学校からのお知らせ

子のつぶやき

 下校する前に校長室をノックする子がいました。

「失礼します。校長先生、さようなら。」

 

 私は、こうした子に必ず返す言葉があります。

朝の挨拶をしに校長室を訪ねた子には、

「元気ですか?」

『はい。』

「いいね。どれくらい?」

『えっ!?』

 

 どれくらい元気か?と質問されたことなどない子は、一瞬動きが止まります。

でも、脳みそはフル回転で、どう答えようか考えているのです。

「このくらい。」

と言って、親指と人差し指で距離を示したりします。

 

中には、

「校長先生の背くらい!」

と言ったりします。

 

 下校前に校長室にやってくる子には、

「今日は、楽しかったかい?」

『はい!』

「何が楽しかったの?」

 

と尋ねます。

 同じ子が毎日やってきて、その問いに工夫して答えようとします。

そこが楽しいのです。

 

 昨日、帰りに校長室にやってきた子に、

「楽しかったかい?」

と尋ねると、楽しかったと答えました。

すると、

『校長先生、挨拶したらいろんな話ができていいと思う。』

と話すのです。

「何がいいの?」

と重ねて尋ねると、

 

『あいさつの後に、校長先生と話をするから、面白い話ができるんだもん。』

と答えるのです。

 

挨拶をする目的の一つです。

「おはようございます。」「今日はいい日になるといいね。」「さようなら。」「また明日も元気で会おうね。」

そんな会話が続けば素敵ですよね。

 

先日、学校医が帰り際に、

「渚滑の子は、いいね。挨拶がしっかりとできる。」

とおっしゃいました。

挨拶の様子を通して、渚滑小学校をそのように評価してくださいました。

 

子どものつぶやきや行動の中に、「本質」を再確認させてくれることがあります。

縁の下の力持ち

 人は、目につきやすいもので評価しがちです。

それは当然です。

 でも、形に見えない頑張りや力があるから、自分の生活が支えられていることを理解することも大切です。

気付くための「眼」を鍛える場所の一つが学校ですが、逆に学校はたくさんの人々の力で成り立っています。

 

 たくさんの業者の方、PTAの方、学校運営協議会の方、地域の方、委員会の方…。

挙げればきりがりません。

 先日、グラウンドにある「気になっていた物」を撤去してもらいました。

 タイヤです。

グラウンドの隅に数十本埋められていたタイヤですが、不安定になっていたためどうにかならないか考えていました。

 そこで、お願いしたのがPTAのお父さんでした。

相当な重量があるために、手掘りでは何時間、何日間かかるか分かりません。

 

 重機を持っているお父さんに、

「なんとかなりませんかね…。」

とつぶやいたところ、

「いいよ!」

という快い返事。

 すると、翌日に動いてくれたのです。

 重機を持ってきて、スイスイ抜いていきます。

抜いたタイヤを軽トラックで体育館裏へ運びます。

 

 この時、事務員と公務補が汗だくで手伝ってくれました。

私もスーツを着替えて、泥だらけになって作業しました。

 

 2時間弱で、全て抜き終わったのです。

作業後に、冷たい飲み物がのどにしみました。

「うまい!」

こういう思いができたのもよいよい。

 

 子ども達の安全確保のための作業。

こうした「縁の下の力持ち」の存在のおかげで、学校は成り立っています。

学習の深化のために

「初めまして…、〇〇です。今、一番欲しいものは…。」

初対面の他校との児童同士が、クロームブックの画面越しに自己紹介をしています。

 

今日、上渚滑小学校の6年生と、オンライン交流学習をしました。

 

 国語のインタビューの学習です。

インタビューを通して、それぞれの学校を比較し、気付かなかった自分の学校を知るという目的があります。

オンラインでつながる前に、楽しみな気持ちと、不安な気持ちが入り混じっているようでした。

 

 オンラインがつながって、自己紹介によるアイスブレイク。

そして、子供たちが学校についての質問をしていきます。

「渚滑小学校は、みんな仲がいいのですか?」

 

その質問に、どう答えていいのか悩んでいました。

仲がいいということをどのような言葉で伝えるかです。

 

『う~ん、仲がいいです。みんなと一緒に遊んでいるから…。』

「・・・。」

 

答えの後に「間」があるものの、こうしたやり取りが続きます。

 

少人数での学習のよさもありますが、「多様な考え方の交流」という視点では、人数が多い方がよいです。

授業の進め方や意見交流に改善点はあるものの、

「まず、やってみよう!」

という、両校の先生たちの意気込みがうれしく思いました。

ぜひ、継続して「効果的な端末利用」を進めたいものです。

 

 話は変わりますが、上渚滑小学校の6年生担任は、私が前任校で一緒に働いていた教員でした。

上渚滑小学校の教員として、学校を牽引している姿を目の当たりにして、彼を誇らしく思い、うれしく感じました。

 

子の可能性を伸ばす手立てを、共に試行錯誤する仲間でありたいと感じています。

遠足で見えた、子の臨機応変

 晴天に恵まれた10日の遠足。

風が強かったものの、予定スケジュールを変更するものは何もありませんでした。

 元気よく歩く子供たち。

目的地について、全校遊びが始まりました。

子供たちが事前に準備していたレクを説明します。

その中で、「鬼ごっこ」をすることになりました。

「鬼になりたい人!!」

『ハイ!!』「はい!!」

 

鬼になった子供たちは、今にもスタートしようとしています。

でも、ここである子が、

「ちょっと待って!」

と制止しています。

なぜかというと…、

 

「これじゃぁ、誰が鬼か分からないよ。」

 

「じゃぁ、帽子を後ろにすればいいんじゃない?」

「そうだね、そうしよう。」

「みなさん聞いて! 帽子が後ろの人が鬼ですよ!」

 

こうしてスタートしました。

 

「臨機応変」という言葉があります。

【その場の状況によって、行動や言葉、対応を変えてより適したものに変えていく】

ということです。

 

この言葉通り、その時の状況を判断して対応することは難しいけれど、

こうした学習をするのが「学校」の役割だと思います。

人によって正解は違えど、先を想定し判断して行動することはとっても大切なこと。

学校ではたくさんの失敗もするし、責められることもあります。

 

鬼ごっこのルールも、臨機応変に変えていいのです。

もし、帽子のつばを後ろにするというルールを決めなければ、だれが鬼なのか分からないままだったでしょう。

 

続きがあります。

実際に鬼ごっこをしていると、なんだか不都合がありました。

なかなか捕まらない…。

 

そこでとった新たなルールで、「逃げられる場所を狭くする」ということ。

鬼ごっこの面白さは、追い追われることです。そのスリルが味わえなければ楽しさも半減ですから、

「範囲」を決めるという臨機応変さ。

 

 お弁当の時間にも臨機応変さが。

 

お弁当の時間、独りぼっちの子はいないものの、こんな場面が…。

 

「〇〇ちゃん、一緒に食べよ!」

『うん、いいよ!』

〇〇ちゃんは、その誘いに喜んで敷物を敷いていました。

Aグループの誕生です。

 

するとそこに、違う子から、

「ねぇ、〇〇ちゃん! 一緒にたべよ!」

という別の誘いが…。

〇〇ちゃんは、困ってしまいました。

(自分はAグループなのに…、Bグループにも誘われた…。どうしたらいいの…?)

 

こんな心の声が聞こえてきます。その様子をみて、私はどうするのかな?と興味津々でした。

 

すると、別の子が、こういうのです。

「じゃぁ、みんなで一緒に食べたらいいんじゃない?」

 

『いいね!」』

こうして、AB連合グループが誕生し、みんな笑顔です。

 

 私は、こういう体験がとっても大切だと思うし、新たな考えや折衷案を認めることがとても大切だと思っています。

 その様子を見ていた先生たちもいましたが、すぐに口出しせずに見守り、子供たちのとった行動を褒めていました。

 

 子供たちはひとしきり遊び、楽しんだ後の様子を写真に撮りました。

後片付けもばっちりでした。

 

こうしたことができるように指導して、子供たちの自立を促した遠足だったのです。

熊が出没する目的とは…?

 昨日、予告通り「熊訓練」を行いました。

 

 「もし、熊と遭遇したらどうする?」

という教頭の問いに、グループで考える子供たち。

「目をそらさないで、ゆっくり下がる。」

教頭の授業マネジメントもよく、子供たちはいい眼をして授業に参加しています。

 

その後、熊が登場!(毛皮を羽織った職員ぐま)

遭遇した時の熊との距離によって、とる行動が変わります。

熊と遭遇しないことが大前提ですが、「もしも…。」の時の対応を考えます。

熊の糞や、熊が荒らしたごみの実物を目にして、興味津々の子供たちでした。 

 

最後に、私が子供たちにこんなつぶやきを…。

「缶詰の缶にこんな穴を簡単に開ける熊を前にして、みんなは本当に(落ち着いて)行動できる?」

『できるか分からない…。』

『できないよ…。』

 

「そうだよね…。でも、どうして熊は、この辺に出てくるんだろう…。

 何か、目的があるのかなぁ…。」

と、とぼけてみました。

 

すると…、

「人間を食べに来るんだ。」

という子供のつぶやきが。

 

 熊に対する知識がこのような子供たちに、さらに学習を深めて欲しくて提起した私からの問い。

地域の状況とつなげて、「熊」を考えることはできないかな…。

と思っています。

 

 地域の方も参加した今回の「熊訓練」

渚滑ならではの教材を使って、気付きや思考を深めさせたいものです。

 

熊訓練と渚滑地域の課題のつながり

 

 校長室から裏山を覗くと、シカが草をついばんでいます。

自然豊かな地域です。

 

 でも、なにやら「熊」が近くで出没するらしいです。

 

そこで、教頭が音頭を取って、明日「熊訓練」を行います。

 

先日、GWが始まる前に、職員総出で訓練の進め方の確認をしました。

教頭から入念に説明がありました。

リアル感を出すために、様々な想定が成されています。

「もし、玄関を出たときにクマと遭遇した場合!」

 「この場所でできることとは…。」

「熊を撃退するスプレーを使うときに…。」

 

などを想定した準備をしました。

教頭の説明を聞き、

「おおおお!」

「なるほど…。」

「もし、〇〇なら…?」

 

 職員も真剣でした。

 

熊が出没する理由と、渚滑地域の課題がどうやらリンクしているようです。

ごみです。

何者かが、ごみを捨てていく道があります。明らかに「不法投棄」です。

 

地域の駐在所の方と、現場を観に行きました。

たばこの吸い殻や生活用品が捨ててあります。

「この道に、熊が出るんですよ…。」

そう話す駐在所の方。

 

これらの課題に、地域や学校はどのように取り組むことができるか?

 

 まず、明日(5月8日)、本校体育館で9時15分~10時に、熊訓練を実施します。

天候が悪いようで、外での実施から屋内に変更しましたが、訓練の内容に変更はありません。

どなたでも参加可能ですので、ぜひ、覗きに来てください。

 熊について、みんなで考えましょう!

学級通信というメッセージ便

 毎週末、学級担任から発行される、「学級通信」。

これは、発行することがマストではないのですが、担任の大切な業務になっています。

 

 この学級通信を手にした子供たち、そして保護者の皆さんはどのような心境で目を通しているでしょう…。

 

 昨日、全校朝会があり、その中で「校長からのお話」というコーナーがありました。

そこで私は、「反応(レスポンス)」の話をしました。

 

 先に結論を言うと、「どんなことでも反応が必要であり、自分にできる反応をしてほしい。」

ということでした。

 話を聞いてうなずいたり、手をたたいたり、「なるほど!」「どうして?」などのつぶやきをすることが重要だということです。

 

 今日、校長の机に「学級通信」が配布されていました。

高学年の学級通信には、以下のような記事が掲載されています。

 

 全校朝会で、校長から、「優しいの反対は何だろう。」という話があり、「話をしているのに目が合わなかったり、反応がなかったりすると嫌な気持になるよね。逆に…。(中略)

 この言葉について、学級でも話をしました。

 担任から、『特別なことをするのではなく、自分に置き換えてみたり、相手の立場になって考えたりしながらやるべきことをやることが大切。』と話しました。

 と書かれていました。

 手前みそになりますが、このように、全校児童に話した校長の話を、学級で振り返らせ、担任の味(指導)に生かしていくことがとても大切で、子供たちにどんな思いで、何を伝えたのかを通信に書くことで、メッセージ性が強くなると思います。

 親として、自分の子の担任が、日々どんなメッセージを届けているのか、興味、関心のない保護者はいません。

 

 他の学級通信にも目を通してみますと…、

 「言葉というツールを使って、有意義に効果的にコミュニケーションをとろう。」

という目的で進めている学習活動について紹介がありました。

 その中で担任は、

「たくさんの言葉に触れる機会を増やしていきたい。」

と結んでいます。

 

 学級通信には、担任からのメッセージが必要です。

それが、正解か間違いかではなく、学校として、担任として、一人の人間として、読む人の皆様にメッセージを届けることができたらいいな。と思っています。

 

 担任は、そのメッセージに対する、皆さんの反応を楽しみにしています。

「先生、あの記事読みましたよ。家でも話し合ってみたんだけどね…。」

「先生、あの記事について、賛成するよ。」

「先生、私の考えはね…。」

というものです。

 通信を介して学校と保護者の皆様がつながるといいなと思うのです。

 

 もし、この他にご批判、ご意見ありましたら、校長の私もうけたまわりますので、いつでもどうぞ。

 

 では、GW後半。有意義な休日を…。

 

元気な子供たちと先生

 GW真っ只中ですが、中3日間は学校です。

今日、畑つくり(畑起こし)をしました。

 「いただきます。」

の意味を子供たちは知っているでしょうか?

(命を)「いただきます。」は、誰でも知っているでしょうが、「この命を育ててくれた、苦労や恵」に感謝する思いを、「いただきます。」に込めるのです。

 

 子供たちは、その命を育てる「土」を作ったということです。

 こうした子供たちの活動を先に支えてくれたPTA、地域の方です。

 この後、子供たちは「命の種」を植え、命を育み、その命をいただくことになります。

植えっぱなしにならないように、どういう仕込みができるか、教師の腕の見せ所でもあります。

 

 私も以前、お米農家の方に協力をいただいて、「機械化」の学習をしたことがありました。

先に、子ども達が手作業で稲を植えます。

手で稲を植える作業は大変で、すぐに子供たちも「ね」を挙げていました。

「もう、いやだよ…。」

その言葉を聞いた時、

「お願いしま~す!!」

と叫ぶと、地域のお父さんが田植え機に乗って登場するのです。

子供たちは何事かとびっくり。

 

 その様子を横目に、田植え機があっという間に、等間隔で稲を植えていきます。

そこで、一言。

「機械化によって、米農家にはどんな変化があると思う?」

 

 ここで、子供たちの好奇心に火をつけるのです。

学習の全てに、意図的に意味付けをすることで、学習の深まりは変わります。

 

 話は逸れましたが、渚滑小の先生たちも、学んでいます。

 救急救命の研修です。

AEDの使い方、心臓マッサージについて確認します。

 いざという時の対処法は、毎年確認する大事な研修です。

昨年は、福岡県の1年生が誤飲により窒息死してしまう事故がありました。

その誤飲対応についても確認しました。

 

 大人も子どもも「想定・準備・確認」は、大切なのです。

 

 さらに話は変わります。

 毎日、職員室と校長室に挨拶をする子がいます。

「おはようございます。」

「さようなら!」

 継続は力なり。

 継続は人なり。

 

   素敵な気持ちになることができます。

遊ぶということ

 今日、中休みに体育館をのぞいてみました。

子ども達の歓喜の声が聞こえます。

遊び方は様々。

長縄を跳んでいたり、バドミントンをしたり、ボール遊びをしたり…。

 その中に、先生の姿もありました。

 とても素敵な空間でした。

 

 こうした遊びの時間に、子どもの「素」の姿が見えるものです。

いつもは走り回っているのに、元気がなかったり、ルール上のトラブルで喧嘩になったり…。

こうして、子どもの様子を把握する場でもあります。

 

 そんな場面で、大人はどうかかわるべきか…。

「解決策を教えない」ことに尽きると思います。

 

 せっかくトラブルになったのに、その解決策を大人が提示して、子どもは何を学ぶのでしょう?

 そんな状態が続くことで、「トラブルは誰かが解決してくれる」という間違った学びをしてしまうのです。

 つまり、大人がいないと遊べない子を育ててしまうと言っても過言ではないのです。

 

 しいて出番があるとすれば、

「どうしてあなたは、そうしたかったの?」

「〇〇さんの立場なら、どうする?」

といった、解決のための整理をしてあげることかもしれません。

 

 遊びのルールは変わっていいのです。変え方を学べばいいのです。

 何とか自分たちで解決できたという誇らしさを感じ、そしてトラブルを乗り越えた後に、みんなで笑えたという安心感を味わえるよう、私たちは支えていきたいものです。

 

 

学ぼうとするときの姿

 今日の子ども達の様子を観ていると、思わず楽しくなってきました。

 2年生の算数の時間で、24+15の計算の仕方を説明していました。

ここでのねらいは、24を20と4に、15を10と5に分け、10のまとまり、1のまとまりで考えることです。ひっ算の位取りにつながる学習です。

「…ということです。質問はありますか?」

という子の問いに、私は思わず、

「どうして、10と5に分けるの? 8と7でも、12と3でもいいじゃない?」

と揺さぶりました。

 

少し考えた子は、

「だって、10のまとまりと1のまとまりに分けて足した方が分かりやすいから。」

『じゃぁ、15じゃなく、28だったらどうするの?』

と続け様に尋ねると、他の子が、

「20と8に分けるんじゃない?」

と口を挟みます。

 

 そうです。この状態が大切です。

1人が分かればいいのではなく、ほかの子もみんなが理解するように、仕向けるのです。

 

 

 この学級では、〇m×△m×□mの立方体の体積を求める学習をしていました。

 

ただ公式を使って計算するのではなく、1㎥の実物大を用意して、

「この大きさが何個分だろうね…。」

と考えさせていました。

 

 子が学ぼうとする時とは、「やってみたい」「できそうだ」「どうしてだろう」という学びの必要感を味わった時です。

 ですから、そう思わせるように指導者は意図的に仕向けるのです。

そんな授業を1年間(6年間)続けることが、「学び続ける」ことにつながるのでしょう。

 学ぶことが習慣付けることができれば、「学ぶことの価値」を感じ、興味があろうがなかろうが、目の前の課題を解決しようとするのです。

 

 どきどき、わくわくしながら学校で学ぶ子ども達、職員であってほしいです。