2024年9月の記事一覧
道具を使いこなすこと
「熊出没」に関する情報からスタートした今朝。
毎日、玄関で子供たちの登校を見守ってくださる地域の方が、
「いやぁ、久しぶりに熊見たよ。」
と興奮気味に知らせてくれました。
さて、授業を観に学校を回っていました。
高学年は算数の授業をしています。
そこで、目をとめる様子がありました。
ノートに数直線を書くとき、子供たちは「定規」を使います。
その様子を見ていると、子供たちは定規の線の引き方が上手でした。
さっと定規をあてて、さっと線を引く。
こうしたスキルは、いつでも定規を使っていなければ使えるようになりません。
もたもたせず、「サッ」と引くのです。
「親指と人差し指を開いて定規をあてる」
低学年からつけさせたい能力の一つです。
使いこなすを言えば、
先生も「電子黒板」を使って授業を進めています。
子供たちと共有したり、見本を見せて説明したり、
やっぱり便利です。
低学年教室を観ると、
2年生が自分たちで学習を進めていました。
「自分の考えたことを説明してください。」
とリーダーが話していました。
学芸会も終わり、修学旅行、収穫祭と続きます。
先生も子供たちも、普段の授業を大切にして過ごしています。
【学芸会の振り返りの言葉より】~みんなに助けてもらったらうまくいった。
応援は力になるか?
先日の学芸会の様子については、今月の学校だよりをご覧ください。(クリックダウンロード可)
たくさんの保護者の方々の価値付けのお言葉、ありがとうございます。
さて、今回のブログは、「応援は力になるか?」
というものです。
次の写真をご覧ください。
マラソン記録会に向けて動きだしました。
10月10日に記録会があり、今日は、第1回目の記録測定です。
今日の記録より1秒でも縮めることを考えると、
目標となる測定でもあります。
私は今日の様子を観察していました。
すると、あることに気付きました。
子供たちの応援の声です。
私は今まで多くの学校でマラソン記録会を経験してきましたが、
走り終えた子が、これほどまで声援を送る状況を見たことがありません。
「がんばれ!! もう少しだよぉ!!」
「がんばれ! がんばれ!」
この様子を見て、オリンピックアスリートの言葉を思い出しました。
「みなさんの応援が力になりました。」
という言葉。
人によっては、「ほんとに???」
と思っている人がいるかもしれません。
コロナ渦で、スポーツ会場で応援できない時期がありました。
声援をスピーカーで流したり、
顔写真を応援席に貼ったり、
アスリートのパフォーマンス向上に効果はあったのか…?
と個人的に分析してみたいものでした。
本番と同じコースを走る子供たちに、声を掛ける子供たち。
「もうすぐだよ!! がんばれ!!」
声を掛けられると、ものすごいダッシュを見せる子や、トボトボ歩いていた子が
急に走り出したり…。
テンポよく走っていた子が、ラストスパートをかけたり…。
関門に立っていた教員がゴール付近に戻ってきた様子をみた子達が、
「〇〇先生!! あと少し!! がんばれ!!」
という合唱を始め、
なぜか走り出し、ゴールした瞬間に
「イエェ~イ!!」
とみんなで歓声を挙げたり…。
結論…。
「応援は力になるし、仲間意識を高める
ただし、マラソンは同じペースで走るべし」
学芸会を前に…。
この写真は、学芸会を明日にひかえ、
最後の低学年体育館練習の様子です。
一年生の大事な役割の一つに、「はじめのことば」があります。
立ち位置、ことばの言い方、動きを確認しながら
自分たちの役割を果たすとともに、
これまで学習してきた成果を表現する場でもあります。
私が思う学芸会という行事は、子供たちだけでなく、
「指導者(担任)の指導観を鍛える」行事でもあると考えています。
数日前、「総練習」を行いました。
総練習が終わったあと、職員が振り返りの反省会議をしました。
各学年の種目に対して、忌憚のない意見交流が続きました。
「立ち位置を変えたほうがいい。」
「BGMに工夫を。」
「あそこの「間」が気になるから、こうしたほうがいい。」
協議を経て、その後の3日間の仕上げの指導に入りました。
今日の中学年の練習で、
子供たちの振り返りを生かして、その視点で再練習を重ねています。
でも、子供たちだけでは気付かない面もあります。
その時、担任は、
「ここはどうだった?」
と問います。
私は学芸会で、先生の動きを見ます。
4月からここまでの学級指導と教科指導の両方を見取ります。
演じたり歌ったりするとき、その指導者の「こだわり」はどこにあるかです。
ふとした台詞や簡単な動きに、
子供がこだわっているか?
指導者がそのように仕掛けているか?
が現れるのです。
指示や問い掛けに筋が通っているか?
子供たちが戸惑うような言葉になっていないか?
などです。
「声を大きく!」と言っても、
それは具体的な指示とは言えず、変容がない場合が多いのです。
それよりも、
「言葉の一番最初の一文字を大切に、高い声で言ってみよう。」
と指示して話させると、子供自身がびっくりするくらい変容します。
こうした指導をこれまでにしてきたか?
音読を大切にしてきたか?
つまり、普段の学習を大切に、要点をおさえて指導してきたか?
が分かるのです。
低学年の練習が終わり、
担任が、話を始めているのに注目していない子が数人いたとき、
何度もやり直しさせて聞く姿勢をとらせました。
毅然と指示を出しています。
大事な指導です。
個別に「価値付け」ている様子もありました。
「〇〇がよかったよ。」
と声を掛けているのです。
学芸会当日は、ステージの表しか観覧できませんが、
これまでの過程、裏方の動きが分かると、
もっと価値のある行事になります。
明日の学芸会・学校祭にはお気を付けていらしてください。
お待ちしております。
親のかかわり
朝の登校時間に、興味深いシーンを見ました。
私が玄関に行くと、
「校長先生、おはようございます!
これ! トノサマバッタです!」
と見せにきた子がいました。
『ほぉ! 立派なトノサマバッタだ。』
その子は、
「逃がしてあげるんだ。」
と、玄関前の草原に駆け出しました。
そして、虫かごのふたを開け、
「出てけぇ!」とバッタが出ていくのを待っています。
でも、小さなふたから出ていく様子はありません。
そこで、
「そうだ! 草をあげたら食いついて出ていくかも?」
と考え、草をふたの近くで揺らしています。
バッタが出ていく素振りはありません。
次に、
「そうだ! ふたを全部とってしまおう!」
と考え、むしかごのふたをとろうとしました。
でも、かごからふたはなかなか外れません。
そこで、
近くにいたその子の母親に近付いて、
「これ…。」
と言いました。
でも、その母は、すぐにこう言いました。
「自分でやってごらん。」
と、にっこり笑っています。
その子は、母親は助けてくれないと判断し、
自分で挑戦しました。
少し時間が掛かりました。
でも、
「開いた!!!」
自分でふたを外すことに成功しました。
(やったぞ! ぼくは自分でやったぞ!)
という心の声が表情に表れています。
ふたが外れた虫かごを、そっと地面に置きました。
それでも、バッタは逃げません。
さて、どうするか…?
その子は、かごを手に取り、勢いよく走り出しました。
「にげろぉおおお!」
すると、中のバッタはびっくりして飛んでいきました。
『やった、逃げたぞ!飛(跳)んでるぞ!』
と興奮して私が叫びましたが、
その子は、バッタを見失っているようで、
全く逆の方向に手を振って、
「ばいばぁ~い!」
と青空に向かってにっこりしていました。
多分、立派なトノサマバッタを誰かに見せたかったのでしょう。
立派なだけに、怖くて触ることができないけど、
何とか逃がしたかったのでしょう。
その時、大人が代わりにバッタを逃がすこともできましたが、
私は、この子の興味や力を見守ることの方が大事だと感じました。
怖がっている子の代わりに、かごを預かり、
代わりにバッタを逃がした方が早いですが、
でも、この子の知恵や喜びを奪ってしまうことにもなります。
ふたを外してあげることもできましたが、
母親が、
(できるよ。がんばってやってごらん。)
と見守る姿に、同じ気持ちであることに嬉しく思いました。
子への期待、不安、親のかかわり方が、私の思いと一致していたのです。
時々思い出すことがあります。
私が過去に勤務していた学校では、
子供が親を使い走りにして、
「やってもらって当たり前だ」と勘違いしているのか?
と思わせる場面を何度も目にしたことがあります。
例えば、
参観日に保護者が来ているときに、
帰りの会が終わり、一緒に帰ろうと子供が親の前に近寄りました。
すると、自分のカバンをポンと親に投げ、
「持ってって。」
と言うのです。
結構な頻度で目にしました。
こういう、親の存在を(蔑)さげすんだ子供を
そのままにしていいことはありません。
「なぁ、〇〇さん。親にそんな態度はだめだ。
自分で持って帰りなさい。」
と、大勢の前で告げたこともあります。
玄関を親が開けるまで、自分で出ていこうとしない子…。
雨が降ったら傘を親が届けることが当たり前だと思い、
傘を持ってきた親に向かって、
「遅い!!!」と文句を言う子…。
親子のかかわり方に正解はないと言われるけれど、
やっぱり、「子が親より偉いんだと思わせる行動」に対して、
そして自立に向けた本質の、
「自分のことは自分でやる」
「困ったら、自分で助けを求める」
という諭しは、親の大事な役目だと私は思います。
…そうは言うけど…、親の悩みは尽きぬものです。
朝の玄関
子供たちを迎える準備として、
公務補が玄関先を掃いています。
枯れ葉を掃いているようですが、
実は、これです。
お分かりですか?
「クスサン」という蛾の羽です。
今年は異常発生しているようです。
電気に集まったクスサンを食べたカラスによって、
無残に散らかった、羽があちこちに…。
玄関がきれいになったころ、
地域の「見守り隊」の方が、やってきます。
最近、学校一番乗りの子は、
「校長先生 おはようございます!」
と、自分から先に挨拶します。
周りの大人たちを見付けて、
挨拶をしています。
『自分から先に挨拶できるんだね。
立派だな。』
というと、にやにやしています。
その頃、スクールバスが到着し、
一気に明るい玄関になります。
「おはようございます!」
自分から私たちに声を掛ける子は、全校児童のうち三分の一ほどでしょうか。
7時45分 玄関開錠まで、雑談をします。
この時間がとってもいいです。
「校長先生! 今日も黒ですね。」(服の色)
「昨日、〇〇に行ってきました。」
(絆創膏を貼っている子を見掛けて…)
『ん? そこどうしたの?』
「昨日、転んじゃって…。(どこで?)遊んでた時に…。」
「マラソン記録会の練習してます。
家の周り、5周してます。」
『へぇ!やるね!』
なんていう世間話から、話に花が咲きます。
こうして、一日がスタートします。
眠たい目をこすりながら来る子もいます。
朝の玄関は、情報の玉手箱なのです。
【机の中を整理整頓する】
この指導、とっても大事です。
学校の強みとは
【木村のつぶやき…】
先週、今週と多くの来客がありました。
業者の方との調整だけでなく、授業を参観してもらった後に、
渚滑小の教育活動を説明する機会も多かった一週間でした。
私も最後に挨拶する機会があったのですが、
ふと考えたときに、「渚滑小の強み」とは何かを改めて考えてみたのです。
これだと思いました。
放課後、子供たちの情報、今後の指導について話し合っている職員。
休み時間に一緒に遊ぶ職員。
子供がこぼした水を拭く姿。
私は、なんでもかんでも子に手を差し伸べる教育が良いとは思っていません。
乱暴に聞こえてしまうかもしれませんが、
子供のできること、乗り越えさせなければならない力を
奪ってしまうことがないように接したい!
と思っています。
だからと言って、何もしないことがいいとも思いません。
気付かせるという名の放任になってしまわないか…?
そうならないために、子の情報をいかに得るか?
だと思います。
保護者の方から、相談される機会が増えています。
それはとてもいいことだと思っています。
つまり、
「情報を職員で共有する」
「一人で悩まない」
「聞く耳とアンテナを立てておく」
ためにとっている行動が、
自然と渚滑小の強みとなって、子の教育につながっていると思います。
…という挨拶をする機会が多かった一週間でした。
学びの必要感を
中休み、昼休み時間になると決まって校長室にくる子が数人います。
1年生です。
ただ、こんな感じです。
校長室のドアを「バ~ン」と開けて、
「校長先生! 虫取りに行こう!」
という感じです。
私は、この子たちのいい遊び相手かもしれません。
でも、そろそろ「礼儀」たるものを
教えてもいいかな?と思っていました。
当然、一年生担任も、コツコツと指導しているのですが、
定着するには、何度も指導する必要があります。
今日、同じように校長室に入ってきた子に、次のように話しました。
「今日も来たな!
でもさ、〇〇みたいに入ってこられたら、校長先生びっくりするよ。
だからさ、今度校長先生を誘うとき、
ドアを3回ノックしてくれないかな?
やってみるかい?
『コン、コン、コン。』
そう!
その次に、『失礼します。』って言えば、かっこいい!」
昼休みになりました。
私が校長室で仕事をしていると、
『コン、コン、コン。』
(おっ!? きたな?)
「どうぞ!」
シーン…。
こちらから、
「しつれいしますって言って入ってきていいよ。」
と言うと、
「校長先生! 虫捕りに行きましょう!」
とドアを開けて入ってきました。
「覚えていたね。ノック3回」
『へへへ…。』
「よし、行くか!」
「ノック2回は、トイレに入るときだからね。」
『へぇ…。』
その後、外へ出て、オニヤンマを捕ったのです。
私はこの話の中で、「学びの必要感」についてお話ししたい。
校長室、職員室に入るときに、「ノックをして、失礼します」と言ってから入る。
という指導をするときに、どんなタイミングでどの場面が効果的か?を考えます。
礼儀や躾ですから、理屈なしに指導すべきです。
でも、子供目線になって、どうすれば腑に落ちやすいかを考えることも、
「教育」の意義です。
今日の一年生にとって、
「一緒に虫取りに付き合ってくれる校長先生を呼びに行く」
という行動をとりたいときに、来室の礼儀を教えることが効果的だと考えます。
それができていないときに、
「あれ? それじゃぁ、いっしょに行けないな。」
と考えさせることも必要です。
今まで何度も校長室に呼びに来ていた1年生ですが、
校長先生と虫取りに行きたいという欲求を高めるために、
来室の礼儀について指導するのは待とうと思っていました。
(※自分の欲求を聞いてくれず、違うことで指導されると子は混乱するんです。
だから、「もういい!」ってことになる…。)
このように、子供にとって学びの必要感を感じて学ぼうとしたとき、
インパクトは強いものになり、自分の力として身に付きやすいのです。
国語や算数が嫌い 社会が苦手…などという子にとって、
その学習にどうしたら必要感を感じさせられるのでしょうか?
それは、「思考のズレをうむ」ことです。
簡単に言えば、
「はて?」「おや?」「思ってたことと違うぞ…。」「試しにやってみたい!」
と思わせること。そうした導入が授業の肝となります。
先月の「学校だより」に「学びのスイッチ」について触れました。
学びのスイッチは、人によって異なります。
でも、そのスイッチを探る努力を、教師は続けなければならないのです。
…という固い話でした…。
【高学年の動きを見た】
昨日、「避難訓練」がありました。
避難するとき、上靴のまま外へ出ます。
そのため、校舎に入るときに上靴の底を雑巾で拭き取らなければなりません。
全校児童が雑巾を使い終えた後の写真がこちら…。
雑巾をしまい、玄関を普段通りに戻している5年生の女の子。
全校で使った物の後始末まで、言われなくても考えて行動できること。
「天晴!!!(あっぱれ)」
をあげたい行動でした。
作物を育てることでつながる学び
昨日、地域の「西部耕地出張所」に中学年の子供たちが出向きました。
6月にもお邪魔したあそこです。
田んぼの稲の観察です。
6月に植えたときは…、
これくらいでしたが、
今回うかがうと…、
こんなに成長していました。
稲穂も垂れてきています。
その成長に驚いている反面、
興味はそこにいる昆虫にも広がっています。
「蜘蛛いる!」
「なんだ? この虫は!??」
といった様子。
そんな子供たちに対応してくださるのが、西部耕地の職員なのです。
『お米が成長するのに役立つ昆虫がいるんだ。なんだと思う?』
『トンボや蜘蛛なんだよ。どうしてだと思う?』
と、お米とつなげて昆虫の役割について思考させてくれるのです。
その場に餌となる昆虫がいるから、昆虫が集まるのですね。
理にかなっています。
分げつした稲を抜いてみることにしました。
力いっぱい込めても、抜くことができません。
「こんなに根がしっかりとついているのかぁ。」
簡単に抜けては、雨風をしのぐことはできません。そういう気付きを促したいものです。
抜いた稲には、どれくらいの粒がついているのでしょう。
私は、一粒かじってみました。
お米の甘い味がします。
みんなで写真をとって帰校です。
今回もさすがの対応をしてくださった西部耕地のみなさん。
今後、低学年、高学年も観察にうかがいます。
よろしくお願いします。
話は変わりますが、この日の放課後、
引率した担任が校長室へやってきて、こう言うのです。
「あの時、校長先生ならどういう発問や声掛けをしますか?」
じつにいいです。
こういう貪欲さがいいです。
『もう、この水、いらないんじゃない?』
など、稲作に欠かせない水に視点をあてたり、
『一つの房には同じ米粒(数)がなるのかな?』『一粒ぐらい違うかもね。』
なんていう、問い掛けが面白いかなと思います。
虫に焦点をあててもいいし…。
当たり前、何となく観ている子供たちを「焦点化する問い」「視点を変える問い」が面白いと思います。
観察の目的が何かによりますが。
学習の深化の条件の一つに、こうした「発問」「問い返し」があります。
ブログを観ている教員のみなさんなら、3,4年生にどういう問いが子供の思考を深化させると思いますか?
そういう研修も面白いです。
【準備する図書司書】
本日、休み時間に図書司書による読み聞かせがありました。
二枚の写真を比較して観ていただきたい。
A
B
AとBの写真、どちらが先でしょう?
同じ図書室で同じように読み聞かせをしています。
お分かりのように、Bが先です。
でも、子供たちがいません。
子供たちに読み聞かせる前に、一人で「読む準備」をしていました。
私と目があって、照れくさそうにしていましたが、
私はこうした「プロ意識」が大好きです。
【丁寧さの指導】
低学年の靴箱の写真です。
下段の長靴に注目です。
子供たちは、靴は「しまえばいい」と思いがちですが、
そうではなく、
長靴の袋の先まで気を配ってしまっていることにお気付きですか?
玄関にはたくさんの情報がつまっている「玉手箱」だと私は思っています。
担任、学校の大切にしたい指導内容や、
子供たちの家での様子まで察することができます。
面と向かった言葉でのコミュニケーション同様、
職員には、こういう場での情報取得をするスキルを向上させてほしいものです。