学校からのお知らせ
子供たちの学びと職員の動き
運動会の特別日課期間ではありますが、日常の教科指導も怠ってはいません。
1年生の算数では、「10の合成」について、学習していました。
そろばんを用いて、視覚的に10の合成(1と9、2と8…)を理解していきます。
1年生は入学して3か月目に突入ですが、学習を頑張っています。
1年生は、黙々と自学習できるようになってきています。
5年生教室を覗くと、社会の学習をしていました。
すると、ある子が私に気付き、
「校長先生は、戦争に行ったことある?」
と尋ねてきました。
『ん? どう思う?』
と聞き返すと、
「1940年の学習してるんだけど、戦争してたんだよ。」
『へぇ…。 校長先生はねぇ、1970年生まれなんだよ。』
と答えると、
「そうかぁ、じゃぁ、戦争に行ってないんだね。えっと…、校長先生が生まれる30年前かぁ…。」
と、西暦を根拠に時代を抑えていました。
渚滑でも戦争の影響を受けたのかなぁ…?
なんていう問い返しをしても学習が広がりますね。
その後、3,4年生の教室に向かうと、とても面白い場面に出会いました。
国語の時間、「主語、述語の関係」について学んでいました。
すると、ある子が、
「くどくてん に気を付けて読むんですね。」
と言うのです。
すると担任が、
「ん? くどくてん?」
と突っ込みます。
子供たちは、「句読点」の読み方に「?」だったのです。
ここで教師がはりきって教えてはいけません。
「ん? なんて読むんだろうね?」
ととぼけてみせるべきです。
すると、教室全体が「えええ!??? なんて読むの???」という雰囲気になりました。
そうです。自分たちで調べさせるのです。
クロームブックを使ったり、国語辞典を使って自分で苦労させるべきです。
その後、「くとうてんっていうのかぁ!」
と喜びに沸きます。
それだけでなく、
「。は句点、、は読点、だから合わせて句読点っていうのかぁ!!」
と新たな学びを自分で身に付けるのです。
老子の格言に、
『授人以魚 不如授人以漁』という言葉があります。
「飢えている人がいるときに、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか。」という意味です。
要約すると、
「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣り方を教えれば一生食べていける」という考え方です。
これは、学習でも通ずる考え方です。
答えを教えるのではなく、答えの導き方(学び方)を教える(自分で得る)ということです。
知識と学び方(思考・判断・表現)のバランスが大切なのですね。
きっと、子供たちは、「句読点」の読みと意味を忘れないで、次の学習につなげていくことでしょう。
校長室に戻り、外を眺めると、
棒をもった公務補が、何やら探しものをしています。
「スズメバチが巣を作っていないか、確認しています!」
とのこと。
危機管理がばっちりです。いわずとも自分ができる仕事を見付けて動くことができることに、
敬意をもちました。
敬意といえば…、
天気が悪く、運動会の準備も予定通り進まないのですが、
中学校の先生から、
「グラウンドにテントを張ろうと思います。」
と連絡が入りました。
すぐにグラウンドに向かうと、
数人の先生が、準備していてくれました。
「ありがとね! 小学校からも来るから。」
というと、一斉にテント建てが始まりました。
先のブログでもお伝えしたように、
私は、「やるよ!」
の担当の言葉に一斉に集まり、一斉に動くという組織体が大事だと思うのです。
こうした動きをみると、嬉しくなりました。
窓の外では、セミが鳴き始めました。
紋別の短い夏が始った感じがします。
取り組み方と取り組む姿勢
今週、中学校との合同練習が本格的に動き出しました。
天気が悪かった日には、体育館で移動の確認をしたり、
児童生徒の係打ち合わせをしたり…、
久しぶりに快晴だった今日は、綱引きやリレーの動きをしてみたりしました。
その中で、習慣となった様子(姿)を見ました。
分かりますか?
演台に立っている人にへそを向けて立っています。
これは、指示したわけではありません。
教頭に確認してみると、
『高学年からずっとこうして聞く態度を育てていました。』
とのこと。
4月某日のHPでも紹介しましたが、話す子を育てるには、聞く子を育てる必要があります。
その後、教室で同じような場面がありました。
こうした習慣は1日にして為らず。
まして、形ばかりでなく、興味関心をひく話をしなければこうはなりません。
別話です。
中学校のグラウンドで練習していると、中学校の先生がやってきました。
小学校競技の道具を確認しに来たそうです。
「私は道具係なので、使うものを確認したくて…。」
というのです。
ありがたいことです。
職員の準備、調整は、子供たちのいい眼・いい顔を観るためでもあります。
職員の動き
今日は、渚滑小の職員の話題を紹介します。
昨日、放課後に職員総出で作業しました。
渚滑小学校の体育館床を改修することになり、体育館器具室や放送室の道具をすべて外のプレハブに移動することになったのです。
教頭が、
「〇時から作業を始めます。」
と放送を流すと、校内あちこちにいた教員が、すっと集合しました。
私は、こういう動きが大好きです。
というか、規模に関係なく、こういう動きができる組織でありたいと思うのです。
まず、時間を守るということ。
そして、全員が一斉に集まるということです。
全校集会をするとき、開始のチャイムとともに集会がスタートするかどうかで、
その学校のこだわりも、大切にしてる指導が何かも分かるものです。
そして、普段は掃除ができない場所にゴミがたまっていますから、
掃除をするのです。
誰ともいわず、ごくごく自然と掃除をするその姿を見て、誇らしく思います。
子供たちに学んでほしいことを、指導者ができなくて伝わるわけがありませんから…。
私もそんなに偉そうに言えるほど、善い行いをしていませんが、
こういう視点で、私は職員(人)を観察しています。
中学校の体育館で運動会の練習をするときに、
きちっと靴を並べられるような渚滑っ子も素敵です。
きっと、おうちでのしつけも、行き届いているからなのでしょう。
なんだか楽しかったなぁ…。
今日、低学年の下校を見送った後、二階の窓から何気なく外を眺めていました。
よく見てみると、数人の子が傘を差しながら駈けている様子が目に映りました。
数メートル走っては立ち止まり、下を眺めているのです。
虫でもいるのでしょうか。
三人が頭をくっつけて何やら指差しています。
そして数秒後、また駆け出します。
そしてまた立ち止まり、道端の植物に手を出しています。
そしてまた、走り出します。
子供の興味の移り変わりは早いですから、気になるものにはすぐに飛びついて、
すぐに飽きて、そして次の物に…。
その様子を見て、知らずのうちに微笑んでいる自分がいました。
子供の頃の自分を思い出し、
「登下校の途中にはたくさんの刺激があったな…。」
と…。
その分、トラブルもありましたが学んだこともたくさんありました。
過去に担任を持っていた頃、ある保護者の方が、
「先生! すいません。傘を息子に渡してもらえますか?」
と息を切らせて持ってきたことがありました。
もう20年以上も前の話です。
その後、しばらく経って久しぶりに再会したその保護者の方は、
その日の出来事についてこう話しました。
「木村先生との思い出は、傘を学校に持っていった時の先生の言葉です。」
『そうですか、私はなんて言ったんですか?』
「傘を忘れたのなら、濡れて帰ればいいんですよ。
濡れて帰るのが嫌なら、次から天気のことを考えて、自分から傘を持つようになりますから…。」
言った本人が忘れていたことを、その保護者の方は話してくださいました。
そんなことを言う教員がいるのだと思ったのと同時に、
子供にその話をして、傘を忘れても親が届けないことにしたそうです。
不審者、熊対応、学校の統廃合など現代の環境は大きく様変わりし、子供の登下校事情も変化しています。
ただ、そういう時代だからこそ、学校で子供たちに「何を学ばせ、何を気付かせるのか?」
と試されている気がしています。
私は、放課後の3人の後姿を見て、
「気を付けて帰るんだよ。また明日な…。」
と見送りました。
すっかり雨もあがっています。
幼い頃の自分を見ているかのようでした。
人のつながり
今日、小学校と隣接する中学校のある活動に参加してきました。
「クリーン活動」です。「エサ ゼロ活動」とも名打っていました。
先日、中学校でも「熊」についての学習を深めたそうで、その中で、
「ごみの味を覚えた賢い熊(鼻が利く)が、えさを探しにやってくる。」
「だから、えさとなるごみを拾おう!」
ということです。
3つのグループに分かれて拾い始めたごみは、用意した袋にいっぱいになりました。
地域の方々、駐在所の方も参加し、天気のよい昼下がりにすがすがしい活動をしてきました。
中学校の生徒も礼儀正しく、かつ明るい生徒たちばかりでした。先生との距離もいい感じです。
中学校長の価値付けのあいさつでは、
「みんな、いい顔をしています。きっと、いい活動をしてきたからだと思います。」
と結んでいました。
私も気持ちがほっこりとして帰ってくると、職員室に来客がいました。
その方が、
「校長先生のブログ、観てますよ。」
とおっしゃいました。
嬉しいお言葉でした。
今日、一日を過ごし、「やっぱり学校は、人と人をつなぐ場なのだ」と感じた瞬間でした。
中学校と小学校で、「エサ ゼロ活動」をしたら面白そうだな…。と感じました。