有意義なゴールデンウィークを迎えましょう。本日もよろしくお願いいたします。
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それではみなさん、よい休日を。
先生ってどんな人?
「物事を多面的にみる」
という言葉があります。
人や状況を一方的に見て判断するのではなく、様々な角度から見たり聞いたりして判断するということ。
例えば、私は身長が高いです。ですから初見、子供は近寄ってきません。怖いみたいです。
でも、少し話してみたら、違った印象を持ってもらえることもあります。
こうした印象、先入観というのは自分の体験から出来上がることが多いものです。
さて、みなさんは次の言葉を聞いて最初に思い浮かべるものは何でしょう?
「友達」
「家族」
「先生」
多分、これまでの生き方によって、誰もが想像するものが違うのではないかと思います。
その中で、「先生」と聞いたら何を思い浮かべるでしょう。
ここで本題に入りますが、
案外、子供たちも先生たちの表の顔しか知らないものです。
それなら、新たな一面を見せようじゃないかということで、指導部が中心となって計画し、
月一度の全校朝会で、校長の話ならぬ「先生たちのお話」と題して、
先生たちが各々テーマをもって、子供にメッセージを届けようという企画を立ち上げました。
今年第1回目の担当は、低学年担任です。
「子どもじまん」を視点にプレゼンするようです。
昨年誕生した自分の子の子育て奮闘記です。
この話を聞いている子供たちの表情が生き生きしています。
「離乳食をつくるときも、いろいろ考えました。」
「へぇ!!!!」
終盤に近付くにつれ、メッセージが見えてきました。
『ご飯を食べる時もね、手で握って柔らかさを知ろうとしていたり、
ごはんを下に落として、落ちる様子を見ていたり、
その様子を見ていたら、叱ってしまいたくなるかもしれないけど…。
でも、失敗に思えるけど、学んでるんだな…って思えるんです。
みんなも、たくさん失敗して、そこから学んでくださいね。』
笑いあり、驚きありのプレゼンは、
多面的に見ると、赤ちゃんの「かわいらしさ」と「生き方」、「失敗から学ぶ」だったようです。
聞いている人たちは、どんな視点で聞いていたことでしょう。
このあと、子供たちに感想を聞きました。
低学年の子は、「かわいかったです。」
という感想でした。
こういう場で感想を述べる学習は、貴重です。
感想や質問したいことを考えながら聞く癖がつくと、
聞くための視点(こつ)が分かってくるからです
高学年につれて、レベルの高い(視点を決めて、自分と関連付けたり、比較させたりなど)
感想が出てくると、本校が日常授業で意識する「見方・考え方を働かせた学び」の分析にも使えそうです。
朝から素敵な雰囲気でスタートできるこの活動。
手探りではありますが、楽しみな活動です。
まだまだやってみたい企画もありますが、この活動を1年間継続してみて、
先生たち、子供たちがどう振り返るか楽しみです。
まずは難しいことを考えずに、楽しく。
来月は、「事務職員」が担当します。
今こそ想像する(およそを見通す)力を
みなさん(どなたがご覧になっているのか分からないのですが…)は、幼い頃、「怖い話」を聞いたことがあると思います。世にいう怪談話。
最近、この怪談話を学校で話すことを禁止する学校があるそうです。
その理由は、「夜、子供が怖くて眠れなくなるから。」
「トラウマになったら取り返しがつかない。」
と保護者からの指摘があったとのこと。
だとすると、過去の私は恰好の指導標的になっていたことでしょう。
休み時間になると、「先生! 怖い話して!」
と要求され、私は、
「よし! 怖い話するよ。聞きたい人集まれ!」
そう言って、カーテンを閉めて、わざと暗く低い声を出して話したものでした。
噂が広まってほかの学級の子も集まってきたものです。
「ぎゃぁ!!」
と叫び声をあげる子もいました。
でも、そういう刺激を求めて何度も話を聞きに来る子が多かったのも事実です。
たしかに、親にとって、子が眠れなくなることは心配なことです。
でも、子供が「怖い」と思えるのは、その話の状況をイメージできているからです。
つまり、その状況を想像する力があるということ。
私は、先を見通したり、見当をつける力は、生きていくうえで大切な力だと思っています。
水彩画を描くとき、筆洗いの水差しに水を満杯に入れて溢れて持ってくる子や、
パレットに絵の具を山盛りに入れて、べとべとになっている子…。
必要な量を見通せていない証拠です。
見当をつけたり、予想したりする力はこの他にも活用されるものです
こうした想像力を身に付ける方法としていくつかの手段がありますが、
まず、代表的なことは、「本を読む」こと。
文章の言葉から情景や、登場人物の心の変化を読み、作品のメッセージを読み取るのです。
もう一つが「物の質感、量感」を鍛えること。
皆さんも以下の問いに答えてみてください。
「何人ぐらいいますか? 3秒で答えてください。」
(フリー素材)
時間をかけて人数を数えれば分かることですが、
ここで試したい力は、「およそ」を考える力なのです。
多分、20名弱と答えたり、30人はいないかな…。
と答えるはず。
でも、こうした量感を鍛えなかったら、「100人!」などと、思いついた数を言ったり、
「分からない。」と答えるのです。
以前、ある学校で勤務していた時、
その市の港に豪華客船が来るということで子供たちと見学に行ったことがありました。
豪華客船を前にして、私は子供たちに予想させました。
「大きな船だねぇ、船の長さはどれくらいか予想してご覧なさい。」
紙に予想した長さを書かせて提出させました。
すると子供たちの中には、「1キロ」と答えたり、「10メートル」と答えたりする子が4分の1ほどいて、
長さの概念を理解していなかったのです。
算数で長さの学習をするけれど、概念は理解していなかったということ。
これでいいのか?
長さの足し引き算ができても、実際の長さや重さを想像できなくていいのだろうか?と…。
それから私は、自分にできる教育を考えました。
いたってシンプルです。
とにかく想像させることを問うのです。
算数では、生活の中で使わない数字や単位を使った問題が出されます。
例えば、「1人、6分の5㎏の土を使うのなら、3人分なら何㎏の土が必要になるか?」
こうした数字に対して、
「6分の5㎏って、1㎏より重いの?」
とか、
「6分の5㎏の土って、どのくらい? 手で表現して。」
など、さらっと聞くことを増やして、そうした問いを継続しました。
国語でも、
『登場人物に「お母さん」が出てくるけど、
もし、「母ちゃん」や「母さん」、「おっ母」だとしたら
どんな人物像になるだろう?
お母さんの人物像を表している言葉を見付けてごらん。』
など、言葉に着目させて想像させることを意識したものでした。
私は渚滑小学校の授業をそういう視点で見ています。
「想像させるその材料を与え、思考させて考えを言葉で表現させているか?」
ということです。
今日の渚滑小学校へ戻ってきましょう。
今日、私のミッションは、「各担任は、先週の提案授業後、協議したことをどのように活用しようとしているか?」
を観ることにしました。
4年学級では、算数をしていました。
「見通す」過程で、「10倍」という言葉を使っていました。
「まとめ」では、この言葉を使ってまとめてありました。
中学年学級では、「時間の長さ」の学習です。
「時間を足すことで、何分先の時刻が分かるか」
ということ。
「どうして足し算だっていえるの?」
の問いをして、
「あわせて」だから!
と言葉から根拠を確認しています。
「まとめ」を子供たちが考えて進めていました。
その時の視点は、「時間をたして、分をもとめ、時間になおす」
ことでした。
低学年の外国語活動では、じゃんけんをして大盛り上がりでした。
1年生学級では、クロームブックを使って調べ学習をしています。
学ぶことを楽しいと思えるために、
子供に、
学びがつながっている→自分の生活や次の学習に活用できる
を実感させられるか?
だと思います。
先生方は日々研鑽を積んでいるのです。
「眼で聴く」子 その後「畑完成!」
本日、交通安全教室を行いました。
紋別自動車学校の職員の方、紋別警察署の方に指導をお願いしました。
まず、開講式を行い、私と警察署の方が子供たちと職員の方に挨拶をしました。
挨拶を聞く時の態度、そして反応がとてもよかったです。
「昨日、交通事故がありました。
信号が青だといっても安心してはいけないのです。」
という警察署員の方の言葉に、うなずきながら聞く子供たち。
「えぇ!!!」
などの感嘆の言葉も出ています。
「眼で聴く」といった感じでした。
その後、自動車学校長や警察官の方が私にこうおっしゃいました。
「いやぁ、子供たちがあれほど反応してくれると、話をしていても気持ちがよかったです。」
「普段から意識しているんですか?」
いろいろな学校で同じように話をしている警察官の方からのフィードバックは、
私もうれしく感じました。
その後、私は帰校して畑づくりに精を出しました。
裏の畑から土を運んでくださった、PTAの大久保さんと公務補と、
暖かい日差しの中、せっせと力仕事をしました。
新しい畑の周りに境界となるブロックを40個敷き詰め、(これが結構きつかった…。一つ20キロ以上あったと思います)
その後、土を運んでもらいます。
土をならして、完成です。
子供たちが、「何してるの?」
と聞いてきます。
陽もばっちり当たっています。
心地よい疲れです。
「校長先生、お疲れさまでした。ありがとうございます。」
と声を掛けてくれた職員の声が、素直にうれしかったです。
さて、これからは先生と子供たちの出番です。
地味を大切に
人によって「当たり前」は当たり前ではないことが多いものです。
でも、私たちが大切にしたいことは変わりません。
例えば、「挨拶」、「整理整頓」、「目標に向かって頑張る」などです。
こうした当たり前って、続けることは難しいものです。
今日、学校を観て回っていると、大切なことを大切に指導している先生たちの姿がありました。
月曜日の朝の時間、「縄跳び検定」をしています。
昨年度まで、休み時間を利用していたのですが、「子供たちの休み時間を確保しよう」という視点で、
朝の活動としました。
昨年、縄跳びが上手く回せていなかった子が、
4回跳ぶことができるようになっていた姿を見て、
「継続は力なり」の言葉がぴったりでした。
2年生の教室では、カードを糊で貼り付ける作業をしていました。
その中で担任は、「カードのどこに糊をつければいいんだっけ?」
と何気なく問うていました。
低学年だけでなく、こうした指導が徹底していなかった子は、
紙一面にべったりと糊を塗り、紙がしわしわになっていることがあります。
提出したときに、周りの紙とくっつき、作品が台無しになることも…。
紙の端にそって一本の線で…
そういう声掛けが大事なのです。
そして、6年生の教室。
机の上がきれいに整頓されています。
これは休み時間です。
前の授業の後、教科書類を出しっぱなしにすることなく片付けたことがわかります。
机の中も整理整頓されています。
担任の声があったことでしょうが、この先、これが言われなくても当たり前になるといいですね。
最後は、職員間で情報を共有するときに使う、職員室内の校務パソコンの画面です。
ふと見ると、教頭が先生たちの机の上の整理整頓について価値付けるコメントがありました。
「職員室の机の上がきれいで、感動しています。」とのこと。
こういうふとした場面に価値を見出せるチームがいいと思っています。
案外、「地味」なことに大切な要素があるものです。
素敵な方々(つながり)
雪解けが進み、校舎周りに見える「白」景色が変わりました。
こうなったら行動に移したいことがありました。
それは、「畑作り」です。
昨年度、畑の使い方、作物の世話、収穫祭の流れについて、全職員が考えました。
「土起こしから、作物を収穫して食するまでの活動を、もう一度見直そう」
というものです。
昨年、私は「収穫祭は中止しよう」という提案をしました。
その提案に一石を投じた職員たちだったのです。
システムをすべて見直し、その構想を視覚化し直したのです。
ここまで形にしたのですから、今度は管理職の出番です。
これまでの活動を見直したときに、物理的な課題も見えてきました。
校舎の裏にあるために、「日照時間」「世話をするときの子供の動線」を考えたとき、
畑の移動が有効だと分析しました。
そこで、職員の要望を叶えるべく、PTAの方と相談の上、実行することにしました。
先日、酪農家の保護者の方に重機で仮掘りしてもらいました。
「うまく掘れないな…。」
という報告を受けました。
そこで、「手掘りしよう。」
ということで、私と公務補は二人でシャベルを手にしました。
3×15メートルの土地は、想像以上に広く感じました。
粘土で足はとられ、砂利が混じった土にスコップはうまく刺さりません。
「こりゃ、数日掛かるね…。」
とつぶやきながら、せっせと掘り進めました。
腰も痛いし、息も上がる…。
でも、言い出したからには止めるわけにはいかぬ!
5分の1ほど掘り進め、休憩しようかと思ったその時!
「何してるの?」
という男性の声が…。
その声の主は、ちょうど玄関前の工事に来ていた「大和建設」の方でした。
『畑を作るんです。』
と説明すると、
「ん? 手で?」
『はい、どれだけ掛かるか分からないですけど…。』
「大変だろう。なんも、やってあげるって。重機あるから、できるって。」
『えええええええ???(目が輝く)
いいんですか??
ほんとに、甘えてしまいますよ!!!!』
ということで、お願いすることにしました。
2時間ほど、重機で土を掘り、その上ダンプで廃土までしてくださいます。
お昼をはさみ、砂利を敷いてくれました。
オペレーターの鈴木さんは、丁寧な作業をしています。
手作業で砂利をならしているかのように、ゆっくりと動かしています。
こうして1時間ほどで、砂利の整地が終了しました。
私は、社員の方々とお話しする中で、
「いい顔してるな。」
と感じました。
「いいって! 世話になってるし!」
「何かあったらまた言ってよ。校長!」
と掛けてくれた言葉と一緒に、いい顔で笑ってくれるのです。
「いいひとだぁ…。」
心の声がだだ洩れです。
「ありがとうございました。」
と心から申し上げました。
学校は、いろんな人に支えられて成り立っていることを再認識しました。
小林さん、鈴木さん、社員の方々、お世話になりました。
これからも渚滑小学校をよろしくお願いします。
この次の作業は、畑に土入れして土を起こします。
今年1年間が楽しみになってきました。
(低学年の体育 楽しみながらシンプルな運動で体を動かす)
できるようになることを増やすために
今日の私のミッションは、「子供たちとたくさん話す」ということに決めました。
自分から声を掛けようとしていましたが、子供たちから話し掛けられる機会が多かった一日でした。
まず、本日は「全国学力学習状況調査」で、6年生が国語、算数、理科の問題にトライしています。
全国の6年生が一斉に調査します。
今日は、一年生の子と話す時間が多く、色々な視点で観察することで多くの気付きがありました。
一年生の教室に行くと、こんな写真が机の上に置いてありました。
机の中を撮影した写真です。
「机の中の整理整頓の仕方」を視覚で分かりやすく指導していました。
この他に、担任がいくつかの写真カードを常備していました。
校舎内の場所を撮影したカードです。
「この次の時間は、ここに行きます。」とか、
「今の学習が終わったら、どこへ行きたいですか?」
と訊ねています。
言語化して説明しずらい場合に役立つ手立ての一つです。
子供は安心して「主張」できるわけです。
この他にも担任は、「規律」も丁寧に指導していました。
授業の終わりのあいさつ。
教室から出ていくときの椅子のしまい方など、
どれも大切な規律指導でした。
本校の支援員や学習サポーターは優秀です。
その人材が効果的に機能するために必要なことは、
「情報共有」です。
担任と支援員が情報を共有し、役割分担して、指導の手立てを見付けています。
今日、支援員が私にこんなことを教えてくれました。
「今日、〇〇さん、立派だったんですよ。
自分で失敗したこと、謝ることができたんです。
あのことを謝ることができたなら、これから何でもできますよね。」
と、その子を前に私に報告してくれました。
その内容を聞いていたその子もまんざらでもない表情で、照れていました。
ミスしても褒められる経験は、とても大切な経験です。
「すごいな。スーパー一年生になれるな。楽しみだ!」
と私が話すと、本当にいい顔をして笑いました。
その後、校長室のドアをノックする音がします。
「しつれいします。」
という小さな声がしました。
「校長先生にみせたいものがあります。」
と言うのです。
教室に置いてあるそうなので行ってみました。
廊下を歩いているときも、
「すごいんだよ! ほんと、すごいからね。」
と早く見せたくて仕方ない様子です。
ジャァ~ン!!
ブロックで動物や想像の生き物をつくったそうです。
「すごいな!! いっぱい作ったね。
いくつあるんだろう…。」
数の数え方の導入に使えそうです。
「一番気に入っているものはどれ?」
そんな会話をして、教室を後にしました。
たった一週間ですが、一年生はできることがどんどん増えていることが分かります。
担任の言葉柔らかく、細かな指導。
担任をサポートする交流学級の担任や、支援員、サポーターが機能しているからです。
時は過ぎまして…、
休み時間、ある子供が話し掛けてきました。
「校長先生は、優しい人だね。」
いきなりです。
『ほぉ、うれしいこと言ってくれるねぇ。あなたにとって優しい人ってどんな人のことをいうの?』
「落ちている鉛筆を拾うような人。」
『校長先生は、そういう人に見えるんだね。
じゃぁ、毎日下を向いて歩いていくよ。 はははっは…。』
廊下を歩いていると、私に話し掛けたそうにしている子がいました。その子は4月に転入してきた子です。
『ん? 〇〇さん、元気?』
「はいっ!」
『渚滑小はどうだい? 何をしている時が一番楽しい?』
「友達と遊んでいるとき。」
『そうか、友達ができたんだね。勉強はどうだい?』
「少ない人数だから、すごくやりやすいです。」
『そうか、それはよかった。まぁ、何か悩み事あったら、校長先生にも言ってよ。じゃあね。』
この他にも、自分が好きなキャラクターを教えてくれる子や、
体育館で夢中になって体を動かす子、
過ごす場所は違えど、みんなつながっている感じがしました。
休み時間が終わり、二年生の国語の学習を参観しました。
物語の学習をしています。
登場人物の会話文をどのように読むか、学習しています。
誰がなにをしたか どんなことをいったのか、何度も読むことで内容を理解するのですが、
国語では、「言葉」に着目します。
ゆれる ゆれる おどる とける とける 水になる
といった表現を、リズムよく読んだり、
繰り返す言葉のあとにイメージする状況を楽しいと気付かせる指導も大事。
私がじっと見ているので、役割読みをすることが、恥ずかしくなっていた二年生に、
「校長先生ね、不思議な文を見付けたんだけど、
『南の方を向いて言いました。』って書いてあるよね。
どうして南の方なんだろう…。北とか東じゃダメなのかね?」
と問いました。
読むことをこだわらせるには、こうした「言葉」に着目させて、考えさせる必要があります。
すらすらと読むためには、こうした情景のイメージが大事ということ。
授業をみていると、こっちが楽しくなります。
というように、今日の私のミッションは多岐に渡り楽しい時間となりました。
教師は演者
全校参観日から今日まで会議が続き、私は学校を空ける日が続きました。
数日ぶりに学校へ出勤し、授業を観ました。
本校の職員は、自分が担任する児童をよく観察しています。
私が先生たちの授業を観る視点があります。
その一つが、「子供たちの眼」です。
授業を進めているときの教師の言葉への反応が
もっとも現れる視点です。
後ろの男の子は、説明したくて仕方ないといった感じで、身振り手振りを使って、
「だから、えっと! うんと!」
と話しています。
そして、教師がこういう、「声を発する動機」を促しているかを観ます。
その時の教師は、
「へぇ! そうなんだぁ!」
と明るい声で反応しています。
「じゃぁ…。」
様々な子供たちに目線を配り、子供たちは、あたかも自分に語り掛けられているかのように、
目線を釘づけにしています。
この女の子の眼もとってもいいです。
自分の言葉を伝えようと必死でした。
教師も身振り手振りを使って、
「なるほど!」
と反応しています。
そのうち、
「今言ったことって、どういうこと?」
「〇〇さんが言ったことと違うと思うけど…?」
なんてすっとぼけてもいいかもしれません。
他の誰かが説明し始めることでしょう。
つまり、教師は演者なのです。
教師の明るい表情、声は、子供たちの学びスイッチを入れる特効薬でもあります。
今日も「ゆくりば」から「ぎゃはははは!!!」
と大笑いする子供と教師たちがいました。
外の天気は悪くても、渚滑小は晴天な一日でした。
激務を一段落(全校参観日)
本日、全校参観日でした。
渚滑地区は、小中で同一PTAなので、PTA総会も同じ場で開催します。
総会を前に、挨拶しました。
「学校あるあるを一つ述べさせていただきます。
4月1日から今日まで、教職員は『激務」でした。
新しく出会う子供たちへの指導準備、その他、事務業務などそれはそれは激務です。
今日の全校参観日が、ひと段落つける日です。
私もホッとしたい気分です。」
着席していた、職員が笑っています。
総会終了後、義務教育学校についての説明も行いました。
このPTA総会を前に、各学級の授業を参観しました。
新しい担任と子供のつながり具合を見てもらう貴重な時間です。
授業参観を終えたあと、
合同懇談会があり、その場で次の説明をしました。
「ジャングルに軽装で、「生きていけ」と言われても、
生きるための術、技能がなければ生き延びることは難しい。
この例えを教育界に置き換えて考えると、
小学生の子供たちに、「自分で考えろ。自分で判断しろ。」と言ったとしても、
その術がなければ考えられるはずはない。
小学校で培うべき技能、知識、思考を身に付けさせるために、
毎日の授業を大切にしようという考えから、
『気付きをつなげる子』を今年度の重点目標とする。」
と説明しました。
この他に、あゆみ(通知表)の評価期間の変更、長期休業中の学習サポートについて説明をし、
事務職員から、教材無償化について説明をしました。
保護者の皆さんはうなずきながら耳を傾けてくれました。
一段落して、また来週から渚滑の教育を進めます。
黄金の3日間。2日目
本日の渚滑小学校の様子です。
どの学級も今日の目的を明確にしていました。
授業を観に行きました。
「頑張っている人をみたら、どんな声を掛けたらいいと思う?」
学級で大切にしたいことを、子供たちと話し合っています。
授業を進めている学級では、昨日の約束を確認しています。
担任が変わると、システムも変わります。
学校全体で共通した指導方法は当然必要ですが、
私は、「担任によって違う」ことを学ぶ意義は大きいと思います。
世の中、同じシステムじゃなきゃ混乱するから…、
という理由で、同じ手段を必要とされがちです。
当然、ルールは共通のシステムをねらった意図があるので、それは必要ですが、
「教師の味、その人間性」というカラーは大事にしてほしい。
高学年では、社会科の複式授業を進めています。
高学年になると、複式学習のシステムを理解しているので、どんどん自学しています。
今年度の研修の視点は、
「見方・考え方を働かせた深い学び」により、気付きをつなげる子を育成することです。
教員でも認識がことなるテーマではありますが、
自分の変容を感じ、学びを楽しんでほしいという願いがあります。
今年度の重点目標にリンクさせた学級目標について話していたであろう黒板の跡を目にしました。
学校目標を、学級目標にまで落とし込むことを低学年にも分かるように、可視化したり、例えたりしながら学習したのでしょう。
本日から、1年生が「給食」をとります。
配膳の仕方、みんなでいただきます、片付けの仕方を、担任が優しく見守り、時に指導します。
2年生のやさしさと成長を感じる場面がありました。
今日の給食は、「スープ」と「パン」、「チキン」でした。
いただきますをして食べ始めるとき、
2年生の子が、
「〇〇ちゃん、パンの袋の開け方、分かる?」
と声を掛けているのです。
大人にとって、パンの袋を開けるのは当たり前でお茶の子さいさいです。
でも、コツがあります。
その視点で、アドバイスしている2年生のさりげない言葉が、
私にも温かかったのです。
1年生は、初めてづくしです。
初めてみんなで、1つの教室で給食をとったのです。
担任の指導、支援、想定は立派でした。
昼休み、校舎を見て回りました。
渚滑小学校の教員の素晴らしいところの一つに、
「子供と一緒に遊ぶ」
ということ。
職員室前の「ゆくりば」から、
うぉおおおおお!!
という声が聞こえました。
そこには、子供たちと戦っている大人たちがいました。
教頭、事務職員もいます。
カードゲームをしてるのです。
本気です。それでいい。
体育館に行きました。
ドッジボールをしていたり、半面ではドッジビーをしています。
そこに、先生たちがいて、子供と同じ顔をして遊んでいます。
学年分け隔てなく、混ざっています。
私は、先輩教員が、「子供と遊べなくなったら、引退かな…。」と言っていたことを思い出しました。
先日、私が20年前に担任していた学級のクラス会があったとき、
その中で、「先生は、遊びでも話し合いでも、子ども扱いせずに関わってくれた。」
と感想を述べてくれた子(教え子)がいました。
ドッジボールも手加減なしでぶつけていたらしいです…。
一緒に遊んでいたことを覚えていてくれました。
「真剣に接する」って大切ですね。
児童会役員が、準備している姿も目の当たりにしました。
担当教員が、子供たちに、
「準備することは分かったね。じゃぁ、どう進めたらいいと思う?」
と声を掛けました。
この教師は、まず、考える視点を決め、考える材料を確認して、それを自分たちならどう進めるか思考させていました。
教師が一方的に「これしよう!」
と指示するのではなく、
そうしなくても、考える材料もないまま、「自分たちで考えて。」と丸投げするのでもなく
考えることを教え、考え方を学ばせていました。
下校の時間になり、子供たちが校長室の戸をノックします。
そして、
「さようなら!」
とちょうどよい声の大きさと声の質であいさつを交わしました。
「また明日ね。」
というとにっこり笑って帰っていきました。
最後に笑って帰ることって大事です。
最後に、もう一人紹介します。
ALTの「テス」先生。
日本に来て2年目の彼女は、努力家。
職員室で、テスがノートを広げていました。
そのノートについて聞いてみました。
日本語の勉強をしているのです。
自筆した漢字の横に、英語で意味が書かれています。
ノート1冊、びっしりです。
彼女は、日本を理解しようと、学校行事だけでなく、親睦会にも参加して仲間たちと交流しています。
渚滑小の大事な仲間です。
私の見たまま、感じたままを紹介しました。
こうして黄金の2日目が終わります。
このブログの記事を一気に作っているとき、
職員室から、職員の笑い声、子供の様子をみんなでシェアしている会話が聞こえてきました。
職員室がその勢いで揺れた感じがしました。
とてもいいです。
こうして、「仲間とつながる」のです。
(グランドデザインを見てみてください。)校長の経営方針「こんな学校に…」が少し分かります。
では、また後日…。
つながる学校へ(入学式・始業式)
本日、入学式、始業式を挙行しました。
久しぶりに出会う子供たちの表情は、晴れやかです。
玄関で子供たちに、
「おっ! 新しい靴だねぇ。」
「髪切ったね。」
などと声を掛けると、反応よく答えてくれます。
「〇〇!おはよう!」
「元気だった?」
と、互いの再会を喜んでいるようでした。
新年度になって、新しい仲間も増えました。
緊張している子に、今日の予定を説明している子もいます。
「体育館は、あっち。
〇分になったら移動するよ。」
教室ではそんなやり取りがありました。
その後、着任式。
新たに異動してきた先生と顔合わせです。
児童代表が歓迎のあいさつをしました。
用意した原稿をただ読み上げるのではなく、
時々、目線を先生に向けるなど、「読む」のではなく「思いを伝える」という意思がみられました。
教室では、新しい担任との交流が始まりました。
「黄金の3日間」という言葉があります。
「学級を開いて3日間がその後の1年間を左右する」
と言われるくらい、すべきことがあるということです。
「みんなの書道セットはここで…。」
組織作りのためには、ルールが必要です。そのルールは一方的に指示するものと、
子供たちと考えるルールがあります。
多分、子供たちと相談して決めるものは明日以降でしょう。
入学式までの休み時間、「ゆくりば」で新たな仲間たちと遊んでいました。
入学式では、1名の新入生を迎える準備をしてきました。
緊張していた新入生も、無事、渚滑小の仲間となりました。
「安心してくださいとは言いません。
共に悩み、〇〇さんの成長を一緒に喜ぶことができる仲になりたいと思っています。」
と、私は保護者にあいさつしました。
さぁ、新生渚滑小がスタートしました。
どんなことが起ころうとも、渚滑小の職員たちと乗り越えることができそうです。
職員室の様子を見ていると、私は確信できます。
今年度も不定期ではありますがブログをアップいたします。職員の頑張りと子供たちの変容を伝え、そして私のつぶやきにお付き合いください。
よろしくお願いいたします。
素敵な旅立ち(巣立つ卒業生)
本日、第77回卒業証書授与式を挙行いたしました。
玄関には、卒業を祝う職員からの言葉や、在校生の言葉、関係各位からのお祝いの言葉が並んでいます。
私は、卒業式の前に、「修了式」であいさつしました。
「皆さんは『けじめ』ということばを知っていますか?
簡単にいうと、『遊ぶときは遊ぶ』『勉強するときはする』と言ったこと。
このけじめと「挨拶」をつなげて考えると、挨拶というのは、違う見方ができると思います。
毎朝、校長先生は玄関でみんなと挨拶をしました。
『おはようございます。』
この言葉は、校長先生とつながる言葉です。
でも、みんなにとって、「けじめ」をつける言葉でもありませんか?
学校に来て、「おはようございます。」と挨拶をするのは、それまでいた自分の家から学校での生活に変わるというけじめ。
学校で、「さようなら。」と挨拶するのは、学校を出て、これから違う場で生活するというけじめ。
そういう見方をすると、挨拶は自分のためでもあるってことです。
けじめをしっかりとつけることができるようになったか、卒業式の皆さんをみていますよ。」
卒業式で、かっこいい姿の在校生を見たくて、
伏線をはりました。
式が始まり、卒業生も在校生も立派でした。
離任式では、異動、退職する先生へ児童代表がお別れの言葉を贈りました。
子供たちにとって、思い出の多い先生たち。
児童代表が言葉につまり、静寂が続きます。
「…ありがとう、ございました。」
涙を流して、別れを惜しむ子もいます。
卒業式が終わり、最後の学級活動。
担任へ花束を贈ったり、教室で記念撮影をしているご家族。
たくさんの思考を整理してきた黒板。
端末が導入されたとしても、黒板をいかに使うか、永遠の指導ツールに間違いないと思います。
「おめでとぉ!!」
「元気でねぇ!!!」
祝福を受ける卒業生の表情は、すがすがしく美しくも感じました。
今日を迎えるまで、これまでの学習の成果を形にしてきました。
卒業式練習では、自分たちの姿を見て、改善点を確認してポイントをしぼって練習しました。
3名の卒業と、24名の在校生の修了を目の当たりにして、
何か、ほっとした気分です。
「卒業を喜び、明日からは来年度のことを考える。
切り替えを求められる教員の宿命ですが、みなさん、お疲れさまでした。
今日は、ドラマを観ている感じで、どの場面も素敵でした。」
そういって、職員の頑張りをねぎらいました。
保護者の皆様、1年間、ありがとうございました。
来年度も、パワーアップした渚滑小学校で進みます。
ゆくりば
今朝、子供たちが登校して教室に向かう途中、
「ゆくりば」が目に留まりました。
「おっ! 名前、決まったんだ。」
「ゆくりば?」
『ゆくりばの言葉から連想するものは?』
と尋ねると、
「ゆっくりする場?」
と想像する子。
沖縄の方言だそうで、子の想像通り、「ゆっくりできる場所」という意味があるそう。
ここ数日で、「ゆくりば」が変わっています。
1、2年生のおすすめ本が置いてあったり、
今後、この場の使い方を考えたり…。
何かが変わると、思考が変わり、
思考が変わると行動が変わります。
3月の臨時休業
本日、渚滑中学校長と相談の上、両校臨時休業の対応をとりました。
下校時の暴風雪が予想され、子供たちはもちろん、送迎する保護者、職員の安全確保のためです。
昼過ぎ、下校予定時刻あたりに外を見るとホワイトアウトの状態でした。
早朝から公務補が除雪作業を進めてくれていました。
「吹きだまってます。」
とのこと。
急な臨時休業の対応に、ご理解ありがとうございます。
道東を中心に、猛吹雪の地域もあります。
もうしばらく暴風雪の予報です。
事故のないことを願っております。
渚滑中学校の卒業式に参列して
本日、渚滑中学校の卒業式でした。
在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞を聞き、
その時の情景が目に浮かぶ内容でした。
楽しいことだけでなく、人間関係や自分の生き方に悩んだけれど、
支えてくれた仲間や先生に感謝したいという
メッセージを受け取りました。
保護者の方々に目を向けると、我が子と対峙し、支えてきた中で生まれる喜びや苦しみ、
親としての葛藤があったことを察しました。
卒業生10名に寄り添い、支えてきた職員の方々にも敬意を感じます。
明日から、自分たちの選んだ道を進んでいく
10名の背中を見送ったとき、
「生きろ」
という思いが脳裏にやどりました。
ご卒業おめでとうございます。
雪解け時期に思い出すこと
流氷が姿を消し、プラスの気温となってきて学校の周りの雪解けも一気に進みました。
歩いて登校する子に、
「道の雪は解けてるかい?」
と尋ねると、
「結構アスファルトが出てきてます。」
と答えてくれます。
学校の玄関先にあった、低学年が2月20日に作った雪だるまも…、
この通り。
消えていく運命です。
校舎周りの様子も様変わりし、あちこちに水たまりができています。
私事ですが、この時期の水たまりを見るといつも思い出すことがあります。
私の息子が幼き頃のこと。
春先の時期ではなかったのですが、少し暖かくなってからのことです。
仕事から帰宅した私に、妻が数枚の写真を見せてくれました。
その写真は、息子とその友人が道のくぼみに溜まった水たまりで遊んでいる場面でした。
最初は加減して遊んでいたのに、そのうち羽目をはずして
ズボンも服もべちゃべちゃどろどろになっています。
べちゃべちゃで真っ黒なのに、裸足になってにっこり笑っているのです。
【イラストフリー】
道端の水たまりですから、不衛生を指摘されれば否定できませんが、
私はその写真を見て嬉しく思いました。
幼いからこそ味わうことを経験していたからです。
無理にやらせるのも弊害がありますが、
子供たちのその様子を見守っている妻とママ友が、我が子の身近にいてくれることに、
心強さを感じたのも事実です。
洗濯をするのも大変になりますが、それよりも
「泥だらけになる価値」を選んでくれたことに敬意を感じます。
この話を参観日の学級懇談会で話したとき、
賛同してくれる方と、
「そうは言うけど、後始末はやっかいですよ。」
という方と、保護者の方々の価値観、子育て観を語った20年前の思い出があります。
子を育てる環境は変わってきています。
もし、我が子が泥だらけで帰ってきたら、皆さんは何と声を掛けるでしょうか。
落ち着く場所
渚滑小学校の建物は古いです。
確かに、冬も寒いですが、子供たちも先生たちも、大切に使っています。
先日、職員室前に「フリースペースを作りたい。」と、
職員が提案しました。
というのも、これまで廊下に展示されていた物や、数多くの書類を整理することで、スペースが生まれたのです。
教頭や公務補、事務職員が常に周りを見渡し、「こうしたい、ああしたらいい。」
と校舎内に目を見張らせて作戦を練っているのです。
職員室内や、書庫、放送室を整理すると、そこを使う人たちの動線が見えてきます。
動きやすいのは使いやすい場につながります。
そして、その場が落ち着く場となれば、自然と人が集まるものです。
常にアップデートを考える学校でいたいものです。
人を理解するということ(ゲストティーチャー来校)
先日、ゲストティーチャーがいらっしゃいました。
「小川 夏妃」さんです。
生誕したときから目が見ない状態だったらしく、現在は、就労支援施設で働いていらっしゃいます。
以前、高学年の児童が、この施設を見学しました。
施設を見学するだけでなく、実際に作業してみました。
割り箸を袋に一膳ずつ入れていく仕事です。
その時、一緒に作業してくれたのが小川さんでした。
目をつぶって作業したり、小川さんと話をしたりしながら時間を過ごしました。
「結構難しい…。」
とつぶやいていた子供たち。
今回は、学校に来ていただいて、まず、給食を一緒にとりました。
配膳をするときに、ヘルプをした子が、
「緊張した…、どうしたらいいのか分からなかった…。」
とつぶやきました。
私たちは、視覚から情報を得て判断したり、
視覚から得た情報が、感情につながることが当たり前となっています。
当たり前の配膳が、当たり前でないと分かった時、ヘルプをした子のつぶやきも納得できます。
給食後、小川さんを囲んで学習しました。
「見えないけど、他の感覚は研ぎ澄まされていると思います。」
という言葉を聞き、担任は、紙風船を用意しました。
風船の中に鈴が入っています。
紙風船を使って、みんなでバレーパスをすることにしました。
でも、紙風船ではなかなかうまくいきません。
鈴がなかなか鳴らないのです。そして、すぐに地面に落ちてきます。
その場にいた大人も子供も、どうしたら続くかなぁ…。と考えました。
「普通の風船なら、ゆっくり落ちてくるんじゃない?」
ということで、風船を用意し、鈴を入れてパスしてみました。
でも、うまくいきません。
音が鳴らないのです。
小川さんにとって、音が全てです。
視覚ではなく、聴覚から情報を得ている人について理解を深めます。
「どうしたらいい…?」
「小川さんにパスをするときに、名前を呼んだら?」
「よし、やってみよう!」
でも、うまくいきません。
「う~ん…。」
この時の子供たちは、小川さんの立場になっているのです。
これが大事。
次のゲームに移りました。
伝言ゲームです。
背中にひらがなを書いて、次の人の背中に伝言していくものです。
一列になって、始めることにしました。
でも、その時です。
施設の方が、こう言いました。
「あっ! これ、小川さん、できないんじゃない?」
と言うのです。
この気付きをした施設の方は、さすがだと思います。
そこにいた全員が、
「どうして? なぜ、できないの?」
といった感じ。
なぜ、この簡単なルールの伝言ゲームはできないか、お気付きでしょうか?
子供たちに気付かせたい視点でした。
なぜなら、小川さんは、「点字」で文字を認識しているので、私たちが認識する、日本語の形を理解していないのです。
ですから、小川さんの背中に、私たちが知っているひらがなを書いたとしても、何の文字なのか分からないということです。
文語(書き言葉)認識の違いです。
そこで、順番を変えることにしました。
小川さんが一番先で、問題を出す役割です。
私は、この学習を通じて感じたことがあります。
福祉ってなんだろう?
障がいを理解するってなんだろう?
当たり前ってなんだろう?
人を理解するってなんだろう?
ということ。
今回、交流したゲームをみても、全盲の人にはできることと、できないことがある。
私たちにだって「できること」と「できないこと」がある。
同じだ。
でも、全てが同じかというとそうでもない。
そう考えると、人間が生きていく本質が見えてくる気がします。
「人は補い合いながら生きていく」
ということ。
五感に不自由がある人を特別視する必要もなく、何でもかんでも手を差し伸べる必要はない。
その人を理解して何をお手伝いするか?
だから、目が見えない人はボール運動ができないという、一方向からの決め付け先入思考ではなく、
できるボールゲームだってある。音がなるボールを使えばできる!
という発想で生まれたスポーツもたくさんあります。
昨日のブログ同様、「人によって価値は違う。人によって補うことも、補い方も違う。」
どんな人だとしても、その人を理解する必要がある。
今回の学習意義は、福祉を通じた、「人間理解」なわけです。
このブログをみなさんに紹介できても、このままでは小川さんに伝えられない…。
どうしようか…。
そう考えることも、「人を理解するスタート」なのかもしれません。
今回の学習を進めるにあたり、ねこやなぎの小堀さん、社会教育の高橋さん、そして、自分の人生を教えてくれた小川さん、ありがとうございました。
今後もよろしくお願いします。
みんなで感謝(六送会)
「みんなで最高の時間にしましょう。」
在校生代表の言葉からスタートした「六年生を送る会」
とても素敵な会になりました。
1,2年生は、全校児童でドッチボールをします。
その説明、お礼の言葉など4月と比較すると、自分たちで動くことができる様子が見られました。
整列や、説明のタイミングなど、担任の手を借りずに進めていました。
中学年の声がいい。
説明するときの声。その時の眼が生き生きとしています。
だから、聞く人を引き込むことができるのです。
5年生は、「6年生の思い出のシーン」を、写真で振り返りました。
保護者の方々も参観しています。
渚滑小学校は、こういうところがいい。
保護者も気兼ねなく、学校にやってきます。
6年生は、数年前の自分の写真を見て、何かを感じているようです。
手作りのくす玉を割ると、「わぁああ!」と歓喜がわきました。
6年生は、お礼として「しっぽ取り」を企画しました。
自分たちがしっぽを取られないように逃げる役です。
私は最後に、挨拶しました。
「六年生のみなさん、あなたたちの人生はバラ色で明るいですか?
校長先生は、そうは思わない。
だって、これから思い通りに事が進まないことが増えたり、やりたくないことがたくさん出てきたり、
人に嘘をつかれることだってある。
でもね、その先を明るくすることだってできる。
何か行動を起こすこと。
先を明るくする努力をしてほしい。
困ったとき、仲間を頼ればいい。
信頼できる大人に相談すればいい。
そうやって生きてほしい。」
私は、こういう挨拶をするときに原稿を作らないで話すことが多いのですが、
今回の「六送会」に参加して、そんな言葉が頭に浮かんできました。
強くやさしく生きておくれ…。
未来を明るくするチャンスは誰にでもある。
その方法をつかんで生きてほしい。
その素地を身に付けるお手伝いを、先生たちはしてきたよ。
そんな思いからでしょうか。
職員室に帰る途中、ある女の子と話しました。
「どうだった?」
『楽しかったし、6年生すごいなと思った。』
「ん? 何がすごいと思ったの?」
『しっぽ取りの時、6年生、手加減してくれてた。
あまりにも取れなかったら面白くないし、低学年のときだけ、
様子見てくれたから。』
「そういう気付きができるあなたもすごいよ。」
笑顔いっぱいの素敵な送る会になったのでした。
学校の価値とは
しばらくの間、このブログをアップせずにいたところ、数名の方から、
「校長先生に何かあったのでは…?」
「学校で何かが??」
という憶測を呼んでしまったようです。
私はいたって元気でございます。
子供たちも、職員も元気でございます。
久しぶりのつぶやきではございますが、文章のみのお話です。ご了承ください。
テレビを観ていました。
海外のテレビ局が撮影、編集しているドキュメンタリー番組で、
「男女2人が、世界の秘境で何も持たずに20日間をともに生活する」
というシンプルな番組です。
アマゾンの奥深く、文明の利器が何もない場所で、食料や水を自分たちで調達しながら生き抜くのです。
都会では価値のある「自動車」「バス」「デパート」などはなく、食べ物もなかなか手に入らず、20日間を待たずにリタイヤしたり、20日後には体重が十数キロ減少してやつれてしまいます。
もちろん、その場に自動車があっても道がないために使えません。
この番組で、「人間の本性」や「本質」を観ることで、理屈抜きに面白さを感じるとともに、
視点を変えてみることでさらに面白さが増します。
「普段、自分たちの口に入る食料は、こんなにも価値があるのか…。」
「この場所に、お金に価値はないのだろう…。」
「20日ではなく、こうした秘境に生きていた人の知恵ってどんなだろう…。」
というように、想像する楽しさがあります。
ここで私が話したい主旨に、
「価値は時と場合で変わる」
「同じものでも人によってその価値は違う」
ということ。
砂漠で遭難した人に、大金を与えるよりも喉を潤す水のほうが喜ぶといった具合です。
このことを、学校現場の子供たちと重ねてみます。
子供たちは、学校の何に価値を求めているのでしょう。
過去に担任した子に、学校に来る理由を尋ねたところ「給食」と答える子がいました。
理由は、「おなか一杯食べられるから。」という少し複雑な家庭の子でした。
「友達と遊びたいから」
「好きな子に会いたいから」
「勉強が楽しいから」
そんな、価値観の違う子が大勢通う学校に、どんな役割があるのかいつも考えます。
保護者や地域から求められるものも多岐に渡っているため、教育界は迷走してしまうことも事実です。
でも、私は学校の本質を考えたときに、
「授業が楽しい、授業内容が分かる。」
という思いや実感をすることが最優先だと思っています。
それは子供だけじゃなく、そこで働く教職員も。
授業を通して、人とつながったり、人の考えを知ったり、
自分の変容を感じて喜んだりするための授業構築が教員の使命だと思っています。
子供たちは、年間1000時間も授業をします。この時間を、いかに有効に使うか?
それが学校に試されているということ。
全ての子たちが、授業に価値をもっているかというとそうではないことが多いものです。
でも、授業で変える・授業で変わるための手立てや感性、価値を教職員はもっているべきだと思うのです。
先日、私あてに手紙が届きました。
以前、他県から渚滑小学校に訪問した児童がいました。差出人はその子の保護者です。
子と交流時間を作ってくれた職員への感謝とともに、学校ブログのことについてふれてありました。
子供たちの様子だけでなく、職員の頑張りや思いを代弁する目的で綴っている内容に、
感銘を受けてくださっていました。
その方の心意に刺さった何かがあるのでしょうが、
ブログに価値を与えてくれていることに私は深く感動しました。
とともに、こう思いました。
「学校ブログの価値って大きいな…。」と。
人の価値観は違って当たり前ですが、
そこに自分の思いや感情をどう表現するか、
本質を観る眼が大切だとつくづく思います。
私もまだまだその域には達してはいませんが、
学び続けようという気持ちに変わりはありません。
納得解~養護教諭のメッセージから
本日発行の2月「ほけんだより」に目を通すと、興味深い主張がつづられていました。
要約すると、
『みんな仲良く、我慢して人と接する』ことを画一的に思考させてしまうことで、人とのかかわり方について考え
ることをやめてしまう危険がある。人との考え方には違いがあることを前提とすべき』
ということ。
養護教諭は、外科的な対処のほかに、子の心に寄り添い、助言したり、励ましたりする重要な仕事があります。
ですから、多くの子ども達に接することから、担任同様、悩みも尽きないものです。
「これでいいのか…。」
「ほかに手立てはないか…。」
といったこと。
納得解(なっとくかい)という言葉があります。
5+5は10 というのは、正解です。
でも、
□+△=10 となると、正解は多数あります。
生活の中をみると答えは多数あり、場合によっては正解がないかもしれません。
そんな問題に、自分やみんなが納得できるような解こそが、「納得解」だということです。
「時と場合によって正解は違う」ということです。
「人と仲良くしたほうがいいに決まってるけど…。」
に続く納得解を学ぶ必要があるということです。
現在、日本の学校で進めている教育は、
自分の考えを持ち、周りとコミュニケーションをとるために「知識や技能」を確実に培い、
その能力を、場合に応じて使うことで、人間関係をよりよくしよう
ということです。
当然、学校だけでこの課題を解決することは難しいという納得解は、
みなさんも共有していただけているでしょう…。
(※「がっこうだより」のメニューに、今月のほけんだよりをアップしています。
ご覧になってください。)
子も先生も学ぶ
今朝、臨時全校朝会を開きました。
その理由として、生徒指導上、子どもたちに考えてほしい事例があったからです。
昨日、生徒指導会議の中で、いくつかの事例を確認して、今後の指導内容について協議しました。
指導部の教員が案を提出し、他の教員が意見を述べていく中で、
本日の「臨時全校朝会」という形をとりました。
担当した教員が、事例を説明します。
その話を聞いて、子どもたちは神妙な表情でした。
体育館の暖房の音が、やけに大きく聞こえます。
その後、各教室に戻り、各々の学級で振り返りをしています。
私はその様子を見て感じました。
小学校では、必ずトラブルが起こります。
そのトラブルを見て見ぬふりすることなく、
担当部が中心となって、今後の指導を提案し、
教員それぞれの思いや考えを全体協議して、全体の出来事として対応することに意義がある。
ということです。
事が起こった学級担任だけで対応することを私は好みません。
全校児童の前で、自分の思い(全体で協議した内容)を子どもたちに語り、
課題を投げ掛けた職員は、とても緊張している様子でした。
その教員は、全校朝会が終わった後、私のもとにやってきて、
「校長先生、どうでしたか?」
とたずねてきました。
私は、その態度にいたく感銘を受けました。
自分の指導がどうだったのか、他人に聞くという姿勢がある限り、
この教員は成長すると感じたからです。
私は、感じたこと、こうしたほうがいいということを話しました。
そして、後日、わたしならこう話すという実践をしてみることにしました。
あらためて思います。
学校って、子どもたちだけが学ぶ場ではなく、
学校に携わるすべての人が学ぶ場である
ということ。
もし、自分が全校児童に話すとしたら、
どんな手立てをとり、何を考えさせ、どんなメッセージを届けますか?
今回の事例は、職員にとっても、貴重な学ぶ場になったと思います。
学校での「ON」と「OFF」(メリハリって大事)
今朝、朝学習の時間に全校児童が体育館に集結しました。
なぜかというと、「KTA」活動があったからです。
「(K)クロームブックの(T)達人になるための(A)朝活動」
だそう。研修部教員が中心となって企画して進めています。
今日は、「検索アプリ」の使い方について確認です。
低学年の子に、自然とアドバイスする高学年の姿があります。
全員が理解するために、できる子が手助けすることで、できる子もスキルアップしますし、
できなかった子も、身近な先輩から教わるメリットがあります。
紋別市は、各学校の各教室に1台、「電子黒板」のモニターを設置しました。
このモニターはとても有効です。(本校は複式ですが、できれば、1学年に1台設置してほしいです…。)
他にも、充実したソフト(アプリ)も契約してくれています。(皆様の税金に感謝です。)
今日は、その中の1つのアプリについて全体指導しました。
子どもたちが教室へ帰るときに、私はある子に質問しました。
「このアプリ、何に使えそう?」
『各地域の方言について調べてみたいです。』
と答えました。
話は変わりますが、学校での1日の生活を割合で表すと、
約80%が授業時間
10%が給食、掃除時間
10%が休み時間
です。
そう考えると、学校で過ごす8割も学びの時間があるのは、相当な割合であり、この時間をいかに集中して過ごすか、集中できる仕掛けをするか?が重要だと思います。
1割の休み時間の意義や価値は高いものです。
人は、ずっと「ON」のまま過ごすことは難しいですから。
今日の子どもたちの「OFF」の時間を観察してみました。
外でそり遊びをしています。
なにやら打ち合わせをしています。笑いが絶えません。
体育館でミニバレーをしています。
1年生から6年生まで入り交じりです。
音楽室で、楽器を鳴らしています。
こうして休み時間を過ごし、「ON」の時間へ突入しているのです。
体育館を出て、廊下の上枠に、「やる気スイッチ」があります。
私にしか届かない高い場所に貼ってあります。思わず笑いました。
本日、学校だより1月号を発行しました。
第2回目の学校評価について、結果と考察を掲載しています。
その中の、保護者の自由記述には、子どもたちの頑張りや、本校職員のかかわり(仕事っぷり)について、
たくさんのメッセージを頂戴しました。
本当にありがとうございます。
遊び心、探求心を忘れない先生たちと子どもたちのかかわりは、
心の中にある「やる気スイッチ」を押し合っていることでしょう。
自由って難しい
たくさんの保護者の方が参観する中、「自由研究発表会」をおこないました。
発表会の前に、「縄跳び検定」をします。
今回、一級を合格した子もいたようです。
検定後、2つのグループに分かれて発表会の開始です。
電子黒板に作品を映し、低学年は順序を大切にしながら説明と発表をしました。
発表後に、質問や感想を発表するフロアの子どもたち。
実演しながら作品の良さを発表するなど、低学年の成長を感じました。
自分の作品を生き生きとした表情で紹介する子もいて、見ていて素直に、
「いいな。」
と感じました。
最後に私は、
「『自由研究発表会』の作品を形にするあなたたちはすごいと思う。
何を作っても、何をやってもいい自由な中で、何をしようか考えて形にして、発表までするのだから…。
そう考えると、作って終わりではなく、発表することまで価値があるんでしょうね。」
と講評しました。
長期休業中の取組として、作品製作を任意とする学校が増えてきている中、
この取組の意義と価値を確認する必要があると思っています。
世界が変わった日
1月17日。三学期がスタートしました。
学校に子どもたちの声が帰ってきました。
朝、玄関では、
「会いたかったよぉ!」
と抱き合う子もいました。
大きな荷物を持って、ヨチヨチと登校する一年生も、
人に頼らずに自分で持ってくるまでに成長したことが分かります。
始業式では、代表2名があいさつをしました。
急きょ、代役としての挨拶だったのですが、2人の言葉は立派でした。
その対応力だけでなく、作文を読むときも、周りに目を配りながら発表し、
相手に自分の言葉を届ける意識をもっていました。
これまでの積み重ねが表れている様子がうかがえます。
私は式の中で、
「阪神淡路大震災」のことに触れました。
「今日は、何の日かというと…、
日本だけでなく、世界中を変化させた日です。
今から30年前、『阪神淡路大震災』があり、6千人を超える方々が亡くなりました。
何が変わったのかというと、「準備」するように生き方が変わりました。
それまで、震災が起こった時のことをそれまで考えていなかったのに、この震災を期に、
準備するようになったのです。
(中略)
今年度もあと44日の登校日数です。
来年度に向けた、準備と今年のまとめを一緒にしてください。」
子どもたちの声でいっぱいの校舎に、また活気が戻ってきた感じがします。
今日の挨拶は、阪神淡路大震災で亡くなった方々に捧げます。
よいお年を…。
本日、二学期の終業式。
児童を代表して、6年生が冬休みの生活について挨拶をしました。
「冬休みでは、毎日続けられる何かに挑戦してみてください。」
続いて、2年生が、二学期を振り返って発表をしました。
「マラソン記録会、がんばりました。」
そして、私は次の話をしました。
「今から、簡単な実験をします。
だれか二人、前に出てきてください。
では、できるだけ高くジャンプして、校長先生の手に触れてみてください。」
子供たちは、「何が始まるんだ?」と興味津々です。
私が高く挙げた手のひらにタッチしようとジャンプしています。
「この実験の事実から、2つのことをお話しします。
まず1つ目、
人は、結果を気にするということ。
今、2人にジャンプしてもらたけど、一人は触ることができた。でも、もう一人は触ることができなかった。
みんなそのことだけに集中した。
2人は全く同じことをしています。
高く跳ぼうとすると、ひざをおって勢いをつけました。
つまり、高く跳ぼうとすると、一度は低くなったということ。
みんなに話したいことの2つ目。
がんばろうとするとき、すぐにできるようになるわけじゃなく、
必ず反対のことをするということ。
例えば、勉強をするとき、間違える。
でもこれは必要なことで、どうして間違えたのかを考えることに意味がある
間違うことがだめじゃなく、間違いを隠したり、間違いをなかったことにしようとすることがだめ
友達と仲良くなりたいと思ったとき、友達と考え方が合わなくて喧嘩になったり
嫌な気持ちになったりする。
でも、これも相手を知るためにはとっても大切なことで、
どうしてそんなことを言うんだろうと考えることに意味がある。
考えてみると自分に原因があることもある。
学校評価のみんなのアンケートを見ました。
縄跳びができるようになった
跳び箱をとぶことができるようになった
足し算ができるようになった。
きっと、できるようになるまでに、できない体験をしたんだと思う。
「間違い」とか「できない」は失敗じゃなく、成功するために必要なことだということです。
ですから、間違い、できないの結果だけを見ずに、できるようになるために必要なセットで考えてみてください。
明日から冬休み
どうぞたくさんの人と出会って、たくさんの体験とチャレンジをしてみてください。
1月17日、(イイナの日)またみんなで元気よく挨拶をして、みんないい顔で会いたいです。」
その後、大掃除を始めました。
雑巾の干し方に気を配る子。
「干すときは、端をそろえるんだよ。」
きれいになった教室は、新年を迎える準備ができました。
そして、
元気よく玄関を後にする子供たち。
「さようなら! よいお年を…!」
「また、元気で会おう!」
担任団は、子供たちの背中を見送っていました。
それでは、みなさん、しばしのお別れです。
また、お会いしましょう。
少し早いですが、
「みなさん、よいお年をお迎えください。」
思いを形にした集会
昨日、あるイベントが開催されました。
6年生の女子が、「二学期最後にプレゼントを。」という発想から、
全校集会をしたいと企画したものです。
その思いに賛同した6年生が、内容を考え、担任に願い出たとのこと。
その企画力、運営力をみるためにも全職員が賛成し、1時間の枠を設定したのです。
6年生は、集会の趣旨とレクの説明をはじめました。
「2学期、みんなでがんばったことへの6年生からのプレゼントです!」
そうして、校舎内を使って、全校かくれんぼがスタートしました。
子ども達が隠れて、鬼役は先生です。
隠れ場を探すのは、案外難しいものです。
少しの隙間を見付けて、ふたをして隠れています。
「あと1分です!」
という校内放送でも、隠れ場が見付からずに焦っている子もいました。
こうして、楽しい時間を過ごすことができた全校児童。
6年生が、「みんなで楽しみたい。」
という思いを集会という形にしたものでした。
「笑顔いっぱい」な集会を企画・運営した6年生、立派でした。
【石になりきるS教諭】
追伸①
この集会をする前に、帰りの支度をしてから参加していた低学年学級の様子です。
「先を考える」とは、活動の次に何をするのかを考えて準備することです。
立派でした。続けましょう。
追伸②
学校評価保護者アンケートの返信にご協力いただき、ありがとうございます。
数多くの温かいメッセージがありました。職員と共有します。
詳しい内容は、後日、年明けの学校だよりでご紹介します。
学びの深化のために
繰り上がりのある足し算(8+7)は、どのように学習しましたか?
多分、今では感覚的に即答できると思います。
でも、当時の自分といえば、おはじきを使ったり、指を使ったり図に書いていたりしたのではないでしょうか?
今も昔も8+7は15のままです。
では、数十年前と今では学習の何が違うのでしょう。
本校のなぎさ学級で、ちょうどその学習をしていました。
3位数+2位数の足し算です。
一の位は繰り上がりの数です。
この学級では、子供が言葉で話しながら答えていました。
「まず、一の位の8+7は、8を10にするために、7を2と5に分けて…、
10と5をたすから…15だ!」
こうして、次の位へ進んでいきます。
こうした学習形式を大切にさせたいです。
「頭の中の考えを、形(声、文字、図)にする」ということ。
分かったと言っても、それが見当違いに理解していることは多々あります。
もし、「黒板をみてごらん。」
と指示しても、子によって黒板を見る視点は違います。
つまり、分かったつもり、見ているつもりになっていることが多く、
実は理解していなかったということが多いのです。
頭の中を形にする癖がとても大事だということです。
教員も、それを聞くと「教えたつもり」を正してくれることがあります。
数十年前との大きな違いは、
「すべて教師が教えない」
ことに尽きると思います。ここで勘違いしてはいけないことに、
教えるべきことは教える。
理解することに気付かせることは変わりないのですが、
その獲得方法が違うのです。
先日の算数の授業同様、平行四辺形の高さはどこか?を教えるとき、
教師が「ここです。」と言わずに、子が自ら獲得できるように仕掛けるのです。
「なるほど! ここか!」
「こういう理由で、ここになります。」
という子の反応がみられる学習を目指す必要があります。
何のために学ぶのか
よくこういう話を聞くことがあります。
「勉強って将来役に立つの?
円周率なんて、生活に使わないじゃない。」
もし、このように子供が話してきたら、何と答えますか?
「将来の選択肢を増やすため」なんていう、もっともなことを話しても、
子供たちにとって納得解は、得られそうもありません。
今日、算数の授業を2つ観ました。
1つは、円の半径を使って三角形(二等辺三角形になる)ことを、証明する授業です。
すでに学習済みの、「半径の長さはどこでも同じ」であり、二等辺三角形の性質を結びつけることで、
問題を解くわけです。
確かに、将来生きていくうえで必要な学習ではないと言われればそうかもしれません。
2つ目の算数の授業です。
平行四辺形の面積の授業。
平行な底辺の間の距離を「高さ」としていますが、
では、この平行四辺形の高さは?
高さが底辺の外にある場合の平行四辺形の面積を求める学習です。
確かに、将来、平行四辺形の高さを知っていても、何か役に立ちそうもありません。
じゃぁ、何のためにこうした学習を展開しているのか?
やっても意味ないじゃないか。
という声が挙がるわけです。
でも、その答えが見えます。
子供たちが、つぶやきます。
「あそこだよ! だって…。」
『ちょっと、前に出て説明してみて。』
「この、底辺を伸ばしていったら、平行な底辺の間ができるから…。」
「ん? どういうこと?」
「だから、こうして…。」
「えぇ! だって、こうじゃない?」
と、子供たちでああでもない、こうでもないと話し合っています。
担任は、
『ほんと? それって、高さでいいのかな?』
とゆさぶります。
この平行四辺形の面積を求める学習を通して、高さの概念をさらに理解する流れです。
ここです。
たしかに、平行四辺形の高さが将来の生き方に役に立たないかもしれませんが、
高さの概念を理論立てて証明していく「思考する力」の育成のために
この平行四辺形を使っているのです。
この力を伸ばすことを考えずに、
「はい、こういう平行四辺形の高さはここです。覚えてください。」
という学習では、思考して「論理的に考える力」は身に付きません。
そう考えると、教員とは、教材に命を吹き込む存在であるともいえます。
知識を得て、思考した子供たちがアウトプットする力を学習していると言えます。
変容した自分を実感できることを目指したいものです。
雪の中で
渚滑小の周りは真っ白に包まれています。
公務補が、朝早くから除雪をしてくれています。
グラウンドもちょうどよい雪の深さです。
走り回ったり、雪合戦もしています。
休み時間になると、低学年の子が、
「教頭先生! 行こう!」
と職員室に誘いに来るのです。
その誘いに教頭は、
「よし! 行くか!」
と一緒に外へ出かけていきます。
子供たちだけでなく、担任数人の姿もみられます。
「子と一緒に学ぶのと同じくらい一緒に遊ぶこと」も大事です。
毎朝、登校してすぐに玄関周りをほうきで雪を掃く子もいます。
「あなたは家でも同じことをしているのかい?」
と尋ねると、
『はい、今日(今朝)も雪かきをしてきました。』
と答えます。
思い切り体を動かしている子を見るときと同じく、
子供たちを頼もしく感じるひと時です。
きく
本日のつぶやきです。
「聴く」「聞く」「訊く」という読みはすべて「きく」です。
どの「きく」が一番難しいと思いますか?
最近、思うことがあります。
「分からないことを他人にきく」ことが難しいと思っている人が多いと。
子供だけでなく、大人もです。
今日、隣の小学校の教員が、本校の授業を参観にきました。
授業を観て、感想や問いをして帰っていきました。
また、本校の職員が、
「校長先生、国語の授業をするので、観に来てアドバイスください。」
と言ってきました。
私は、こういう自ら学ぼうとする貪欲な姿勢が大好きです。
この二人に共通していることは、「訊く」ことです。
分からないこと、知りたいことがはっきりしたとき、
「訊く」ことは、とても大切なことであり、
自分のスキルアップだけでなく、コミュニケーション能力の向上にもつながります。
訊くことが
恥ずかしい
自分の能力が下に見られる
子供の世界でもプライドが存在するのかもしれませんが、
そういった枠を取っ払って、
他人に訊くことを続けてほしいです。
朝のルーティン
皆さんは、朝起きた時にどんなことを思いますか?
「よくねた!」
と気分爽快でしょうか?
「今日の仕事…、憂鬱だ…。」
など、その日の予定によって気持ちも変わるはずです。
私は、朝の過ごし方はその日の活動を左右する大事な時間だと思っています。
決まった時刻に起きる
挨拶をして他人とかかわる
朝ご飯を食べる
身支度をする
こうした落ち着いた気持ちで毎日のルーティンを取り入れることで、
その日の活動量や、仕事の効率化が図られるわけです。
これは、子供の世界では最も大切にすべきことです。
渚滑小学校での子供たちの様子を見てみましょう。
登校して自分の持ち物の整理整頓をした後、
静かに読書しています。
朝の会を前に、自分だけの時間を過ごしています。
体育館を使用できる曜日もあります。
その様子をみると、精神的に落ち着いている時間が確保されていると感じています。
大工の棟梁の昔話をします。
棟梁といえば、その現場を取り仕切る監督です。腕前もさることなら、
そこで働く数多くの大工を一手にマネジメントする責任者です。
棟梁は、朝、仕事を始める前に現場の一角に腰を落とし、
キセル(たばこ)をくわえて、「プカァ~」と煙をくゆらせていました。
何もせず、ただただボ~っと…。
でも、ぼ~っとしたその時間がとても大切だったそうです。
何も考えていないようだけれど、自然とその日の仕事(建築物の組み立て)を頭の中で設計していたのです。
実際に動く前に、気持ちを落ち着かせるルーティンを身に付けることが、
その日の出来映えに影響することを知っていたのです。
そう考えると、子供がその日一日を学校や家庭以外の場で過ごすとなったとき、
効果的に過ごすために必要なルーティンは決まってくることです。
学校での朝の過ごし方を大切にすることはもちろんですが、
家庭での朝のルーティンも大切にする子であってほしいです。
朝の体育館を低学年が利用していました。
子供たち、落ち着いて話を聞いていました。
毎日、コツコツとルーティンを育んできた成果の1つでもあります。
ほんとに?? できてる???
今朝、12月の全校朝会を行いました。
私は、次のような話をしました。
「みんなに尋ねます。
自分は挨拶ができていると思う人は手を挙げてください。」
すると、ほぼ全員が自信満々の表情で挙手をしています。
「そうですか…。校長先生は、そうは思いません。」
とズバリ言うと、子供たちは怪訝な顔をしています。
「この体育館にみんなが入ってくるとき、教頭先生や、目の前にいる先生に挨拶できた?
知らんぷりだったみたいだよ。それでも、みんなは挨拶ができるって思えるだろうか…。
挨拶ができるって、どういうことだろう。」
◎「相手の顔を見る…?」
△「声がはっきりと…?」
「なるほどね。先日、〇年生の2人が、おはようございますっていう言葉の前に、『校長先生』を付けて、
『校長先生、おはようございます。』って言ってくれた。嬉しかったよ。
ちょっとしたことなのに、普段の挨拶の質が変わったんです。
一回きりの挨拶ができたからいいともならないんです。
みなさん、もう一度、「質の良い挨拶」について、考えてやってみませんか?」
先日、渚滑小学校で参観日がありました。
その学級懇談会の資料に目を通すと、ある学年の担任が、次のようなメッセージを書いていました。
『日々、何気なく生活していると慣れが生じ、何が当たり前か見失い、判断基準が「楽」な方になりがちです。
学級に当てはめてみると、「あいさつ」「整理・整頓」「時間の使い方」が慣れの影響を受けやすいです。
何が大切で、何が大事か頭で分かっていても行動に移すことができないことがあります。
どのような姿がふさわしいのか考え、行動していく必要があると思います。』
大切にしたいことを共感できていると感じます。
できているとする規準が、子供たちも理解していないのではないかな…。
と思うことがあり、それは、大人の責任なのかな…とも思います。
ただ、やっぱり、習慣とする行動は大切したいものです。
本日、「学校評価(保護者アンケート)」の受付を開始しました。
挨拶について、評価する項目もあります。
みなさんは、自分のお子様がどういう状況であるか、評価して返信してください。
ご協力お願いいたします。
学習するチャンスをいただいた(稲作を通して)
今日は西部耕地の方々とまとめの学習「もちつき」でした。
うすと杵を使って餅をつく体験は、なかなかできることではありません。
蒸かしたもち米をうすに入れる瞬間、沸き立つ湯気をみて、
「うわぁ!!」
という歓声も沸きました。
しばらく、もち米をこねてから、全員で餅つき体験です。
大きさの違う杵を自分で選んで、餅をつきます。
ついた餅を、一口大にちぎっていきました。
ちぎった餅を、砂糖醤油でいただきます。
給食を食べた後なのに、20個近くたいらげた子もいました。
「おいしいね。」
という声があちこちで聞こえます。
最後に、学校代表者がお礼の言葉を述べました。
自分たちのこれまでの体験を踏まえて、素敵なお礼ができました。
私も最後に挨拶をする機会をいただきました。
「お米の生産量日本一はどこ?」
『新潟!』
「では、もち米の生産量日本一はどこ?」
『えっ!?』
「北海道なんです。でも、同じお米なのに、どうして違うのかな?」
『そうだなぁ…?』
「『おいしい』とか『楽しい!』っていう思いも大切だけど、
お米を通して、『どうしてだろう?』っていう「はてな」を見付けたり、
調べたりすることも学んでほしいです。
西部耕地のみなさんには、そいういうチャンスをいただいたと思っています。」
さすがの西部耕地のみなさんは、子供たちがもちをちぎっている時間を利用して、
後片付けを開始しています。
今月の学校だよりにも掲載した、「対の行動」がなされているので、
準備から片付けまでに無駄がないのです。
あっという間の6か月間でしたが、何度も体験している高学年も、
新たな学びをいただける、貴重な学習だと思います。
また来年、お世話になります。
11月の自分を
11月の生活目標は、「新しいことにチャレンジしよう」でした。
今月初めの全校朝会で、私は、
「チャレンジするっていうけど、失敗するのこわいでしょ…。
校長先生も、小学生の時、少年団の試合で監督に、
『代打、いけるか?』
って言われたとき、打てる自信がなくて、断ったんだ。
その時のコーチに、『なぜ、代打を断ったんだ? 失敗してもいいじゃないか!』
って、叱られた…。
でもさ、やっぱり失敗するのが怖くてね…。
挑戦するって難しいと思わないかい?」
そう尋ねると、子供たちはうなずいていました。
「ただね…、成功するかどうかは分からないけど、やったぞ!って思える人は、
絶対に挑戦した人だと思う。
みなさん、今月は、何かに挑戦してみてください。」
と、声を掛けました。
…さて、一か月が経ちました。
苦手な野菜を食べることにチャレンジした子。
跳び箱に挑戦して結果を出した子。
朝学習を始めた子。
など、ボードにはたくさんの言葉が書かれています。
その言葉に返信する子もいて、仲間で価値付けています。
来月は生活目標が変わります。
「もうチャレンジすることは止める?」
という声を掛けたとしたら、子供たちは何と答えるでしょう。
6か月の変容
しばらくブログ更新がおこたり、申し訳ありませんでした。
さて、公開研を終え、1年の折り返しをして、まもなく、1年間のまとめを意識した教育を進めることになります。
今日は、6か月の変容を見てみようと思います。
これは、4月の1年なぎさ組の様子です。
机に座って学習を進めることに慣れていない子たちは、担任と支援員がマンツーマンで指導しています。
あれから、6か月が経ちました。
担任と支援員の立ち位置にあきらかな変容があります。
子供たちが、学習を進めています。とても楽しそうです。
次の写真。
先生の指導法にも変容があります。
紋別市が今年度導入した「電子黒板」です。
画面をなぞって文字を書くこともできます。
切り取って移動することもできます。
子供たちの思考の跡を残しておくこともできます。
1年生の「生活科」では、自分たちの生活の様子を振り返るために、
いくつかの朝の行動が示された端末の画面を操作して、自分の朝の様子を全体で見合っています。
目まぐるしく変化する時代で、自分の力となる大元は、「習慣」です。
この写真をご覧ください。
先週、「PTAレク」を中学校体育館で開催しました。
「ボッチャ」をして交流しました。
2時間弱の活動を終え、閉会式を行う前にある行動をする子たちがいたのです。
活動した後には、誰かが掃除するものです。
モップ掛けをする姿がありました。
私は感心しました。
「使った後の場は、片付け、掃除をするものだ。」
ということを理解しているのです。
そして、その様子をみた保護者の方が、
「並んでモップを掛けなさい。」
とおっしゃいました。
「言われなくても進んで掃除する」こと以上の指導をしていることに、
私は、渚滑地区の教育の強さを感じたのです。
本校の職員の中でも、
「学ぶ態度だけでなく、学ぶ内容、考え方のレベルをアップすべきだ。」
という声が挙がっています。
どんな人間も、常に学び、変容していく必要があります。
年齢や立場によって、その考え方や価値観は同じではありませんが、
そういう人が集まって仕事をしたり、学んだりすることに意味があり、
自分たちの足跡を分析しながら前に進んでいくことが大切だと感じています。
鹿が出没する裏庭も、
白く変容しました。
寒い冬がやってきました。
毎日の実践を(公開研究会)
朝、グラウンドは氷に覆われていました。
玄関前に張った氷の上でスケーティングをして楽しむ子供たち。
いつも通り明るく登校した子供たちを出迎えた8日は、
本校の公開研究会でした。
「公開研究会」とは、市内だけでなく他市からも先生たちが来校して授業を参観し、
その後、協議の中で本校の教育について、意見、感想、助言をもらうのです。
これまでの実践を振り返るとともに、新たな視点を見出す貴重な場です。
授業は、低学年の複式授業を設定しました。
子供たちが身に付けた「学習力」を観ていただき、
その後の協議で、意見交流をします。
「参観されたみなさんにお願いがあります。
自分が渚滑小の職員になったつもりで、忖度ないご意見をお願いいたします。
職員一同、その覚悟を決めております。」
そのような挨拶をして始まった研究協議。
多面的な視点での意見が出されています。
参観者の中には、自らの実践ノートを持参してくださったり、
「自分ならこういう手立てを用いる。」
といった、ご意見を頂戴しました。
こうして数時間が終わりました。
貴重なご意見、ご助言をいただきありがとうございました。
参観した先生方、本校職員が、
「やってよかった!」
「来てよかった!」
「明日から使ってみよう!」
といった感想をもつことができる研究会になったことを願っています。
その評価は、今回の研究会が子供たちに還元できてこそですし、
忙しいとされる教員の「働き方」「生き方」の一助となることで、
価値があるものだと思います。
【教頭からのメッセージ】
言葉のつながり
毎朝、玄関に立って子供たちを迎えていると、気付くことがあります。
仲間が2人に集まれば、「一気に話に花が咲く」ということ。
本校は、渚滑地区外からの登校児童が多いため、毎日、おうちの方が送ってくださいます。
車から降りたときは、
「・・・。」
だった子が、
玄関に仲間がいることに気付くと、
「〇〇ちゃん!おはよう!!!」
「ここにね、虫がいるよ!」
「どれどれ!!」
といった具合になります。
また、玄関に子供たちが作った掲示物が、初お披露目されると、その前に集まって、
「これ、いいね!」
「かわいいね。」
と感想の言い合いが始まります。
その様子を見ていると、
自分以外の存在がいるおかげで、「言葉を発する」機会が増えることが分かります。
校長室にお菓子をもらいに来た子供たちですが、
このお願いをするために、前日、話す内容の練習をしていました。
相手の存在を考えて、伝え方の練習です。
これは、自分以外の相手がいるから言葉を使うのです。
今日、6年生主催の「全校遊び」がありました。
6年生3名が、遊びのルール説明や、進行を務めています。
伝言ゲームでは、最後まで伝えきったチームは、
「イエエエエエエイ!!!」
と大盛り上がり。
言葉がつながるってことは嬉しいものなのですね。
玄関にある生活目標の自己評価ボードには、仲間たちの言葉に価値付ける言葉が書き込まれていています。
反応してくれるのは嬉しいことです。
自分に気付く、他人に気付くための活動をつなげる教育を進めています。
【庭の紅葉が美しいです。朝晩の冷え込みによる交通事故、気を付けましょう】
全国連合小学校長研究協議会に参加して思うこと…。
久しくブログをアップできませんでした。
…というのも、徳島県へ出向いていたからです。
公私混同しないように気を付けて、全国各地の校長の方々と交流して感じたことをお伝えします。
2、000キロを移動して着いた、阿波踊り空港。
気温が25度を超え、夏日でした。
それから、バスで徳島市内へ移動。
静かな街でした。
翌日、全体会・分科会へ。
2,200人が集う全体会場は圧巻です。
その後、行われた200名弱の分科会では、私を含め、東北、関東、関西など各地の校長と交流を持ちました。
雑談も含め、協議をしてあっという間の数時間でした。
各地で課題とされているものはやはり似ています。
学力に関すること。
いじめ・不登校。
防災。
などです。
地域によって取組の軽重はあるにせよ、「防災訓練」がそれぞれあり、
「津波対策」「地震対策」など、地域に応じた課題があり、感心しました。
渚滑地区の「熊訓練」について話すと、
「おおお!!!」
という感嘆の声があがりました。
私は、
「熊に対する避難の学習だけしても意味がないと思います。
なぜ、そこに熊が現れるのか? を問うたとき、地域の課題となる背景にまで目を向けなければ、
学習として意義をなさないと思うのです。
つまり、皆さんの地域で「津波対策」をしているのなら、津波が起こる地形背景や、もし起こった時、地域はど
のような行動を起こすのか? 未然防止策まで目を向けさせる必要があるのではないでしょうか?」
と、自論を提起しました。
その後、石川県能登半島沖地震に被災した校長が、お話する機会がありました。
次の言葉が残っています。
「災害が起きた時、予想もしない状況に陥ります。
私たちは、想定しない出来事が起こることを想定して準備しておく必要があります。」
と。
今回、貴重な交流ができたと実感するとともに、
「渚滑のよさ、北海道のよさや課題をどのように学ばせるか?」
私には狭い飛行機の座席に座りながら、物思いにふけたのでした。
ICT活用の基盤となる力
修学旅行から帰ってきて、子供たちの学習の様子を観てみました。
5,6年生は国語の学習です。
それぞれの学年で課題を設定し、空き教室を使って進めていました。
5年生は、これから学習する単元の、「単元学習計画」を相談しながら決めていました。
説明文教材で、筆者が主旨(いちばん伝えたいこと)を主張するために、
どのような工夫によって文章を構成しているかを学びます。
担任はそこにはいません。
子供たちが自分の学びとして確立しているからできるスタイルです。
一方、6年生は…、
「古典」の学習です。
ここでは、「芸」について視点をあて、動画を利用して親しんでいました。
動画で動きを観ることができるのは、端末ならではです。
1年生教室をのぞいてみます。
「漢字の成り立ち」について、学習を進めていました。
ここでは、動画をつかってその漢字がどのようにできたのか、確認しています。
「うわぁ!! すごい!」
と、形が徐々に動いて漢字に変換していく様子をみて興奮していました。
「上」という漢字がなぜ、そのような形になったのか、予想を交流するのも面白いです。
中学年教室をのぞいてみます。
音楽の学習です。
「鑑賞」の授業で、曲の様子を曲線で表して、電子黒板を利用して共有していました。
「ここで盛り上がって、ここで暗い感じがしたので下がって…。」
という発表を聞いたある子が、
『…っていうことは、そこが曲の山場ってこと?』
とつぶやきました。
実は、こういう子供たちの言葉で「価値付け・意味付け・問い返し」がなされると、
学習は「自走」に近付きます。
つまり、受け身の学習から、自分たちで学習を構築し、学び続けるということです。
『…それって、ちがう場面でも同じことが言えるの?』
『じゃぁ、視点を変えたらどうなるの?』
『つまり、〇〇ってことね。』
などが、授業の中でどんどんつぶやかれるようになるといいですね。
ICTを活用する利点が多くありますが、そもそも、子供たちは学ぶ力として、
「はてな?」
「つまり…。」
「違う方法で試してみよう。」
といった、探求心をもって学ぶ基盤が大切です。
ICTの教材は、数年前と比較して驚くほど用意されてきました。
その教材を意図的に活用する力が、教師には試されてきています。
【事務職員作成】
紋別のにおい 無事着!
お出迎えありがとうございました。
旅行団、全員無事到着です。
到着が早まりそうになって教頭がメール対応してくれました。
もう少し私が早くに連絡いれるとよかったと反省しています。
子供たち、どこでもいい顔してました。
そして担任団も近過ぎす離れすぎず、子供たちを見守っていました。
グループごとに引率者が付き、子供たちを支えていた姿を見て、私も安心して見ていました。
きっと子供たちは大満足の旅行だったと思います。
ホテルの食事も最高でした。
また、来週から渚滑の教育を積み重ねていきます。
保護者の皆様、支えてください。
在校生のお迎えカード、素敵です。
帰路につきます
イオン出発です。
イオンにきたぁ!
イオン着。
グループごとに昼食です。
みんなフードコートにいます。
旭川を出発する時にアップします
博物館、科学館で学習!
いよいよ最終目的地イオンへ!
体調崩している子はいません。
おはようございます!
修学旅行2日目。
朝食もしっかりとりました。
「何度か目が覚めました。」
「しっかり寝ました。」
そんな子供たちと2日目を迎えました。
スーパームーン!
ごちそうでした。
何でも揃っていました。
満腹です。
子供たちも楽しんでいます。
仲が良い子たちです。
これからお風呂タイムです。
ホテル着!
今夜の宿泊ホテルに着きました。
みんな元気です!
陶芸体験 上手くできた!
茶碗、カップ、皿など用途に応じた作り方を体験。
「おばあちゃんにあげる。」
「お父さんには使わせない!」
と完成した作品をイメージしていました。
完成品は冬休み前に届く予定。
さて、これからホテルに向かいます。
動物園その2
集合時刻ぴったりに全員集合!
昼食は何を食べた、何を買ったの話題で盛り上がり、これから陶芸体験です。
動物園その1
動物園に着きました。
天気の心配は無し。
集合時刻を確認して、グループ行動です。
まず、記念撮影です。
昼食もそれぞれ。
スポーツパークで絶叫!
当麻スポーツパークでグループ事にミッションクリア!
けが人なし!
これから動物園に向かいます。
バスレク開始
トイレ休憩後、バスレク開始。
早口言葉、タイム当て、10回クイズ。
頭が覚めました。
車酔いの子もいません。
出発!
いい天気。
みんないい顔で出発です!
所々でアップします。
マラソンで自分を築く
昨日、マラソン記録会を開催しました。
コースの巡視をしてくださる見守り隊の方々もいらっしゃいました。
秋晴れの天気の下、スタートです。
ゴールした後、へたり込んでしまう子もいましたが、
たくさんの声援が背中を押したのか、タイムを縮めた子が数多くいました。
最後の振り返りのあいさつの中で私は、
「今日まで、皆さんはそれぞれ「準備」をしてきたと思います。
そんな中、放課後、家へ帰ってからもう一度学校へきて、
コースを走っていた人もいたようです。
こうして準備をした人を、校長先生は観察していました。
その人は、ゴールをしたとき、とってもいい顔をしていました。
立派でしたよ! 〇〇さん!」
おうちの人と一緒に走って練習を積み重ねたようです。
一緒に走ってくれたお父さんのその存在は、力強かったことでしょう。
他にも当日の朝、校長室にやってきて、
「校長先生、マラソンをこの世から無くしてください。」
と冗談交じりに話してくる子がいました。
「なくしてあげたいけどさ、今日は、これだけはやってみようと思える
目標を作ろうか。
例えば、あの電柱までは絶対に歩かないとか、歩いてしまう回数を何回にしようとか…。」
結果、その子はタイムを縮め、振り返りにこんなことを話したそう…。
(学級通信より)
「セカンドウィンド(体が楽になって、つらさを感じなく走る状態)にはいり、
最後にペースアップできた。
そのあと、きれいな花火が心の中に打ちあがった。」
素敵な表現だと思います。
やっぱり、実際に経験しなければ感じることができない表現です。
つらい、苦しい、やりたくない という思いが先行するマラソンですが、
子供は、「自分の変容に気付くことができるか?」
大人(教員、保護者)は、「変容に気付かせることができるか?」
が大切です。
その視点が、「タイム」であり、「取り組み方」だと思います。
放課後に走る。
休み時間に走る。
この取組を通じて、普段から体を動かしてみる。
そんな自分の築きができるといいですね。
児童代表が、応援に来てくださった方々にお礼の言葉を述べています。
「皆さんのおかげで走りやすかったです。」
という言葉が印象的でした。
お疲れさまでした。
【大声援の中、気持ちよくゴールする男】
食べることは生きること
今日、全校児童が「稲刈り」をしました。
稲穂が垂れたわらを持ち、サクッと刈りました。
まず、田んぼに着いてから成長の跡を観察します。
においをかいだり、食べてみた子もいます。
とても大切な視点です。
「あまぁ~い!」
生米をつまんでみた子が叫んでいます。
私は、刈り取るときの道具に着目していました。
刃の部分がギザギザになっています。
持ち手と刃の角度が私の知っている鎌と違います。
これは、「人間の知恵」です。
刈るときにこうしたほうがいいからです。
売っている鎌とこの鎌の違いを比較してみるのもおもしろい学習です。
子供たちの動きを見ていると、
ごくごく自然に「役割分担」をしていることに気付きました。
刈った稲を集める子。
集めた稲を、結ぶ子。
結んだ稲を、棚に掛ける子。
一つの組織が、それぞれの役割を全うしているのです。
この時、教員は指示をしていません。
子供たちが周りを観て動くことができることに感心しました。
20分ほどで刈り終えた田んぼを、入念にチェックしている子もいます。
落ちている1本の稲も見落とさずに拾っているのです。
「ご飯粒を残さずに食べる。」
という躾があります。
お分かりのように、お米を作る作業をした子は、「一粒」も無駄にしないのです。
その価値を知っているから。
何かを大切にする指導をするなら、
それにかかわる作業をさせるのも大切です。
最後に、お礼のあいさつです。
「ありがとうございました。」
の一言で終わることなく、
「私が今日、学んだことは…。」
というように、その学習の価値付けをする挨拶をしていました。
食べるために人は知恵を絞り、
手を加え、
それに応えるかのように、食物は色を変え、
大きさを変え、人に知らせている
そんなことを感じさせてくれる学習でした。
西部耕地の職員の手際の良さは相変わらずです。
今後、脱穀です。
学習に深まりをもたせる可能性のある活動でした。
本日もありがとうございました!
自分の体に気付く
体育学習に「体つくり」があります。
その目的の1つに、
「自分 の体の状態に気付き, 体の調子を整えたり,仲間と豊かに交流したりすることができること」
とあります。その活動に「持久走」があります。
でも、やっぱりマラソンは嫌な子が多いです。
「
先日の全校朝会で、マラソンの「デッドポイント」と「セカンドウィンド」の説明をしました。
『君たちの走りを見ていると、とてもつらい走り方をしていますね。
なぜなら、走ったり歩いたり、極端にスピードを早めたり遅くしたりを繰り返しているからです。』
子供たちはうなずいています。
『走り始めて、呼吸が苦しくなり、脚が痛くなったりして走ることが辛く苦しいと感じる時があります。
これを「デッドポイント」といいます。』
多くの子は、この時に歩いてしまいます。
この状態がつらくて、マラソンが嫌い! と思ってしまうのです。
『ここで走るペースを保っていけば、体が上手く慣れてきて楽に走り続けることが出来るようになります。
この状態がセカンドウィンドといいます。
さて、今日の練習でセカンドウィンドを感じた人は、校長先生に教えてくださいね。』
そうして練習を開始しました。
歩いたり走ったりを繰り返している子もいます。
でも、中には、
「校長先生!! セカンドなんちゃらを感じました!」
と教えてくれる子も。
「あそこの坂で、体が楽になって…。
それまできつかったんだけど。」
ゴールして疲れ切っている子の中にも、
「私も感じました。」
と話す子もいます。
自分の体の変化、調整力に気付くことは生きていく中で大切な要素で、
寒くなってくると、服装を変えて体調を整えたり、逆に暑いときに涼しくしたり。
こうした自分に気付くことは、「生きていく力」に直結しているといっても
過言ではないのです。
【気持ちよさそうに走る教員~セカンドウィンドを知っている男】
道具を使いこなすこと
「熊出没」に関する情報からスタートした今朝。
毎日、玄関で子供たちの登校を見守ってくださる地域の方が、
「いやぁ、久しぶりに熊見たよ。」
と興奮気味に知らせてくれました。
さて、授業を観に学校を回っていました。
高学年は算数の授業をしています。
そこで、目をとめる様子がありました。
ノートに数直線を書くとき、子供たちは「定規」を使います。
その様子を見ていると、子供たちは定規の線の引き方が上手でした。
さっと定規をあてて、さっと線を引く。
こうしたスキルは、いつでも定規を使っていなければ使えるようになりません。
もたもたせず、「サッ」と引くのです。
「親指と人差し指を開いて定規をあてる」
低学年からつけさせたい能力の一つです。
使いこなすを言えば、
先生も「電子黒板」を使って授業を進めています。
子供たちと共有したり、見本を見せて説明したり、
やっぱり便利です。
低学年教室を観ると、
2年生が自分たちで学習を進めていました。
「自分の考えたことを説明してください。」
とリーダーが話していました。
学芸会も終わり、修学旅行、収穫祭と続きます。
先生も子供たちも、普段の授業を大切にして過ごしています。
【学芸会の振り返りの言葉より】~みんなに助けてもらったらうまくいった。
応援は力になるか?
先日の学芸会の様子については、今月の学校だよりをご覧ください。(クリックダウンロード可)
たくさんの保護者の方々の価値付けのお言葉、ありがとうございます。
さて、今回のブログは、「応援は力になるか?」
というものです。
次の写真をご覧ください。
マラソン記録会に向けて動きだしました。
10月10日に記録会があり、今日は、第1回目の記録測定です。
今日の記録より1秒でも縮めることを考えると、
目標となる測定でもあります。
私は今日の様子を観察していました。
すると、あることに気付きました。
子供たちの応援の声です。
私は今まで多くの学校でマラソン記録会を経験してきましたが、
走り終えた子が、これほどまで声援を送る状況を見たことがありません。
「がんばれ!! もう少しだよぉ!!」
「がんばれ! がんばれ!」
この様子を見て、オリンピックアスリートの言葉を思い出しました。
「みなさんの応援が力になりました。」
という言葉。
人によっては、「ほんとに???」
と思っている人がいるかもしれません。
コロナ渦で、スポーツ会場で応援できない時期がありました。
声援をスピーカーで流したり、
顔写真を応援席に貼ったり、
アスリートのパフォーマンス向上に効果はあったのか…?
と個人的に分析してみたいものでした。
本番と同じコースを走る子供たちに、声を掛ける子供たち。
「もうすぐだよ!! がんばれ!!」
声を掛けられると、ものすごいダッシュを見せる子や、トボトボ歩いていた子が
急に走り出したり…。
テンポよく走っていた子が、ラストスパートをかけたり…。
関門に立っていた教員がゴール付近に戻ってきた様子をみた子達が、
「〇〇先生!! あと少し!! がんばれ!!」
という合唱を始め、
なぜか走り出し、ゴールした瞬間に
「イエェ~イ!!」
とみんなで歓声を挙げたり…。
結論…。
「応援は力になるし、仲間意識を高める
ただし、マラソンは同じペースで走るべし」
学芸会を前に…。
この写真は、学芸会を明日にひかえ、
最後の低学年体育館練習の様子です。
一年生の大事な役割の一つに、「はじめのことば」があります。
立ち位置、ことばの言い方、動きを確認しながら
自分たちの役割を果たすとともに、
これまで学習してきた成果を表現する場でもあります。
私が思う学芸会という行事は、子供たちだけでなく、
「指導者(担任)の指導観を鍛える」行事でもあると考えています。
数日前、「総練習」を行いました。
総練習が終わったあと、職員が振り返りの反省会議をしました。
各学年の種目に対して、忌憚のない意見交流が続きました。
「立ち位置を変えたほうがいい。」
「BGMに工夫を。」
「あそこの「間」が気になるから、こうしたほうがいい。」
協議を経て、その後の3日間の仕上げの指導に入りました。
今日の中学年の練習で、
子供たちの振り返りを生かして、その視点で再練習を重ねています。
でも、子供たちだけでは気付かない面もあります。
その時、担任は、
「ここはどうだった?」
と問います。
私は学芸会で、先生の動きを見ます。
4月からここまでの学級指導と教科指導の両方を見取ります。
演じたり歌ったりするとき、その指導者の「こだわり」はどこにあるかです。
ふとした台詞や簡単な動きに、
子供がこだわっているか?
指導者がそのように仕掛けているか?
が現れるのです。
指示や問い掛けに筋が通っているか?
子供たちが戸惑うような言葉になっていないか?
などです。
「声を大きく!」と言っても、
それは具体的な指示とは言えず、変容がない場合が多いのです。
それよりも、
「言葉の一番最初の一文字を大切に、高い声で言ってみよう。」
と指示して話させると、子供自身がびっくりするくらい変容します。
こうした指導をこれまでにしてきたか?
音読を大切にしてきたか?
つまり、普段の学習を大切に、要点をおさえて指導してきたか?
が分かるのです。
低学年の練習が終わり、
担任が、話を始めているのに注目していない子が数人いたとき、
何度もやり直しさせて聞く姿勢をとらせました。
毅然と指示を出しています。
大事な指導です。
個別に「価値付け」ている様子もありました。
「〇〇がよかったよ。」
と声を掛けているのです。
学芸会当日は、ステージの表しか観覧できませんが、
これまでの過程、裏方の動きが分かると、
もっと価値のある行事になります。
明日の学芸会・学校祭にはお気を付けていらしてください。
お待ちしております。
親のかかわり
朝の登校時間に、興味深いシーンを見ました。
私が玄関に行くと、
「校長先生、おはようございます!
これ! トノサマバッタです!」
と見せにきた子がいました。
『ほぉ! 立派なトノサマバッタだ。』
その子は、
「逃がしてあげるんだ。」
と、玄関前の草原に駆け出しました。
そして、虫かごのふたを開け、
「出てけぇ!」とバッタが出ていくのを待っています。
でも、小さなふたから出ていく様子はありません。
そこで、
「そうだ! 草をあげたら食いついて出ていくかも?」
と考え、草をふたの近くで揺らしています。
バッタが出ていく素振りはありません。
次に、
「そうだ! ふたを全部とってしまおう!」
と考え、むしかごのふたをとろうとしました。
でも、かごからふたはなかなか外れません。
そこで、
近くにいたその子の母親に近付いて、
「これ…。」
と言いました。
でも、その母は、すぐにこう言いました。
「自分でやってごらん。」
と、にっこり笑っています。
その子は、母親は助けてくれないと判断し、
自分で挑戦しました。
少し時間が掛かりました。
でも、
「開いた!!!」
自分でふたを外すことに成功しました。
(やったぞ! ぼくは自分でやったぞ!)
という心の声が表情に表れています。
ふたが外れた虫かごを、そっと地面に置きました。
それでも、バッタは逃げません。
さて、どうするか…?
その子は、かごを手に取り、勢いよく走り出しました。
「にげろぉおおお!」
すると、中のバッタはびっくりして飛んでいきました。
『やった、逃げたぞ!飛(跳)んでるぞ!』
と興奮して私が叫びましたが、
その子は、バッタを見失っているようで、
全く逆の方向に手を振って、
「ばいばぁ~い!」
と青空に向かってにっこりしていました。
多分、立派なトノサマバッタを誰かに見せたかったのでしょう。
立派なだけに、怖くて触ることができないけど、
何とか逃がしたかったのでしょう。
その時、大人が代わりにバッタを逃がすこともできましたが、
私は、この子の興味や力を見守ることの方が大事だと感じました。
怖がっている子の代わりに、かごを預かり、
代わりにバッタを逃がした方が早いですが、
でも、この子の知恵や喜びを奪ってしまうことにもなります。
ふたを外してあげることもできましたが、
母親が、
(できるよ。がんばってやってごらん。)
と見守る姿に、同じ気持ちであることに嬉しく思いました。
子への期待、不安、親のかかわり方が、私の思いと一致していたのです。
時々思い出すことがあります。
私が過去に勤務していた学校では、
子供が親を使い走りにして、
「やってもらって当たり前だ」と勘違いしているのか?
と思わせる場面を何度も目にしたことがあります。
例えば、
参観日に保護者が来ているときに、
帰りの会が終わり、一緒に帰ろうと子供が親の前に近寄りました。
すると、自分のカバンをポンと親に投げ、
「持ってって。」
と言うのです。
結構な頻度で目にしました。
こういう、親の存在を(蔑)さげすんだ子供を
そのままにしていいことはありません。
「なぁ、〇〇さん。親にそんな態度はだめだ。
自分で持って帰りなさい。」
と、大勢の前で告げたこともあります。
玄関を親が開けるまで、自分で出ていこうとしない子…。
雨が降ったら傘を親が届けることが当たり前だと思い、
傘を持ってきた親に向かって、
「遅い!!!」と文句を言う子…。
親子のかかわり方に正解はないと言われるけれど、
やっぱり、「子が親より偉いんだと思わせる行動」に対して、
そして自立に向けた本質の、
「自分のことは自分でやる」
「困ったら、自分で助けを求める」
という諭しは、親の大事な役目だと私は思います。
…そうは言うけど…、親の悩みは尽きぬものです。
朝の玄関
子供たちを迎える準備として、
公務補が玄関先を掃いています。
枯れ葉を掃いているようですが、
実は、これです。
お分かりですか?
「クスサン」という蛾の羽です。
今年は異常発生しているようです。
電気に集まったクスサンを食べたカラスによって、
無残に散らかった、羽があちこちに…。
玄関がきれいになったころ、
地域の「見守り隊」の方が、やってきます。
最近、学校一番乗りの子は、
「校長先生 おはようございます!」
と、自分から先に挨拶します。
周りの大人たちを見付けて、
挨拶をしています。
『自分から先に挨拶できるんだね。
立派だな。』
というと、にやにやしています。
その頃、スクールバスが到着し、
一気に明るい玄関になります。
「おはようございます!」
自分から私たちに声を掛ける子は、全校児童のうち三分の一ほどでしょうか。
7時45分 玄関開錠まで、雑談をします。
この時間がとってもいいです。
「校長先生! 今日も黒ですね。」(服の色)
「昨日、〇〇に行ってきました。」
(絆創膏を貼っている子を見掛けて…)
『ん? そこどうしたの?』
「昨日、転んじゃって…。(どこで?)遊んでた時に…。」
「マラソン記録会の練習してます。
家の周り、5周してます。」
『へぇ!やるね!』
なんていう世間話から、話に花が咲きます。
こうして、一日がスタートします。
眠たい目をこすりながら来る子もいます。
朝の玄関は、情報の玉手箱なのです。
【机の中を整理整頓する】
この指導、とっても大事です。
学校の強みとは
【木村のつぶやき…】
先週、今週と多くの来客がありました。
業者の方との調整だけでなく、授業を参観してもらった後に、
渚滑小の教育活動を説明する機会も多かった一週間でした。
私も最後に挨拶する機会があったのですが、
ふと考えたときに、「渚滑小の強み」とは何かを改めて考えてみたのです。
これだと思いました。
放課後、子供たちの情報、今後の指導について話し合っている職員。
休み時間に一緒に遊ぶ職員。
子供がこぼした水を拭く姿。
私は、なんでもかんでも子に手を差し伸べる教育が良いとは思っていません。
乱暴に聞こえてしまうかもしれませんが、
子供のできること、乗り越えさせなければならない力を
奪ってしまうことがないように接したい!
と思っています。
だからと言って、何もしないことがいいとも思いません。
気付かせるという名の放任になってしまわないか…?
そうならないために、子の情報をいかに得るか?
だと思います。
保護者の方から、相談される機会が増えています。
それはとてもいいことだと思っています。
つまり、
「情報を職員で共有する」
「一人で悩まない」
「聞く耳とアンテナを立てておく」
ためにとっている行動が、
自然と渚滑小の強みとなって、子の教育につながっていると思います。
…という挨拶をする機会が多かった一週間でした。
学びの必要感を
中休み、昼休み時間になると決まって校長室にくる子が数人います。
1年生です。
ただ、こんな感じです。
校長室のドアを「バ~ン」と開けて、
「校長先生! 虫取りに行こう!」
という感じです。
私は、この子たちのいい遊び相手かもしれません。
でも、そろそろ「礼儀」たるものを
教えてもいいかな?と思っていました。
当然、一年生担任も、コツコツと指導しているのですが、
定着するには、何度も指導する必要があります。
今日、同じように校長室に入ってきた子に、次のように話しました。
「今日も来たな!
でもさ、〇〇みたいに入ってこられたら、校長先生びっくりするよ。
だからさ、今度校長先生を誘うとき、
ドアを3回ノックしてくれないかな?
やってみるかい?
『コン、コン、コン。』
そう!
その次に、『失礼します。』って言えば、かっこいい!」
昼休みになりました。
私が校長室で仕事をしていると、
『コン、コン、コン。』
(おっ!? きたな?)
「どうぞ!」
シーン…。
こちらから、
「しつれいしますって言って入ってきていいよ。」
と言うと、
「校長先生! 虫捕りに行きましょう!」
とドアを開けて入ってきました。
「覚えていたね。ノック3回」
『へへへ…。』
「よし、行くか!」
「ノック2回は、トイレに入るときだからね。」
『へぇ…。』
その後、外へ出て、オニヤンマを捕ったのです。
私はこの話の中で、「学びの必要感」についてお話ししたい。
校長室、職員室に入るときに、「ノックをして、失礼します」と言ってから入る。
という指導をするときに、どんなタイミングでどの場面が効果的か?を考えます。
礼儀や躾ですから、理屈なしに指導すべきです。
でも、子供目線になって、どうすれば腑に落ちやすいかを考えることも、
「教育」の意義です。
今日の一年生にとって、
「一緒に虫取りに付き合ってくれる校長先生を呼びに行く」
という行動をとりたいときに、来室の礼儀を教えることが効果的だと考えます。
それができていないときに、
「あれ? それじゃぁ、いっしょに行けないな。」
と考えさせることも必要です。
今まで何度も校長室に呼びに来ていた1年生ですが、
校長先生と虫取りに行きたいという欲求を高めるために、
来室の礼儀について指導するのは待とうと思っていました。
(※自分の欲求を聞いてくれず、違うことで指導されると子は混乱するんです。
だから、「もういい!」ってことになる…。)
このように、子供にとって学びの必要感を感じて学ぼうとしたとき、
インパクトは強いものになり、自分の力として身に付きやすいのです。
国語や算数が嫌い 社会が苦手…などという子にとって、
その学習にどうしたら必要感を感じさせられるのでしょうか?
それは、「思考のズレをうむ」ことです。
簡単に言えば、
「はて?」「おや?」「思ってたことと違うぞ…。」「試しにやってみたい!」
と思わせること。そうした導入が授業の肝となります。
先月の「学校だより」に「学びのスイッチ」について触れました。
学びのスイッチは、人によって異なります。
でも、そのスイッチを探る努力を、教師は続けなければならないのです。
…という固い話でした…。
【高学年の動きを見た】
昨日、「避難訓練」がありました。
避難するとき、上靴のまま外へ出ます。
そのため、校舎に入るときに上靴の底を雑巾で拭き取らなければなりません。
全校児童が雑巾を使い終えた後の写真がこちら…。
雑巾をしまい、玄関を普段通りに戻している5年生の女の子。
全校で使った物の後始末まで、言われなくても考えて行動できること。
「天晴!!!(あっぱれ)」
をあげたい行動でした。
作物を育てることでつながる学び
昨日、地域の「西部耕地出張所」に中学年の子供たちが出向きました。
6月にもお邪魔したあそこです。
田んぼの稲の観察です。
6月に植えたときは…、
これくらいでしたが、
今回うかがうと…、
こんなに成長していました。
稲穂も垂れてきています。
その成長に驚いている反面、
興味はそこにいる昆虫にも広がっています。
「蜘蛛いる!」
「なんだ? この虫は!??」
といった様子。
そんな子供たちに対応してくださるのが、西部耕地の職員なのです。
『お米が成長するのに役立つ昆虫がいるんだ。なんだと思う?』
『トンボや蜘蛛なんだよ。どうしてだと思う?』
と、お米とつなげて昆虫の役割について思考させてくれるのです。
その場に餌となる昆虫がいるから、昆虫が集まるのですね。
理にかなっています。
分げつした稲を抜いてみることにしました。
力いっぱい込めても、抜くことができません。
「こんなに根がしっかりとついているのかぁ。」
簡単に抜けては、雨風をしのぐことはできません。そういう気付きを促したいものです。
抜いた稲には、どれくらいの粒がついているのでしょう。
私は、一粒かじってみました。
お米の甘い味がします。
みんなで写真をとって帰校です。
今回もさすがの対応をしてくださった西部耕地のみなさん。
今後、低学年、高学年も観察にうかがいます。
よろしくお願いします。
話は変わりますが、この日の放課後、
引率した担任が校長室へやってきて、こう言うのです。
「あの時、校長先生ならどういう発問や声掛けをしますか?」
じつにいいです。
こういう貪欲さがいいです。
『もう、この水、いらないんじゃない?』
など、稲作に欠かせない水に視点をあてたり、
『一つの房には同じ米粒(数)がなるのかな?』『一粒ぐらい違うかもね。』
なんていう、問い掛けが面白いかなと思います。
虫に焦点をあててもいいし…。
当たり前、何となく観ている子供たちを「焦点化する問い」「視点を変える問い」が面白いと思います。
観察の目的が何かによりますが。
学習の深化の条件の一つに、こうした「発問」「問い返し」があります。
ブログを観ている教員のみなさんなら、3,4年生にどういう問いが子供の思考を深化させると思いますか?
そういう研修も面白いです。
【準備する図書司書】
本日、休み時間に図書司書による読み聞かせがありました。
二枚の写真を比較して観ていただきたい。
A
B
AとBの写真、どちらが先でしょう?
同じ図書室で同じように読み聞かせをしています。
お分かりのように、Bが先です。
でも、子供たちがいません。
子供たちに読み聞かせる前に、一人で「読む準備」をしていました。
私と目があって、照れくさそうにしていましたが、
私はこうした「プロ意識」が大好きです。
【丁寧さの指導】
低学年の靴箱の写真です。
下段の長靴に注目です。
子供たちは、靴は「しまえばいい」と思いがちですが、
そうではなく、
長靴の袋の先まで気を配ってしまっていることにお気付きですか?
玄関にはたくさんの情報がつまっている「玉手箱」だと私は思っています。
担任、学校の大切にしたい指導内容や、
子供たちの家での様子まで察することができます。
面と向かった言葉でのコミュニケーション同様、
職員には、こういう場での情報取得をするスキルを向上させてほしいものです。
熱い、厚い、暑い一日
紋別地域も暑い一日となりました。
渚滑小学校では、いろいろなイベントがあり子供たちの気付きの学びとなりました。
【赤い稲妻軍団来校!】
日本大学陸上部長距離の十数名の部員がやってきました。
道東で合宿をしている中、子供たちと一緒に汗を流すために来てくださったのです。
一緒にジョギングをした後、
脚の運び方をレクチャーしてくれます。
小規模ならでは、マンツーマン指導です。
箱根駅伝で走った部員や、
北海道出身の部員、
卒業後は教員になりたい部員もいます。
特別コーチに訊いたところ、
「こうして子供たちに指導する機会はないので、
大変貴重です。」
とのこと。
明日、東京へ帰るそうです。
こうしたつながりができると、日本大学陸上部を応援したくなります。
ぜひ、箱根駅伝で勇姿を見たいものです。
【チョイスクリーンデイ】
この名の通り、掃除する場を自分で選択して掃除する日のことです。
毎週金曜日、自分が掃除すべきだと思う場を選び、掃除をしています。
この子たちは、靴箱の中の土を掃除しています。
この子は、一階廊下をチョイスしています。
「どうして、この廊下を選んだの?」
と質問すると、
『この廊下の端のごみが気になったので…。』
とのこと。
高学年ですから、人通りが多い場をきれいにするために「チョイス」する意図があってもいいでしょう。
なぜそこをチョイスするか?です。
「なんとなく…。」
ではなく、目的をもたせて掃除をすることはとても大切なことです。
この子は…、
校長室をチョイス。
来客のテーブルを水拭きしたり、
ドアノブを拭いたり…、
ラックを拭いた後、物の置き方にまで気を配っています。
「どうして、校長室をチョイスしたの?」
『いやぁ、校長室って徹底的にきれいにする方がいいと思って。
お客さんもくるし、
なんたって、校長先生の部屋だから…。』
「そうかぁ、ありがとね。そう思ってくれると嬉しいよ。
また、頼むね。」
『はい!!』
大げさな活動じゃなく、普段している活動の目的や視点を見直すだけでも、
本質を鍛えることができるものです。
「やらなければならない掃除」「勤労の掃除」だけでなく、「思考して取り組む掃除」に変換する
取組。面白いと思います。
【生活目標の取組】
本校の玄関を通ると、目の前にこのホワイトボードが置いてあります。
これは、生活目標を意識付け、その目標に対して自分がどう自己評価しているか、
他者からどう評価されているかを可視化するボードです。
今月の生活目標は、「健康によい生活をしよう。」です。
健康によいとは?
そのイメージを例として養護教諭が、こんな書き込みをしました。
「ランニングしてます。」
この書き込みに、職員も子供たちもどんどん書き込みます。
この書き込みが、連絡掲示板のようになっていますが、
これはこれで価値があると思っています。
ある人の書き込みに、
「すごいですね。」
というような、返事の書き込みがあるので、チャット感覚でどんどん書き込みが増えていくのです。
今日、このような書き込みを見ました。
思わず、「たしかに。」とつぶやきました。
【いやぁ、嬉しいなぁ…。】
先日、夏休み自由研究発表会をしたことをお伝えしましたが、その続編です。
高学年の作品に、「アニメーション」を作成した子がいました。
発表会の時に見落としてしまった私は、
「作品、観てみたいなぁ。」
とその子につぶやきました。
すると、
『いいですよ。』
と言って、クロームブックを用意してみせてくれたのです。
すると周りに多くの子供たちが集まり始めました。
「いやぁ、すごいなぁ。」
「どうやって書いて動かすの?」
など、そこで交流が始まりました。
『この作品で〇〇コマ必要なら、映画とかのアニメーションって、
何枚必要なんだろう…。』
という、気付いたことが発展して、新たな疑問が生まれていました。
ひとしきりその会話をみんなでした後、
製作者の子がぽつり。
「いやぁ、こんなに反応してくれると嬉しいなぁ。」
子供たちの反応をつなぐと、「肯定感」にもつながります。
【収穫の反応はいかに!】
今日、畑に植えた作物を全校児童が収穫しました。
実は、私たち職員は、この収穫に向けて指導内容を考えていました。
先の学校ブログで私から職員に、
「収穫祭をこのまましていいものか?」
と投げ掛けた記事があったかと思います。
あの後、職員は収穫量を想定し、
「何に気付かせ、今後の活動にどうつなげるか?」
と、話を進めていました。
今日の収穫をしてみたとき、
子供たちの反応は、二つでした。
「うわぁ!!! たくさんとれた!」
と、
「えっ!? これで収穫祭できるの?」
です。
これから、私たちは子供たちにどんな価値付けができるのか、
見せ所かもしれません。
以上、本日の渚滑小学校の様子でした。
大変長くなりました。
熱い、厚い、暑い一日だったことが伝われば幸いです。
子供たちもすごいけど、職員たちも大したもんです。
新しい匂い・子の学び
今日、保護者の方々を招いて、「自由研究発表会」を開催しました。
休み時間に、「縄跳び検定」の様子も参観いただきました。
実は、体育館床の改修工事が終了し、無事検査と検定を通過したことで、
使用許可が出た真新しい体育館での検定となりました。
子供たちも早く体を動かしたくて仕方なかったようで、
うれしい笑顔でいっぱいの運動となり、その様子を披露することができたのです。
この体育館でたくさん体を動かしてほしいものです。
改修にあたり、業者の方、委員会には大変お世話になりました。
大切に使わせていただきます。ありがとうございました。
その後、会場を2つに分け、発表会を開始しました。
前方の電子黒板を利用して説明したり、
クロームブックでプレゼンをしたり、
伝える相手を意識した説明をしています。
感想を述べたり、質問をしたりしながら他と関わっていきます。
私は講評として、2つのことを話しました。
「話すこと・聞くこと」に関する内容です。
『今日、皆さんが伝えたい相手は誰ですか❓ そう、この教室にいるおうちの人や、仲間たちですよね。
伝えたい相手がいるのだから、準備した原稿だけを見るのではなく、
目線を配ってほしいなと思っていました。
すると、目線を意識している人が数人いました。
アドバイスがあります。
今回、たくさん質問したり感想を発言した人がいましたが、
これからは、質問の答えに簡単に納得しないで、さらに質問を重ねてみてください。
すると、次々に情報がつながって、より相手の伝えたいことが見えてくるでしょう。』
こうした活動には、必ず振り返りが必要であり、振り返る視点を与えることで、
今後の活動に生かすことができるものです。
職員でも発表会について振り返りをして、今後の教育活動に生かしていこうと思います。
今回の作品発表会、欠席者なく全員が発表できたことも大きな価値だったと思います。
今日、参観された保護者の皆さんはどんな感想をおもちでしょう?
今度、担任に話してみてください。
準備を大切に
2学期がスタートしました。
皆様お久しぶりでした。
二学期始業式では、子供たちを前に、次の話をしました。
「さて、夏休み中には大きなスポーツイベントがありましたね。」
『オリンピック!!』
「校長先生は、もう一つ、「高校野球の甲子園大会」を楽しんでみていたよ。
見た人はいる?」
※4分の1の子。やはり、野球を見ている子は少ないか…。
「先生はね。勝った負けたというより、試合が終わった後の様子を見ていました。
どうして、試合が終わった後に、「泣く人」が多いんだろう…?」
「悔しいから?」
『勝っても泣いている人がいるよ?』
「うれしいから?」
『どうして、泣くくらい悔しいのかな…、うれしくて泣くってどうしてなのかな…?』
そう投げ掛けると、う~ん…。となりました。
『校長先生が思うに、「その試合に向けて、どれだけ練習したのかが表れているんだと思うんです。』
「そうだ。遊んでばかりいて負けても、悔しくないと思うし…。」
『柔道の選手で、負けた後、大声で泣いていた人がいました。
テレビではいろんなこと言われてたけど、校長先生は、この選手は相当な練習をして臨んでいたのに
負けてしまった瞬間に泣いたんだと思うんです。
先生は、テレビに向かって拍手をしました。』
『二学期も学校ではいろんな行事があります。その行事の当日だけよければいいと思わずに、
準備をしてほしいです。
きっとやり遂げた嬉しさが変わってきますよ。』
そんな話をしました。
夏休み中、渚滑地区の盆踊りもありました。
実行委員会から、PTA露店出店を依頼され、PTAの保護者の方々や子供たちがお手伝いをしてくださいました。
皆さんとってもいい顔をしていました。
接客するときに、とても温かい表情だったことが印象的でした。
ここでも、当日までの準備は、当日を想定しながら打ち合わせをして、物を用意して当日に臨みました。
この準備があるからこそ、安心して当日の接客ができたのだと思います。
子供たちの変容を促すために、私たちも準備を怠ることなく、進んでまいります。
誇りに思う
一学期が終わりました。
7月の学校だよりに、私は
「本校職員を誇りに思う。」
と書きました。
その意味をお伝えします。
毎日、子供たちのために思考し、試行しながら仕事にあたる職員です。
一学期最後の職員会議で、私は職員をねぎらうとともに、
「懸念していることがある。」
と伝えました。
「収穫祭」です。
学校の畑が、残念ながら雑草畑です。
「私は悩んでいます。
このような畑の状況で、収穫祭をすることが子供のためなのかと…。」
明るい雰囲気で終わることができず、申し訳ない反面、
何が問題で、どんな手立てをとるべきなのか全員で考えて欲しかったのです。
会議が終わり、
校長室に戻りました。
すると、
窓の外から、
「わははははは!!!」
「ぎゃははは!!!!」
という大笑い声が聞こえます。
何事かと窓の外に目をやると…、
職員総出で草むしりを始めているのです。
そこには、世界一楽しそうに雑草むしりをしている集団がありました。
確かに、先生が世話をすることで問題が解決するわけではなく、
子供たちを巻き込むべきなのは、彼ら(職員)も重々承知のこと。
でも、何か行動しようと考え、
今できる行動に移せるところに、
我が渚滑小職員の「強さ」と「優しさ」
があるのです。
それが、間違いなく学校での教育ににじみ出ています。
全員が畑作業をしているその姿を見て、
『この学校の校長でよかった。』
と心から思いました。
アイスを差し入れしたとき、
『おれは差入れと口だけ出すから。』
と話すと、
「足りないっすよ。」
と突っ込む職員。
そんな、雰囲気が心地よい。
誇りに思う=愛おしく思う=信頼している
そんな校長の思いを、一学期最後のブログにしてしまいました。
子供たちの様子も紹介すべきでしょうが、どうかお許しください。
それでは、皆様、しばしお別れです。
毎日、校長のつぶやきが中心のこのブログに、
数多くの方が覗いてくださることに、
感謝をお伝えします。
暑い夏、ご自愛ください。
毎日の積み重ね
今日も予報通り暑かった…。
午後の外での活動に制限をかけました。
教室内は、暑さ指数が「26」程度ですが、配慮が必要です。
さて、今日のブログでは、「渚滑小の取組」を視察にきたお客様のお話です。
内容が少し専門的になってしまい、保護者の方には「?」がつく内容かもしれませんが、
学校の教員って、何を考えて授業をしているのかうっすらと分かるかも(?)しれません。
どうぞななめ読みしていただけると幸いです。
網走市のある学校の教員が、渚滑小学校の様子を視察にきました。
「複式学級での授業の進め方について学びたい。」
とのことで、高学年学級の授業を参観しました。
高学年担任は普段通りの授業を進め、
子供たちも普段通りに授業を進めます。
(授業を受けるという立場で参加しません。)
担任はファシリテートに徹し、授業のキーワード、核になる内容を
子供たちに気付かせる学習形式です。
6年生は、円の半分の面積から、内接する三角形の面積を除いた面積を求める学習です。
5年生の学習は、
倍数、公倍数の学習です。
リーダーを中心に授業が進み、
担任は、問い返したり価値付けて授業が終了しました。
その後、
協議をしました。
私はその様子を少し離れて観察していました。
視察に来た先生たちが、どのような視点でどのような質問をして、
担任がどのように答えるのか楽しみだったからです。
事前に送ってくれた質問のほかに、授業を参観したからこそ生まれるするどい質問に、
授業者も答えます。
「リアル」なやりとりが続きました。
とっさに出される質問にどのように答えるのか、その質によって、
今後に生かされるかが決まります。
複式学級であろうとなかろうと、
子供たちは、「学び方」「課題の解決の方法」を学習していく必要があります。
「円の面積なんて、これから使うことないのに、どうして勉強するの?」
という批判をよく聞くことがあります。
その批判に、教員は何と答えるでしょうか?
その答えに、今後子供たちが身に付けるべき力があると思います。
今日、来校した先生たちのギラギラとした参観の眼、
子供たちの未来について熱く語り、
学校を背負っている若者教員たちを目の当たりにして、
嬉しく思いながら見送りました。
毎日の積み重ねが大切。
渚滑っ子の未来を豊かにする教育はまだまだ続いていきます。
猛暑到来
今日は暑かったです。
校舎の一階と二階では2~3度の気温差があります。
スポットクーラーと扇風機による「冷気循環作戦」をしています。
30度を超えず、教育活動を進めることができていますが、
クーラーが必要な北海道になっていることを改めて感じます。
外国語活動の時間に校舎内に隠れたアルファベットを探す子供たちは、
普段と変わりなく元気でした。
夏休みまで、3日間となり、
夏休みに向けた計画、目標を決め始めています。
中には、
「起きる時刻は11時!」
と設定している子に、
『普段とそんなに変えないほうがいいんじゃない?』
と指導を受けている子もいました。
明日はもっと暑くなる予報です。
朝早くから、教頭先生が学校を巡回し、スポットクーラーの稼働をしてくれていたり、
保健室に設置された「クーラー」を稼働して、臨時避難教室にしたり、
職員の工夫で教育活動を進めています。
明日は、飲み物、各自でできる暑さ対策をして
登校させてください。
どんなときも思考・判断・表現力
私は
「人はどんな時に考えるか?」
と思うことがあります。
何となく考えている状態ではなく、何か目的を達成するために考えている状態に
人はいつなるか?
ということです。
そういう視点で子供たちの活動を観察していると、
「おっ! 今、考えてるな。」
とか、先生たちの立ち振る舞いを見て、
「いい投げ掛け(しかけ)だ。」
と感じることがあります。
先日、休み時間に体力づくり運動をしていました。
廊下に障害物を置いて「けんぱ」をするチームがありました。
このチームは、その障害をどのように設置するかを考えていました。
この時点で、体育の「思考・判断・表現力」である、
「場の設定」を「自分たちで考える」活動をしていました。
教師が場を作るのではなく、子供たちが目的に応じて
場を設定するということです。
次に、なぎさ学級で頭をくっつけて何やら相談しています。
算数の「垂直・平行」について、概念を学習した後、
身の回りにある垂直・平行について調べていました。
その中の一人に私は腕を差し出して、
「この腕に平行な腕にして。」
というと、すかさず自分の腕を平行な位置に置いていました。
「じゃぁ、垂直にして。」
というと、くっつけてきました。
「離れてても、垂直って言えるのかねぇ…。」
というしかけをすれば、子供たちは、がぜん思考するはずです。
子供たちはいつも「何となく」考えています。
でも、学校はそうではなく考えさせる場を「意図的に」作り出す必要があります。
私はいつも子供たちに虫取りに誘われます。
「校長先生! 虫取りにでもいきませんか?」
『いいねぇ!!』
その時に、いつも思うことがあります。
「虫網が玄関にあれば楽なのに…。」
いつも理科室のテレビの裏に取りに行かなくてはなりません。
もし、この発想が子供たちから出てくれば、普段私たちがこだわっている、
「気付く子」の成果の一つとして、見取ることができるのだと思います。
ただし、黙っていて「気付く子」になることはなく、私達は
「気付かせる師」になる視点をもたなければなりません。
人はいかに楽(効率的)に食料を手に入れるか?
という発想で道具を作り、環境を学び
考えて進化してきた生き物です。
そう考えると、
学校は、教科や生活指導を通して、
「自分の生き方に生かす学習を積み重ねる場所」
としての役割があるのだと感じています。
心の勉強は続く
先日、数年ぶりに1年生の道徳の授業をしました。
「きんのおの」という題材です。
内容項目は、「正直・誠実」で、正直といえば、
「嘘をつかないで、本当のことを言う」
というレールを敷きがちです。
でも私は、「誠実であるために」時と場合によって、
「嘘をつかなければならないこともある。」と押さえています。
そんな思いをもって、一年生と対峙したのでありました。
「ねぇ、正直な人ってどんな人のこと?」
:うそをつかない人
:本当のことを言う人
「へぇ、そんな人になりたいと思う人は手を挙げて。」
:全員が挙手
「へぇ! そうなんだ。じゃぁ、足が遅い人に、『足遅いね。』って言いたいんだね。
体が太い人に、『〇〇だね。』って言える人になりたいのかぁ…。」
と、揺さぶりの問い掛けをすると、一斉に、
「それは違う!!! 」
「だって!!!」
という反応が返ってきました。
ねらい通りです。
「じゃぁ、今日はどんな心のお勉強をしようかね…。」
:正直な人になるためにがんばること
という感じで、導入が終わり、物語教材を読みました。
読み聞かせているときの子供たちは集中しています。
このように、子供たちの考えるスイッチを見付け、
どのようにスイッチを入れるかが大切です。
子供たちは、
「自分のことしか考えない正直はダメ。」
「みんなが笑顔になる正直をいう。」
とまとめました。
「校長先生と勉強して楽しかったかい?」
とたずねると、
:あっという間だった!
:5分しかたってないかと思った!
などと、お世辞だとしてもうれしい反応でした。
これだけではこの授業は終わりませんでした。
帰りに校長室にあいさつに来た子が、校長室に入ってきて、
「校長先生! わたし、優しいウソならいっぱい言っていいと思うんだけど…。」
と、授業の続きを話し始めるのです。
わたしも面白くなって、
「優しいかどうか、だれが決めるの?」
と問い返しました。
「だから、まわりのみんなが笑顔になってるかどうかだと…。」
「ほぉ…、自分だけじゃ分からないってことか。」
学習が終わっても、話をしてくる子供たちのスイッチを入れたいものです。
朝から話す・笑う
私はこの数週間、出勤して朝の過ごし方を変えたことがあります。
職員室前、もしくは玄関で登校してきた子供たちを迎えるようにしました。
「おはようございます。」
と言ってくる子だけとは限りません。
「・・・。」
無言で玄関に入ろうとする子。
一度玄関に入って、また外に出てきて私に話しかける子
など様々。
とにかく声を掛けるようにしています。
反応させるためです。
玄関前で、虫の死骸に気付き、
「なんでバラバラになってるんだ?」
と不思議に思っている子もいます。
なかなか教室へ向かおうとしない子には、公務補や見守り隊の地域の方が、
「そうそろ入りなさい。」
と促したりしています。
朝の様子を観察すると、家を出るまでの様子が見えてきます。
あくびをしている子や、にこにこして挨拶する子。
その日の子供たちの様子を把握するには、ベストな時間かもしれません。
一日の好スタートをきるためにも、
家庭での基本的な生活習慣を大切にお願いします。
素直な思いを言葉と行動で
子供の心は、行動、言葉にすぐ表れます。
2つの事例を紹介しましょう。
①ある日、給食をとったあと、私は校長室で校務にあたっていました。
休み時間だったので、子供たちが廊下で会話する声が聞こえてきます。
そんなときのことです。
給食センターの職員の方が、子供たちの給食カートを片付けにきました。
すると、どこからか、
「いつも、おいしい給食をありがとうございます!」
という言葉が、廊下から聞こえたのです。
私は、すぐに廊下に出ました。
『今の素敵な言葉、だれですか?』
その場にいた先生が、図書室を指差して教えてくれました。
「〇〇さんです。」
「素敵な言葉だねぇ!!!
聞いていた校長先生もうれしくなったよ。」
その言葉を言われたセンターの方も、
「そうかい? ありがとね!!」
とお返しの言葉がありました。
飾らない素直な言葉は、私の気持ちもすっきりさせてくれました。
②先日、学校にお客様がいらっしゃいました。
渚滑駐在所のおまわりさんです。
「防犯教室」の講師として、ネットトラブル、不審者対応についてお話いただだきました。
1~3年生の不審者対応の学習を始めるまで、子供たちと雑談です。
「〇〇くんは、将来、警察官になりたいのかぁ。
どうして?」
など、気さくな会話をしてくれます。
子供たちは、たのしく学習を進めることができました。
学習を終え、講師の方が玄関へ足を進めていると、
子供たちも一緒に玄関へ移動します。
「お見送りをしよう。」などの呼び掛けはしていませんが、
子供たちが声を揃えて、
「いくぞ!」
と見送るのです。
ありがとうございましたぁ!!
「わざわざ、玄関までお見送りしてくれるなんて…。」
おまわりさんも恐縮しています。
子供たちが素直な気持ちを行動に表すとき、
周りの雰囲気を明るくしてくれるのです。
遊びから学びの連鎖
最近、虫網を持って野原を駆け回る子を見なくなったなぁ…。
…と思っていたここ数年。
渚滑小に赴任するとその考えが飛んでいきました。
休み時間、私が廊下を歩いていると、一年生の子が、
「校長先生…、いっしょに虫取りにいかない?」
とつぶやいてきました。
「お! いいねぇ!!」
早速、虫網を手に取って外へ出ました。
快晴の暑い日中でしたが、私も数年ぶりに手にする虫網に興奮気味。
蝶を追いかけ、グラウンドを行ったりきたりしています。
その移動距離と言ったら、結構なものです。
短距離走を何本もするよりも、虫を追いかけたほうが体力がつきます。
つかまえたぁ!!
興奮した男の子の叫び声が聞こえました。
でも、網に入った虫をそのあとどうしたらいいのか分からず、
逃げてしまいました。
あぁ~…。
「捕った後ね、網をこうしたら逃げないよ。」
へぇ…!!
こうした体験は忘れないものです。
そして、捕まえた蝶を誰かに見せたいのです。
「すごいねぇ~、なんていう蝶なんだろう…。」
その言葉に、学びの連鎖がスタートします。
図書室へ行って図鑑を持って教室に行きます。
こうした遊び、活動を通して「危険」「時間を守る」「調べてみる」「仲間と協力する」などといった
「かかわり方」「学び方」を理解していくのだと思います。
校長先生! また行こうね!!
休み時間に誘ってきたときの表情とは明らかに変わっていました。
裏話…。
私が子供たちと一緒にグラウンドで虫を追いかけているとき、
何やら、お客様がやってきました。
「職員室に行ったら、『校長先生はグラウンドに…。』と言われたので…。」
と言って虫網を持った大男は、そのお客様から名刺を渡されました。
私は、『すいません、こんなところで…、すいません…。』
と平謝り。
するとそのお客様は一言…。
「校長先生…、楽しそうでいいですね。」
汗だくになっている私は、
『ですね。楽しいですよ。』
と答えたのでした。
スポットクーラー稼働!
公務補、事務員の活躍で、子供たちの学びを保障できました。
子の言葉
7月1日~19日までの期間、今年度最初の「学校評価アンケート」をお願いしています。
御覧のように、今年度からネット上で回答できるように設定しています。
「学校評価アンケート」は、保護者、職員、児童に回答をもらいます。
聞き方は違うものの、同じ観点の設問から、認識の相違点を明確にし、
今後の学校運営に生かす目的があります。
さらに、今年度、保護者自由記述には、
「子育ての悩み」「学校への要望・感想」を、
児童自由記述には、
「こうするともっと渚滑小がよくなること」
を追加しました。
開始4日が過ぎましたが、早速、保護者の方からの回答があり、
「学校職員全員で子供たちを育ててくれている。感謝している。」
や、
「子に関する情報をすぐにくれるので、うれしい。」
など、職員の背中を押してくださる言葉がありました。
子供の自由記述を見ると、
「学校のみんなが仲良くていい。」
「先生たちがやさしい。」
という肯定意見が多く、
要望として、
「家庭のことをみんなで話し合う時間が欲しい。」
「卓球部屋をなくさないで増やしてほしい。」
といった、前向きで質問の意図を理解した回答が多いです。
卓球部屋は4月からあった部屋ではなく、
体育館床改修に伴い、教頭、指導部が中心にセッティングした
運動量の確保のためのものでした。
笑顔いっぱいの学校、築く子のために頑張るのは、職員の思いだけでは達成できません。
子の思い、保護者の皆様の悩みを共有することも大切です。
みなさんの言葉をお待ちしています。
明日、保護者の皆様には、「まちこみメール」で、再度、アンケートアドレスを送信します。
【朝のあいさつ‐めんこいなぁ】
多面的に見る
昔の私は、周りで起こったトラブルの原因を作ったのは、
「あなたでしょ!」
と言われることが多い少年でした。濡れ衣ともいいますか…。
そう思われるような行動をとることが多かったので、仕方ないものと
言い聞かせていましたが…。
このような判断は、「一面」しか見ていないからかもしれません。
最近、「多面的に物事を観る」ことが大切だと言われています。
でも、多面的…って言われても何のことか分かりませんよね。
学校の掲示物の中に、次のような物がありました。
「見方を変えるといいところいっぱい」という見出しです。
うるさい→伝えたいことがいっぱい
のように見方を変える(リフレーミングする)と、自分や他人の「気付くことが多くなる」ということです。
この題材をもとに、全校朝会でこんな話をしました。
「保健室の前に、見方を変えるといいところいっぱいって書いてあるけど、
校長先生が話す中に登場する人の、いいところ探してね。」
子供たちは「うんうん」とうなずいています。
小学校5年生のクラスに、〇〇くんていう男の子がいてね、
その男の子は、とにかく暴れん坊で、人の話も聞かずに、好き勝手する男の子。
ここまでで、〇〇くんのいいところあった?
「最悪!!」
ある日、理科室で実験していたら、〇〇くんが、いきなりとなりの女の子に
水をぶっかけたんだ。
「ひど!」
「うわ…。」
いいところある?
「全然ないよ…。」
その女の子は、おとなしい子で、自分の思いもなかなか言えない子でさ。
水をかけた〇〇くんは職員室に連れていかれて、さんざん叱られた。
「なんてひどいことするんだ!!」ってね。
でも、この話には続きがあって、
水をかけられた女の子は、後になって〇〇くんにこう言ったんだ。
「ありがとう…。」って。
『ええええ!???』
『なんで!???』
さぁ、周りの人と相談してごらん。
子供たちは一斉に考えを共有し始めました。
では聞くよ。なぜ、「ありがとう」と言ったんだろう…。
「多分、その女の子は暑くて言えなかったから、水を掛けてくれてありがとう。だと思う。」
このように、子供たちは、女の子の行動の理由を考え、発表しています。
自分の考えをもち、話に興味があれば自然と話をしたくなるものです。
「実はね…。」
この女の子は、「おしっこ」をもらしちゃったんだよ。
というと、数人が、「ああ!!!!!」
という、気付きの声を挙げました。
「もらしちゃったことを、周りの人にばれないように、
わざと水を掛けたんだ!」
「そうかぁ!!」
でもさ、見方を変えていいところを見るって言っても、
結局は、見た目で判断されるってことじゃないの?
と子供たちを揺さぶると、
一斉に、
「うううう~んん????」
とうなります。
これが大事なのです。
当たり前と思っていたことの視点を変えることで、思考することを始めるのです。
校長先生がみんなに伝えたいのはね、
「どんなに善い行動にも悪い行動にも、そうする理由が必ずあるってこと。
見える結果だけを見てその理由を考えないで、勝手に決めつけて判断しないでほしいんだよ。
そうすれば、いろんな気付きが増えるはずですよ。」
物事を多面的に観ることの話は終了です。
話は変わりますが、
子供たちの前で話すとき、子供が話にくらいついている「眼」をみると、
なんだかこちらまで力が入る思いです。
子供たちに、こういう「眼」をさせる活動や授業を展開していきたいものです。
先生たちのメッセージ
早いものでもう7月です。
あと20日弱の登校で、夏休みが始まります。
1学期の終わりを迎えるこの頃、今学期の振り返りとまとめが始まっています。
先日、「保健室だより」が発行されました。
その内容は、「子供によって、認知特性は違う。だから、子への伝え方、理解への言葉掛けに工夫が必要だ。」
という主旨でした。
養護教諭は、子供たちのノートに視点を当て、
同じ授業でも、子によって理解への取り組み方が違うと分析しています。
保健室という場には、様々な困り感、悩みをもった子が来室します。
養護教諭は、画一的に判断することなくその子の本質を見て対応したいと考えているのでしょう。
このように、渚滑小学校の先生たちは、様々な「メッセージ」を届けています。
今日の全校朝会では、図書室に集まった児童を前に、
初任段階層の教員が、写真を見せながら、こんなメッセージを発していました。
「校長先生の話の様子を見ていると、
〇〇さんが発表しているときの周りの人たちの話の聞き方が素晴らしかった。
反応もいい。
これからも、「気付き」を増やしてほしい。」
とのこと。
このように、先生のメッセージをどのように子に伝えるか、
そして感じてもらうかを日々考えることがとても大切だと思います。
渚滑小学校の担任が発行する学級通信に目を通すと、
子供の様子(事実)とともに、必ず「担任の主観(思い・考え)」が書かれています。
私は、こうしたメッセージを子供、保護者、地域と共有することで、
「渚滑小の味」を作っていけたら…と考えています。
最近の渚滑っ子
やっと暑くなってきました。
欠席する子もなく、学校内に子供たちの声が響いています。
体力づくりの一環で、子供たちは体を動かしています。
体育館改修工事のため、場を確保するために、校舎内全部を利用しました。
廊下にマットを敷いて、後転したり倒立前転をしたり…、
ラダーを追いてサーキットトレーニングをしたり…、
玄関前スペースで縄跳びにチャレンジ。
他に、けん玉、こま回しをしている子もいます。
学年の枠を外して取り組むことができることも渚滑小の特徴です。
翌日、なぎさ学級をのぞくと、算数の学習をしていました。
「測る」学習です。
黒板の長さを図っています。
一人じゃ測れないところは二人で協力して…。
測る前に長さの予想をして活動に入る手もありそうでした。
「そっちもって!」
「いいよ!!」
そんな声を掛け合いながら学習が進んでいます。
玄関前には、
生活目標とそれに対する自分の評価を可視化したボードがあります。
言葉による子供自身の振り返りの言葉が書かれていたり、友達への言葉、
教員から価値付けの言葉や頑張る視点が書かれています。
「気付く子」への一つの手段です。
やっぱり、毎日の積み重ねが大切です。
子供たちが急に変容することはないですし、
教職員も子供の実態を把握し、分析しながら地道な指導を繰り返すしかありません。
その時、教職員が向かうベクトルが同一方向でありたいと思っています。
大人はかたい!?
先日のクマ出没の際には、送迎にご協力いただきありがとうございました。
熊の習性を学び、同じ場に留まることはないとの判断と、その後、目撃情報がないことから解除いたしました。
さて、天気がすぐれない毎日ですが、子供たちは元気です。
渚滑小学校の体育館は、床の改修工事に伴い、現在使用できない状態にあります。
毎日、体を動かすことを楽しみにしていた子供たちにとって、欲求不満な思いをさせてしまっています。
そんなある日、校長室の戸を叩く女の子たち。
「校長先生! 見てください。」
と言って柔軟体操をその場(校長室前の廊下)で始めたのです。
『おおおおお!!! 柔らかいねぇ!!!』
と声を挙げると、得意そうなしたり顔です。
その様子を見た先生たちがやってきました。
その先生たちにも、
「こんなことできる?」
と話し、大人たちをあざ笑い始めます。
「いててててて…。」
『大人は硬いからねぇ…。』
と、馬鹿にします。
「じゃぁ、これできるかい?」
と言って、職員の一人がバランスを取り始めました。
子供たちはむきになります。
みんなで体操教室が始まりました。
どこでも体を動かすことはできます。
廊下にマットを敷いておいても、子供たちは楽しむかもしれません。
大人も思考はやわらかくありたいものです。
お客様の前でも
昨日、「教育委員会文教施設視察」のためお客様が来校されました。
教育長や教育委員の方々が授業の様子を参観しました。
なぎさの学級では、算数の足し算の問題作りをしていました。
「〇〇が△ あります…。 あわせて…。」
といったように、足し算のキーワードをおさえながら、
子供たちが〇〇の中に言葉を入れていきました。
「扇風機が、16台あります…。」
そう話すと、
「扇風機が16台もあったら寒いね!!」
と突っ込む先生。
学級がドッとわきました。
問題作りを通して、その状況をイメージできることも大切な指導なんですね。
1,2年生の教室では、
子供たちが黒板を使って「神経衰弱」をしています。
算数でなぜ?と思われるかもしれませんが、
子供が、「右から〇番目」と指示すると、前に出た子がそのカードをめくります。
この「〇番目」という要素が算数の学習です。
神経衰弱の中に、「〇番目」の学習をする必然性をもっているのです。
ゲームの楽しさを教師が意図的に取り入れ、子供たちが自走している姿を参観していただきました。
6年生は、分数の割り算の計算について交流しています。
渚滑小は、お客様がいつ来たとしても、
普段の授業の様子をいつでも見せられる状況です。
廊下ですれ違う子供たちは、
「こんにちは!!」
と、自分たちから挨拶ができます。
毎朝、挨拶をしに校長室にくる子が増えています。
「今日も元気だね。」
先生も子供たちも、普段から意識していることが習慣となれば、
本物の力となっているはずです。
いつでも、「笑顔いっぱい・本気いっぱい」の渚滑小でありたいです。
渚滑小の自慢を教えます(学習サポーター歓迎!)
子供たち、とってもいい顔をしています。
その視線の先にあるのは…、
新たな先生です。
19日に、「学習サポーター」が配置され、原先生の歓迎式をしました。
先に私から、
「原先生に自己紹介してもらう前に、
校長先生から原先生に、渚滑小のみんなの自慢を話しますね。
まず…、」
子供たちも私が何を自慢するのか、興味津々。
「挨拶を自分からする人が多いです。
今日も、『〇〇(友達の名)、おはよう!』
って、あちこちで挨拶の声が聞こえました。素敵です。」
「2つ目は、時間を守るってこと。
今日の歓迎式も、15分から始めるって決まってたから、
その前に、みんな勢ぞろいして、15分ぴったりに始めることができた。
この自慢、ずっと続けられるかな?」
みんなで、名前を確認して、
原先生の自己紹介。
「みなさん、たくさんお話しましょうね。」
そうして、早速、教室へ。
1,2年生は集中して学習に取り組んでいました。
職員室に戻ってきた原先生に、
「子供たちの印象はどうです?」
とたずねると、
「元気で素直な子が多いです。」
との返信でした。
原先生には、おもに低学年のサポートに入ってもらいます。
これから、渚滑っ子をよろしく!
ちなみに、1,2年生の聞く姿勢が変容していました。
お話している人にへそを向けて聞いています。
低学年の今後の学びが楽しみです。
達成感と次へつなぐ視点を
とってもいい天気のもと、「渚滑小中学校合同運動会」を開催しました。
グラウンドに集う人たちの笑顔がたくさんの運動会でした。
開会式でのPTA会長のユニークな挨拶に始まり、
子供たちが全力で取り組む姿、
応援している方々の、手拍子、拍手。
見どころが満載でした。
小学校の「リズム」の時、放送席にいる中学生全員が手拍子をしていたり、
奥に見える保護者の方々が、そのリズムに乗って一緒に踊っていたり…。
演者を育てるのは、観客であることがうなずけました。
踊っている子供たちの動きが変わるのです。
この他に、
総練習のあと、さらに練習をした形跡が残る場面もありました。
放送原稿を読むスピード、強弱、間が明らかに向上変容しています。
次の競技への「間」も激変し、キビキビ感が表れ進行がスムーズに。
閉会式後、みんなで後片付けをして、解散です。
こうした動きを目の当たりにして、職員の頑張り、子供たちの変化を実感することができました。
多分、参観した保護者の方々は、
「観てよかった。」
と思ったでしょうし、子供たちも、
「やってよかった。」
と思えたと思います。
でも、この行事は今後の序章でしかありません。
今後の指導に向けて、今の子供たちの実態を把握し、次の一手を職員みんなで創造していくことが大事です。
満足はたくさんしたほうがいい。
でも、満足を長く続けると成長するタイミングを逃すものだと思います。
ですから、みんなで作り上げた運動会を、今後のみんなのために
どのように生かすかという視点を持ちたいものです。
運動会の来賓の方々も、
「見どころいっぱいでした!」
と満足していました。
保護者の方から、
「子の成長がみられました。ありがとうございました。」
とねぎらいのお声を掛けていただいた職員も数人いたようです。
最後まで片付けを手伝っていただいた保護者の皆様、ありがとうございました。
職員も明日はゆっくり休んでください。
では、また…。
なごやかな気持ち
明日の運動会に向けて、「前日準備」をしました。
小中学校の児童生徒が、声を掛け合い、なごやかに時間が過ぎていきました。
途中、中学校の教員が、
「せっかく(テントを)立てたのに、どうして脚をたたんじゃうんだろうね?」
と子供たちに質問している場面がありました。
『えっ?』
『雨が降るから?』
「風が吹いて飛んでいったらどうなる?
危険を防ぐためだよ。」
その対応をする意味付けをしていました。
「考えさせる」「学ぶ」場面を設定することは、意識していればいつでも、どこででもできます。
最後に、石拾いをして、グループごとに集まって解散しました。
明日の準備は万全です。
校舎へ戻る途中、高学年の女の子が、
「校長先生、これあげる。」
と言って、小さな花を差し出してくれました。
『この花をきれいとか、かわいいと思える自分って、いいと思わない?』
とたずねると、
その女の子は、にっこり笑って、
「はいっ!」
と言いました。
『これ、押し花にするね。』
運動会前日は、とってもなごやかな気持ちです。
明日、みなさんとお会いできることを楽しみにしています。
素敵な学び
今日のブログは、素敵な学びを2つ紹介します。
少々長くなります。
素敵な学び①
運動会総練習を終え、今日の練習(指導)の目的は、
その振り返りをもとに、子供たちに考えて行動するように仕向ける一日でした。
まず、「リズム」の中で、統一するとかっこよくなる視点を子供たちに気付かせ、
そこをバディ(パートナー)と確認しています。
確認する視点さえ理解し、学びに「必要感」を感じることができれば、子供たちはどんどん勝手に動きます。
その様子(子供の自主性)が顕著に表れ、垣間見えた場面が次の種目の練習でした。
まず、集合地点までの移動もキビキビと。
「私よりも早く動きなさい。」
と言って担当教員は、子供たちに素早く動く必然性と興味をもたせています。
そして、
昨日の総練習を振り返らせ、
「さて、今日はどんな練習をしたい?」
と問い掛けます。
『作戦会議をしたい!』
「へぇ…、練習試合しなくてもいい?」
と言って、子供たちに作戦会議をする視点を見付ける活動を促します。
そして、練習試合を一度やってみた後に、作戦会議が始まりました。
その作戦会議の方法はさまざまで、話し合い形式を選んだり、
実際に棒を持ってやってみたり…。
解決の方法はさまざまでいいのです。
そして、その後、子供たちから、
「ちょっと、実際にやってみていいですか?」
というつぶやきが生まれました。
指導者が、「やりなさい。」と言わずとも、
子供が「必要感」をもち、「動き方」が分かっているのなら、必然的に動き出すことが分かります。
そして、その裏に、担当教員の仕掛けがありました。
「今日は、練習試合は1回しかしないからね。」
という声掛け。
意図的にその声を掛けたようです。
子供の学力、思考、判断、表現を向上させる条件の1つに、
「活動に制限を設定する」
ことがあります。
例えば、自分の考えを〇文字以内で書きなさい。
とか、〇秒で動きなさい。
ということです。
「今日は、練習試合は1回しかしないからね。」は、「もっとやってみたい!」
と思うための、「制限」の指示でした。
渚滑小学校では、どの学習においても、「課題の設定」にこだわっています。
指導者が、「この時間はこれを勉強するよ。」と言わずに、子供たちが、
「この時間はこの勉強をしたい!」
「こんなゴールを目指したい!」
と思える声掛け、導入をしようということです。
教科の学習だけでなく、行事や児童会活動の中でも、そういうスタンスで臨んでいます。
素敵な学び②
昼からの時間に、オホーツク総合振興局の「西部耕地出張所」の方々と、
「田植え」体験学習をしました。
雨の天候が心配であり、気温も昨日から10度以上も下がっていることを鑑み、
残念ではありましたが、裸足での田植えは断念しました。
植え方の説明を聞いているときの子供たちは真剣です。
早速、体験を始めました。
植え方にもコツと知恵があります。
こうした知恵と工夫に気付かせることも大切な学習です。
軍手をはめていた子も、脱ぎだして植えています。
数十分の体験でしたが、規則正しく植えました。
その後、室内に移動して、野菜クイズやお米の育ちについて学習を深めました。
担当してくださった職員の方々の説明は分かりやすく、子供たちのつぶやきも上手に拾ってくれました。
子供たちの聞く態度もよく、
反応やつぶやきも、
「うおおおお!」
「すげぇ!」
「パチパチパチ!」
といった感じ。
所長も、
「渚滑小の子は、元気で反応がいいですね。」
と評価してくださいました。
最後に、代表児童が感謝の言葉を…。
私も一言・・・。
「今日の給食、あなたたちが育てた野菜? お米?
それをあなたたちの口に運ぶまでには、たくさんの人の手がかかっているんですね。
だからあなたたちがすぐにすべきことがあるんです。」
「ありがとうって言う!」
「いただきますっていう!」
「なるほどね。いただきますって、育ててくれた人、作ってくれた人、命に対していう言葉なんだね。」
と話して学習をくくりました。
対応していただいた「西部耕地」の職員の方々は本当に素敵で、
汚してしまった玄関をすぐにきれいにしていたり、
植え残った苗を、すぐに植えていたり、
子供たちにタオルを用意してくださったり、
チームとして役割を自覚している方々で、
とにかく、みなさんの表情が素敵でした。
運動会を前に、子供たちの体調を気遣ってくださり、
そして、こちらの要望にも耳を傾けていただき感謝申し上げます。
来年こそは、泥んこ体験を…。
苗の観察の際もよろしくお願いいたします。
「ブログ、楽しみに読んでますよ。」
と教えてくれた職員の方と笑ってお別れしました。
素敵な学びをありがとうございました。
今日一番の光景
今日、運動会の総練習を行いました。
これまで悪天候が続き、体育館での合同練習をするなど、屋外で競技を通した練習は初でした。
本番さながらの総練習でしたが、職員も当日をイメージする大切な時間となりました。
すべての種目を目にして、私が今日一番、心に残ったシーンがありました。
これは何かというと、
小学校児童が「リズム」を終え、退場後に児童テントに戻るときの様子です。
写真ではうまく伝わらないのですが、
次の種目の準備をする中学生と、フィールド内で入れ替わりするときです。
すれ違った小学生たちに、
「よかったよ!!!」
「がんばったね!!!」
「いぇ~い!!」
「パチパチパチ!!!(拍手)」
と生徒たちが声を掛け、褒めてくれたのです。
それも、一人や二人ではなく…。
自分たちの行動を認めてくれた小学校の子供たちもいい顔をしています。
中学生のさりげない行動がとても素敵でした。
一緒に参観していた教頭とも、思わず、
「いいな、これ。」
と共感しました。
放課後、小中合同の反省会議を開き、先生たちが協議しました。
「もっと、こうできたらいい。」
と、本番を3日後に控え、これからできることを模索していました。
こうして、本番に臨む渚滑小中合同運動会。
お楽しみに…。
子供たちの学びと職員の動き
運動会の特別日課期間ではありますが、日常の教科指導も怠ってはいません。
1年生の算数では、「10の合成」について、学習していました。
そろばんを用いて、視覚的に10の合成(1と9、2と8…)を理解していきます。
1年生は入学して3か月目に突入ですが、学習を頑張っています。
1年生は、黙々と自学習できるようになってきています。
5年生教室を覗くと、社会の学習をしていました。
すると、ある子が私に気付き、
「校長先生は、戦争に行ったことある?」
と尋ねてきました。
『ん? どう思う?』
と聞き返すと、
「1940年の学習してるんだけど、戦争してたんだよ。」
『へぇ…。 校長先生はねぇ、1970年生まれなんだよ。』
と答えると、
「そうかぁ、じゃぁ、戦争に行ってないんだね。えっと…、校長先生が生まれる30年前かぁ…。」
と、西暦を根拠に時代を抑えていました。
渚滑でも戦争の影響を受けたのかなぁ…?
なんていう問い返しをしても学習が広がりますね。
その後、3,4年生の教室に向かうと、とても面白い場面に出会いました。
国語の時間、「主語、述語の関係」について学んでいました。
すると、ある子が、
「くどくてん に気を付けて読むんですね。」
と言うのです。
すると担任が、
「ん? くどくてん?」
と突っ込みます。
子供たちは、「句読点」の読み方に「?」だったのです。
ここで教師がはりきって教えてはいけません。
「ん? なんて読むんだろうね?」
ととぼけてみせるべきです。
すると、教室全体が「えええ!??? なんて読むの???」という雰囲気になりました。
そうです。自分たちで調べさせるのです。
クロームブックを使ったり、国語辞典を使って自分で苦労させるべきです。
その後、「くとうてんっていうのかぁ!」
と喜びに沸きます。
それだけでなく、
「。は句点、、は読点、だから合わせて句読点っていうのかぁ!!」
と新たな学びを自分で身に付けるのです。
老子の格言に、
『授人以魚 不如授人以漁』という言葉があります。
「飢えている人がいるときに、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか。」という意味です。
要約すると、
「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣り方を教えれば一生食べていける」という考え方です。
これは、学習でも通ずる考え方です。
答えを教えるのではなく、答えの導き方(学び方)を教える(自分で得る)ということです。
知識と学び方(思考・判断・表現)のバランスが大切なのですね。
きっと、子供たちは、「句読点」の読みと意味を忘れないで、次の学習につなげていくことでしょう。
校長室に戻り、外を眺めると、
棒をもった公務補が、何やら探しものをしています。
「スズメバチが巣を作っていないか、確認しています!」
とのこと。
危機管理がばっちりです。いわずとも自分ができる仕事を見付けて動くことができることに、
敬意をもちました。
敬意といえば…、
天気が悪く、運動会の準備も予定通り進まないのですが、
中学校の先生から、
「グラウンドにテントを張ろうと思います。」
と連絡が入りました。
すぐにグラウンドに向かうと、
数人の先生が、準備していてくれました。
「ありがとね! 小学校からも来るから。」
というと、一斉にテント建てが始まりました。
先のブログでもお伝えしたように、
私は、「やるよ!」
の担当の言葉に一斉に集まり、一斉に動くという組織体が大事だと思うのです。
こうした動きをみると、嬉しくなりました。
窓の外では、セミが鳴き始めました。
紋別の短い夏が始った感じがします。
取り組み方と取り組む姿勢
今週、中学校との合同練習が本格的に動き出しました。
天気が悪かった日には、体育館で移動の確認をしたり、
児童生徒の係打ち合わせをしたり…、
久しぶりに快晴だった今日は、綱引きやリレーの動きをしてみたりしました。
その中で、習慣となった様子(姿)を見ました。
分かりますか?
演台に立っている人にへそを向けて立っています。
これは、指示したわけではありません。
教頭に確認してみると、
『高学年からずっとこうして聞く態度を育てていました。』
とのこと。
4月某日のHPでも紹介しましたが、話す子を育てるには、聞く子を育てる必要があります。
その後、教室で同じような場面がありました。
こうした習慣は1日にして為らず。
まして、形ばかりでなく、興味関心をひく話をしなければこうはなりません。
別話です。
中学校のグラウンドで練習していると、中学校の先生がやってきました。
小学校競技の道具を確認しに来たそうです。
「私は道具係なので、使うものを確認したくて…。」
というのです。
ありがたいことです。
職員の準備、調整は、子供たちのいい眼・いい顔を観るためでもあります。
職員の動き
今日は、渚滑小の職員の話題を紹介します。
昨日、放課後に職員総出で作業しました。
渚滑小学校の体育館床を改修することになり、体育館器具室や放送室の道具をすべて外のプレハブに移動することになったのです。
教頭が、
「〇時から作業を始めます。」
と放送を流すと、校内あちこちにいた教員が、すっと集合しました。
私は、こういう動きが大好きです。
というか、規模に関係なく、こういう動きができる組織でありたいと思うのです。
まず、時間を守るということ。
そして、全員が一斉に集まるということです。
全校集会をするとき、開始のチャイムとともに集会がスタートするかどうかで、
その学校のこだわりも、大切にしてる指導が何かも分かるものです。
そして、普段は掃除ができない場所にゴミがたまっていますから、
掃除をするのです。
誰ともいわず、ごくごく自然と掃除をするその姿を見て、誇らしく思います。
子供たちに学んでほしいことを、指導者ができなくて伝わるわけがありませんから…。
私もそんなに偉そうに言えるほど、善い行いをしていませんが、
こういう視点で、私は職員(人)を観察しています。
中学校の体育館で運動会の練習をするときに、
きちっと靴を並べられるような渚滑っ子も素敵です。
きっと、おうちでのしつけも、行き届いているからなのでしょう。
なんだか楽しかったなぁ…。
今日、低学年の下校を見送った後、二階の窓から何気なく外を眺めていました。
よく見てみると、数人の子が傘を差しながら駈けている様子が目に映りました。
数メートル走っては立ち止まり、下を眺めているのです。
虫でもいるのでしょうか。
三人が頭をくっつけて何やら指差しています。
そして数秒後、また駆け出します。
そしてまた立ち止まり、道端の植物に手を出しています。
そしてまた、走り出します。
子供の興味の移り変わりは早いですから、気になるものにはすぐに飛びついて、
すぐに飽きて、そして次の物に…。
その様子を見て、知らずのうちに微笑んでいる自分がいました。
子供の頃の自分を思い出し、
「登下校の途中にはたくさんの刺激があったな…。」
と…。
その分、トラブルもありましたが学んだこともたくさんありました。
過去に担任を持っていた頃、ある保護者の方が、
「先生! すいません。傘を息子に渡してもらえますか?」
と息を切らせて持ってきたことがありました。
もう20年以上も前の話です。
その後、しばらく経って久しぶりに再会したその保護者の方は、
その日の出来事についてこう話しました。
「木村先生との思い出は、傘を学校に持っていった時の先生の言葉です。」
『そうですか、私はなんて言ったんですか?』
「傘を忘れたのなら、濡れて帰ればいいんですよ。
濡れて帰るのが嫌なら、次から天気のことを考えて、自分から傘を持つようになりますから…。」
言った本人が忘れていたことを、その保護者の方は話してくださいました。
そんなことを言う教員がいるのだと思ったのと同時に、
子供にその話をして、傘を忘れても親が届けないことにしたそうです。
不審者、熊対応、学校の統廃合など現代の環境は大きく様変わりし、子供の登下校事情も変化しています。
ただ、そういう時代だからこそ、学校で子供たちに「何を学ばせ、何を気付かせるのか?」
と試されている気がしています。
私は、放課後の3人の後姿を見て、
「気を付けて帰るんだよ。また明日な…。」
と見送りました。
すっかり雨もあがっています。
幼い頃の自分を見ているかのようでした。